宇宙ユーリンチィ

考えなしに生まれてくる纏まりのない言葉のあつまり

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    ZINE#1「思考の流れ、触れる色、心の旅路。」

    「思考の流れ、触れる色、心の旅路。」 "たとえば朝露のついた葉に希望を感じたり、 萎れた花に意味を見出してみたり、もしくは自分のなかで浮かんできた考えに情景をあてはめてみたり。 見るとか食べるとか触れるとか香るとか、 身の周りのものから得た感覚を出発地点として、 脳内をまるで水の流れのように 思考や想像が駆け巡っていく。 これは私の脳内の旅路の記録です。" 絵と、それにまつわる想像や考え事をまとめた小冊子です。 文庫本サイズ(A6)/22ページ 印刷:株式会社しまうまプリント
    500円
    uchurinchii
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    ZINE#2「Drawing」

    「Drawing」 "物の輪郭を、視線でなぞってみる。 風に揺れて定まらない輪郭の、その軌道を追いかけてみる。 私の視線は草木の上を跳ねてゆき、 それを追うように筆が、紙の上を飛び跳ねていく。 ペンがするすると走っていく。 色がじんわりと流れていく。 そこにちょっとした遊び心を加えて。" これまでのドローイング作品をまとめた画集です。A5サイズ/ 24ページ
    700円
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    ZINE#1「思考の流れ、触れる色、心の旅路。」

    「思考の流れ、触れる色、心の旅路。」 "たとえば朝露のついた葉に希望を感じたり、 萎れた花に意味を見出してみたり、もしくは自分のなかで浮かんできた考えに情景をあてはめてみたり。 見るとか食べるとか触れるとか香るとか、 身の周りのものから得た感覚を出発地点として、 脳内をまるで水の流れのように 思考や想像が駆け巡っていく。 これは私の脳内の旅路の記録です。" 絵と、それにまつわる想像や考え事をまとめた小冊子です。 文庫本サイズ(A6)/22ページ 印刷:株式会社しまうまプリント
    500円
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    ZINE#2「Drawing」

    「Drawing」 "物の輪郭を、視線でなぞってみる。 風に揺れて定まらない輪郭の、その軌道を追いかけてみる。 私の視線は草木の上を跳ねてゆき、 それを追うように筆が、紙の上を飛び跳ねていく。 ペンがするすると走っていく。 色がじんわりと流れていく。 そこにちょっとした遊び心を加えて。" これまでのドローイング作品をまとめた画集です。A5サイズ/ 24ページ
    700円
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作品の値付けを考える。

自分の描いた作品に、自分で値段をつけるのはすごく難しいことだと感じる。 絵を描くこと、表現を探究することといった、自分なりに物事への価値を見出し、それを形にすることは今までやってきた。 ところがいざ作品を外へ出す(売買する)となると、その個別的な価値をお金という社会の中で共通した価値に変換する必要が出てくる。私はまだこれに慣れていない。 絵の価値とは何だろう。 絵はその人が人生の中で経験したこと、考えたこと、感じたこと、好むか嫌ったことの集積であり、画家たちはそれらを自分の

    • 私がツイ廃ヲタク絵師だった頃の話をしよう

      大学3年生だったか4年生一年目のときだったか、(あの辺は時空が歪んでいたのであんまり覚えていないんだけど、)あのときの私は寝ても覚めてもずっとTwitterランドにいた。今思い出して、あまりに幸せな日々だったなと思い出に浸っている。 まだXとかリポストとかインプレッション稼ぎとかそんなの知らない時代、フリートの有る無しで一喜一憂していたあの平和な時代。 私はいくつかあるアカウントの中で、ファンアートをあげたり推しや作品について語り合う垢のところにずーっといた。そこはまさに楽

      • Down to Earth

        私って結構、「しっかりした人間に見られたい!」って思いが強いのかもしれない。 大学を卒業して、睡眠障害で感覚過敏で、働かずに絵を描く暮らし。 もうすでに一般的な生き方からフェードアウト済みなのは明らかなのに、それでもまだ社会規範や常識を執拗に気にしちゃう。 いや、自分がイレギュラーなの分かってるからこそ、せめて「比較的常識的な変人」でありたいのかも。 気にしなきゃいいのにね。 気にしていないと思っていたのに、ふと気分が落ちた時に、丁寧な対応が出来なかったことや気を遣えなか

