人智を超えた進化(=神化・真化)プログラムの最終章|アセンションバイブル日月神示
前回の記事の続きです。
このnoteでは日月神示の解釈をしています。やがてくる弥勒の世を迎えてしまった未来の前提に立って、書いているのが特徴です。弥勒の世では人は人神。神人合一した未来から、今を振り返る形で神示を読む時に、そこにあるのは神による人類の進化(神化)のための、アセンションバイブル。という視点からお届けしています。
さて、身魂磨きにせっせと取り組んだ人類は、いよいよという時、何を体験するのでしょう?
神示では、最終的に起こることを”九分九厘と一厘の仕組”と書かれていますが、一厘は謎につつまれています。私はこの”一厘”を自覚したいと思いました。
世間には様々な解釈がありますが、正否を超えて、今の自分の感覚で「こう感じる」と掴むことは、その時点でのパラレルを決めると思ってて。
だから違ってもいいから、望む未来を、今、自分で決めることを私は大切にしています。そこから開けることがあるから。後で軌道修正するのも自由です。
さて、その一厘とは、神人合一への仕組であるのですが、一体、どのようにしてそうなるのでしょう。
人智を超えた進化(=神化・真化)プログラムの最終章
その前に。日月神示に書かれている「九分九厘と一厘」とは。
*余談:ナマスは鹿島神宮の要石の下に抑えつけられているというナマズと音が似ています。深読みでしょうか?
一厘の仕組の解釈はさまざま。日月神示には「この筆、8通りに読めるぞよ」と複眼解釈を認めていますが、8は∞。解釈は人の数ほど無限にあるのでしょう。
そんな中、私は壮大すぎるSFチックな解釈に出会ったのですが、これに妙に納得して以来、日月神示を読む私の前提となっています。以下にその内容をシェアさせていただきます。どう感じるかは、読んでくださる方の心のままに。
その前に。日月神示に書かれている大峠のクライマックス。
1厘の仕組の完了した「みろく」出づるには「人、二分は死」とあります。その間に「みな人、神の宮となる」。2分の仮死の間に、霊的手術が行われ、身体が神の肉宮にシフトチェンジする。「西に戦争し尽くし」とはアラブ諸国や今のヨーロッパのことを指すのかもしれません。
別の読み方もできます。人、2割は死。とも取れます。2分の仮死であり、2割の死でもあり、逆に2割の人の2分の仮死でもあるのかもしれません。1つの言葉でも立体的に読み解けるのが日月神示の特徴。2割の2分なら『22』となりフジ。富士と鳴門の仕組を連想します。
この2分間の仮死含めて起こること。それが1厘の仕組。
以下、中矢伸一氏の御著書「出口王仁三郎 大本裏神業の真相」より引用させていただきます。裏神業者関連の書物(神示)の一つ、「神言集」は大峠に関する預言書になっているそうですが、以下の文中の「本書」はこの「神言集」のことを指しています。
これによると、人が生きているのは、靈線が繋がっているからとの前提が見えてきます。文中の宇宙線です。
人は死ぬと霊魂が肉体から抜けます。つまり生きているということは、霊魂が体に宿っているからで、その霊魂と肉体を繋いでいるものが、靈線という宇宙線なのでしょう。
その宇宙線の繋ぎ換えが、2分の仮死状態の間に行われた後、人々は弥勒の代に蘇生する。しかもこの間、地軸が立ち直る。それは言霊の力によって行われるというのです。新生地球は、自然界の調和した歓びに満ちあふれる世。そこでは暦も10ケ月に変わるといわれています。
注目したいのは言霊です。言葉が神であることは、古くから言われてきたことでした。
日本にも言霊信仰があります。
『日本の国は言葉が持つ力によって幸せになっている国です。これからも平安でありますように』という意味。古代の人々は、言葉に霊力が宿ると考え、言葉はその言葉通りの結果を実現すると信じられていたのですね。
日月神示には、こうあります。
言葉の組み換えは、世の組み換え。
出口王仁三郎氏も、こう書き残しています。
言霊の力は現象界を操作するのですね。
国家『君が代』の「巌となりて」の歌詞は【「い」は「お」となりて】。「あいうえお」の「い」は「お」とすると、「あおうえい」となります。
古事記の国産みのストーリーでも、言葉の発し方がキーワード。
一厘の仕組みが言霊発動によって完了するのは、日本語の音が創造の空(クウ)を震わせる唯一のコマンドだからなのでしょう。
私達1人1人も名前を呼んだから自分が存在するように、言葉は創造の母。大峠ではそんな言霊奏上により、弥勒の世への国生みをするというのです。言葉は神なので、神が自身の音をフィールド中にふるわせて、ふるべゆらゆらと宇宙創造をするのでしょうか。これは素粒子の世界観とも重なります。科学フィールドは神フィールド。その元の元は、創造主の発声です。
今現在も人類は、神と交流するときに言葉を用いています。祝詞です。日月神示にも、祝詞宣れよと頻繁に出てきますが、祈りは神の量子フィールドとの響きあい。自分の本体ボディ(靈体)ではしっかりと感応していることを、我が薄れていくほどに感じていくのだと思います。靈体の方で感じていることを超能力というなら、超能力は万人に備わった感覚です。
誰も自力で心臓を動かすことも、呼吸も出来ないことを思うと、肉体生命あるものすべて、大いなる仕組によって生かされていることは人類の前提です。
自分で自分を産み出していない以上、自分を産み出した親としての他力(宇宙創造意識)の力学が変われば、自分にもその力学が及ぶことは避けようのない事実。
魂に死はなく永遠とは言え、今度の大峠は、肉体ごとアセンションする人類初のイベントです。この肉体の「神の宮」化(アセンションボディ)の靈的手術がなされる間が2分。
弥勒の夜明け前は人災といえる天変地異が起きると言われますが、その先の未来が自覚できれば、多くの預言書のように人類滅亡に向かうシグナルではなく、超えてゆくものだという前提に立ちます。超えて当たり前。そうしたくて、あなたはこのたびの地球に来たのでしょう?
地球カレンダーを変えてゆくのは私達1人1人
次の記事に続きます。
*私はそれ(大峠)がどのようなものか想像せずにはいれないのですが、魂のことは、目が覚めて起きている今、自覚できるような出来ないような、そんな感じがするんです。
例えば、前世で死んだときのこと。覚えてますか?私は記憶にありません。これと同じようなことなんじゃないか?とも思うんです。つまり、魂の世界の出来事は、3次元側で活動している時には、そっちが本体であっても感じられない。
なので2分の仮死から蘇生へも、3次元側では自覚できないんじゃないだろうかと。それは夜に眠っている時に、魂の本体側で行なわれ、朝起きると「あれは夢?」的な感じじゃないのかと。そして起きた自分の身体が、昨日の身体と違っていたりして。
▶天使様は誰?岩戸開きと一つの王でまとめる弥勒の代
*以下、一厘の仕組みについて、参考ブログを貼らせていただきました。諸説あり、面白いです。
【日月神示】神一厘の仕組みが作動する!?出口王仁三郎の予言について | イケのブログ~知識の実リンゴを収穫しよう~ (ikezo.site)
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