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ニュージーランドプチ留学~涙、涙のお別れオークランド~

オークランド滞在最後の土日は、
「せめて最後に一目、キウイバードをこの目で見たい!」
という私のわがままに付き合ってもらい、オークランド動物園のキウイバードに会いに行ったり、みんなでビーチに行ったりと、最後の最後までオークランドを堪能する日々となりました。

オークランド動物園では念願のキウイバードにも会う事が叶いました。

飼育員さんがトレイの上に餌を置くと…
画面左側にご注目。
お分かりいただけただろうか…
お皿の上に置かれた餌を啄んでいます
お尻はまさにキウイフルーツ!(その後、彼が正面を向くことはありませんでした^^;)

ちなみに友人は来訪2回目なのですが、「前回はこんなに間近で見られなかった!」と、やや興奮気味に語っていました。どうやら気まぐれで臆病な鳥のようです。

その後、我々は主に鳥ゾーンを中心として、園内を歩きました。

KEAというニュージーランドの山岳オウム
kererū。kūkupaやkūkūとも呼ばれるそうです。

カラフルな小鳥たちも大変魅力的でしたが、ニュージーランドの森の緑にとけこむような美しい羽根の色の鳥たちに癒されました。

また、オークランド動物園の翌日に、友人のそのまた友人(Aさん)に車を出してもらい、我々はムリワイ・ビーチというオークランド中心地から少し離れたビーチへ向かいました。

ペンギンが住んでいるだなんて信じられない…

旗と旗の間を泳ぐように気を付ける事、高い波が来たタイミングで思いっきりジャンプする事、教えられたのはこのふたつでした。

砂が黒いのは火山の影響だと教えてもらいました

途中から波に向かって、思いっきり前職に対する不満を日本語で叫びますが、当然ながら周りはおかまいなし。
私の叫び声も全て大きな波にかき消されていきます。
今思えば南半球まで来て何をしてるんだ?

印象的だったのはこの浜辺で食べたお昼ご飯です。
Aさんは次から次に紙袋から食材を取り出し、バゲットを豪快にちぎって割き、バターを塗り、バジルとスモークサーモンを挟んだ即席のサンドイッチを私たちにごちそうしてくれました。

「使うのはバターナイフくらい。調理用の道具が無くても美味しいものは食べられるのさ!」

と語るAさんの笑顔が印象的でした。

またスプーンが必要となった時には、紙コップを手で割いて折り曲げて、即席スプーンの出来上がり。

ナイフもスプーンもここにはない。
しかしながら道具が無くとも、創意工夫をすれば今あるものを活用できる事、工夫する事の楽しさをこのピクニックで教えてもらいました。

手作りのサンドイッチ。ワイルドに作ったのでワイルドに齧り付きます。
途中で寄ったパン屋さんで買っていただいたミートパイ。
食べれば食べるほどお腹の減る不思議な美味しいミートパイでした。

ビーチでたっぷり遊んだ日の夜は、ほのかに遠くの空が紅に染まったとても美しい空でした。
滞在中、いやというほどお世話になったブリトマート駅前を歩いていました。

シーガルたちのぎゃあぎゃあ叫ぶ声。
20時を過ぎてもお昼のように明るい空。
日本語が一切見当たらない環境。

…ここは距離的にも金銭的にも、日本からは簡単に行けない国です。

沢山の出会い、戸惑い、焦りを感じましたが、それ以上に、これからどういったマインドで生きていこうかという事と、それ以上に感じたのは滞在中ずっと私をサポートしてくれた友人のありがたみでした。