        • 好奇心は私を殺す。

          コップに水がいっぱいでもそれ以上いれたらどうなるのか。 カーテンを力任せに引っ張ったらどうなるのか。 手に持ったたくさんの陶器のお皿を投げうったらどうなるのか。 服のままシャワーを浴びたらどうなるのか。 かつて一生懸命描いた絵を破ったらどうなるのか。 一体どんな気持ちになれるんだろう。 好奇心を満たそうという気持ち、普段は理性が働いていて、試すかどうか決められるのに、なんだかこの間は無理だった。 なんかね、すごかったの。だいぶ楽しかったの。お皿以外は試しちゃった。 頭につい

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        作品の値付けを考える。

          人体という檻の中で

          私はそれなりに感覚過敏であるらしい。 砂の音が耳をつんざくように鋭利に感じたり、触った感触が苦手だと、脳みそをかき混ぜられるかのような気持ち悪さと、思考にもやがかかるような感覚がある。 いろんな音が同時に入って来る賑やかなフードコートの中で友達の声を聞き取ることができないし、色とりどりの商品が並ぶコンビニで視覚の情報量に圧倒されてしまって、何も買えなかったりする。 ゴッホの画集を眺めながら、耳を切ってみちゃったらどうなるかなとちょっと考えてみるけど、もしそれで聴覚がなくな

          人体という檻の中で

          絵画/写実的表現と非写実的表現。それぞれの意味と楽しさ。

          これは私の憶測なんだけど、世間一般の多くの人は写実的な、いわゆる"リアルな"絵が好きなことが多い気がしてるんだけど、そんなことない? 好きというか、評価しやすいと思っていそうというか。 それって多分、写実的表現って、結構見る側の全ての人に対してわかりやすくて親切な側面があるからだと思っていて。 何が描いてあるのかはっきりわかるし、描かれているものと現実のものを比較して、再現度が高いかどうかで評価できるし、全ての人とまでは言えないけど"多くの人が見ている、見えている同じ現実世

          絵画/写実的表現と非写実的表現。それぞれの意味と楽しさ。

          世界は煌めきで溢れてる。

          "陽の光と風の揺らめきで、宝石のように輝く葉っぱたち。 木々の間に溢れるもくもくとしたやさしい光と、地面に編まれたレースのような繊細な影の模様。 雨の中で植物たちはたくさんの色を混ぜながら、色とりどりの水たまりを作っていく。 机のコーヒーカップの跡には心や温もりが残っていて、クローゼットを開けると広がるカラフルな波をかき分けて、今日のコーディネートを決めるんだ。" 私は日常の中に、こうした魔法を見つけるのが得意なのかもしれない。 私の絵を見た友達や、個展で絵を見てくれた人

          世界は煌めきで溢れてる。

          ずっとネバーランドにいよう。

          「トラウマがあった。でも乗り越えたからこそ今の私がある。」 「辛い経験をした。でもだからこそ、その分誰かの辛さに寄り添える。」 大人になると、こんなふうに"経験を糧にした"って、それがどんなに悲しい経験であっても、ポジティブな結論にできちゃう。 確かに糧にはなったからね!強くなっただろうしさ。まあ前に進むためにはポジティブに捉える必要もあるよね。 だけどさ、いくら捉え方を変えても、そのときの悲しい気持ちは悲しいのままで、思い出そのものが明るいものになるわけはないんだよね。

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          "一人が好きでも、二人も好きだよ"

          本日から"一人時間に寄り添う喫茶食堂"こと、kenohiさんで展示させていただくということで、私が思う"一人時間の大切さ"について書いちゃおうと思う。 いつも通り、とりとめのない文章だし、あっちこっち脱線するフラフラとした気ままな会話を、気ままな私と楽しんでいると思って気楽に読んでほしい。 展示情報はコチラ! kenohiさん情報はこちら! 私は誰かと旅行してても、途中で一人抜け出して散歩しちゃうくらいには一人時間が重要なタイプで、(もちろんちゃんと抜け出すことを伝える

          "一人が好きでも、二人も好きだよ"

          闇の魔法使いとして過ごすのはすんごく疲れる。

          私は少し前まで、自分が遭遇したちょっと嫌なことやトラウマをテーマに絵を描いていた。 悲しい気持ちややりきれない気持ちを言葉にするのが苦手だったから、絵で昇華する他なかったんだよね。 そのときも絵を描くのは好きだったんだけど、楽しさや幸せな気持ちを重視する今は、絵を描くのが比べ物にならないくらいもっともっと楽しい。 最近の作品は、散歩でみた池が綺麗だったとか、人との交流が楽しいとかっていうテーマのものが多い。しんみりしたテーマもあるけど割とポジティブなテーマが多かったり、前向

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          自分だけの航路を探す旅。永遠に続く絵描きの旅路。

          自分の描きたい絵の描き方について、私はずーーーーーっと模索し続けてる。どんな作風にも好きな部分を見つけられちゃうし、自然派もバルビゾン派も好きだし、フォービズムもシュールレアリズムも好きだし。でも、誰かがもうすでに作った作風なんだよね。 誰かがすでに試して評価されている作風で制作するって、評価の前例あるし、どこがどんなふうにいいかっていうのがたくさんの批評家によって言葉になっているし、安全圏にいながら絵を描けちゃう。それは心穏やかよ。 だけど私はそんな陸地を離れて不安に思

          自分だけの航路を探す旅。永遠に続く絵描きの旅路。

          突然液体になったりできないから、学校は好きじゃなくて。 

          友達や勉強は嫌いじゃないのに、学校という場所に行くのがすごく嫌だった。 登下校中に見かける、スーツを着た大人が羨ましかった。あの人たちはもう学校に行かなくていいし、会社に行くのしんどいだろうけど無給の学校の授業に比べたらマシなのかなって。考えが子どもらしく浅はかといえば浅はかよな。今なら大人が大変なのもわかるよ。それぞれ大変だよね。 だけどあの時は、通学路を抜け出す勇気も元気もなかった。大人はお金も車も責任も、自分で持っているから羨ましかった。 勉強は好きだったし、友達も好

          突然液体になったりできないから、学校は好きじゃなくて。 

          きっと頑張りすぎちゃわないように飽きっぽく設計されている。

          私はあんまり集中力を保ってるのが得意じゃなくて、どんなに熱中できても2時間くらいで別のことをやりたくなる。2時間集中できるなら別に飽きっぽくないじゃんって感じかもしれないけど、なんていうか、ゾーンに入ったら一日中陶芸しているような職人にはなれないってこと。 絵は好きだけど、一日中描いていることはできなくて、途中で歌を歌ったり踊ったり音読したりするし、もうその後は絵を描かなかったりする。 でもこの飽きっぽさって自分にとってはめっちゃ重要な気がしてて、これのおかげで私は長い目で

          きっと頑張りすぎちゃわないように飽きっぽく設計されている。

          惑星づくりの裏側で。

          私はやりたいことがすんごく多くて、一つには決めきれずにいる。 そもそも私めっちゃ強欲だし優柔不断でさ、コンビニでご飯買お〜ってパスタとラーメンで迷ったとしたらどっちも買っちゃうし、どっちも食べちゃう! だから多分今後も、「やることを一つに絞って極める」というタイプにはならないと思うの。 絵のことは一番大好きで、生活からなくなったら困るんだけど、そればっかやってるのは苦手っぽくてさ。 じゃあ全部やるとする。 絵も歌も朗読もミュージカルもエッセイも。 アクリル画も油彩画も透明水

          惑星づくりの裏側で。

          Dead or Paint 〜描かなきゃ死ぬ日々〜

          私は絵を描くのが好き。いや好きどころじゃない。描かないと生きていけないんだと思う。 2ヶ月何も描かないと口唇ヘルペスができるみたいでさ。きっとストレスで免疫が低下しちゃうのね。ずっと描かなかったらどうなっちゃうんだろ(You are dead!) 私にとって絵はどんな存在だろうってときどき考える。 それは感情表現の一つであり、自分の中に溢れる幻想が溜まって狂わないようにするための外部の器であり、記憶を保存する媒体なんだ。 ルドンだっけ、幻想を女帝だと喩えたのって。 いつも

          Dead or Paint 〜描かなきゃ死ぬ日々〜

          私と小鳥と倫理観。

          私の頭の中には"揚げ足鳥"が住んでいて、 私が何か言うたびに「確実にそう断言できるだろうか」「その言い回しではこういう例外があるぜ」とか逐一言ってきて、一つの文章を成り立たせるのにちょっとだけ時間がかかる。 だけど、私はこの鬱陶しく羽を動かしてくる鳥ちゃんを心に飼っていて良かったと思う。 言い方によって仲間外れにしてしまいそうな人が出ないように、傷つく人が出ないように、この鳥ちゃんはいつも私の言葉を検閲してくれる。"絶対に誰も傷つけない"なんて断言するのは傲慢かもしれないけ

          私と小鳥と倫理観。