ゆっくりと堕ちていく太陽に、お願いまだ沈まないで!という焦燥感と、寂しさがこみあげてきます。

「…それでも私は、帰るべき場所があるんだ。日本に、帰らなきゃ。」

夜の20時20分とは思えない明るさの環境ともお別れです。

翌日、とうとう朝日は昇ってしまいました。
長くお世話になったホテルに別れを告げ、空港行きのバスに乗り込みます。

スカイタワー付近に空港行きのバス乗り場があります。ちなみに何故かAT HOPカードは使えませんでした…

もちろん最後まで友人はついてきてくれ、私の重たいスーツケースを運ぶのを手伝ってくれました。

思えば人生初の2階建てバスへの乗車でした。
車窓を流れる景色はあまりにも美しく、より切なさがこみあげてきました。

滞在中、毎日良いお天気をありがとう

オークランドCBDから40分ほどでしょうか。空港に到着してしまいました。
スーツケースをチェックインカウンターに預け、(成田国際空港のように自動で荷物を預ける機械はありません)「預け荷物はひとつだけかしら?」「危険物は入っていないかしら?」といった質問にYes,Yesと答えます。

余裕をもって3時間前には到着したはずなのですが、出国ゲートが異様に混んでいるようです。
本当は空港でもう少しゆっくり過ごしたかったけれども、友人とはここでお別れです。

「さてと…こっから先はまた行きと同じく、ひとりで戦わなきゃいけないね」

「そうだね…でも今のかぼちゃんならきっと大丈夫。自信をもって。」

私が大丈夫でいられたのは、まぎれもなくこの友人のおかげです。
ハンバーガーの券売機から紙が出てこなかったとき、店員さんと意思疎通が取れなかったとき、本当にいろんな側面で助けてもらいました。

何よりも言葉も文化も違う異国の地で日々の仕事も勉強も頑張っている彼女が眩しすぎて。
私はそんな彼女の横に立つ人間に値するのでしょうか?

ニュージーランドで過ごした色んな思い出が、走馬灯のように勢いよく駆け抜けていきます。
このゲートをくぐれば、友人とは次にいつ会えるかも分かりません。
だからこそ、最後くらいは笑顔でお別れしたかったのですが…

…無理でした。

「たくさん、たくさん、私を助けてくれて…あり…」

最後の方は、言葉にもできなくなってしまいました。
よしよし、大丈夫だよ、と友人も静かに涙を流しながら背中を優しくなでてくれますが、私の嗚咽が止まりません。

前職の送別会の時にも、退職時にも涙を流さなかった私でしたが、ここで涙の防波堤が一気に決壊してしまったようでした。公共の場で、こんなにも大声で大号泣したのは初めてだったかもしれません。

私が安全に楽しく過ごせたのも、色んな人と会えたのも、異国で生きる厳しさや楽しさを知れたのも、今後の生き方について真剣に向き合えたのも、全て彼女のおかげです。

最後は無理やり笑顔を作って、私は出国ゲートへと飛び込んでいきました。

(ここからは出国しない人は立ち退きなさい、と友人は声をかけられていたので、本当にギリギリのところまで見送ってくれたのです)

長い行列に並ぶ私の姿が見えなくなる最後の最後まで、友人は手を振り続けてくれました。

私の方はというと、列に並んでしばらくの間もずっと涙を流していました。
列に並ぶ人々は、涙を流してばかりの私に目もくれる事なく、ウォーターボトルの中の水を捨てたり、液体の入ったジップロックをバックパックから取り出していました。

ここからは、また往路と同じく、孤軍奮闘です。
往路で大体の流れはつかめたので、出国審査で特に問題となる事はありませんでしたが、とにかく出国ゲートから搭乗口までの距離が長かったです。

空港の中のお土産屋さんを後目に、小走りで搭乗口へと足を運びました。
向かうは香港行きの搭乗口、16ゲートです。

Walktimeが19分?!急がなきゃ!

ぜぇぜぇ息を切らしながら、なんとか搭乗20分前には16ゲートへたどり着くことができました。

青い空は、この国からの最後のプレゼントだったんだと思います。

(空も人の距離も近かった。ありがとう、ニュージーランド。一生忘れない。)

ニュージーランドでの沢山の思い出を胸に、感傷的な私を乗せた飛行機は青空へと飛び立っていきました。

…この後、機内で待ち受けている新しい出会いがあるなんて、この時の私は1ミリも想定していませんでした。

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