もうプロとか言ってる時代じゃないのかもしれない

どうも。
煮干しラーメンをカウンターで食べる女子にときめくガリバーです。
「煮干し食ってるけど何か文句あんのかこのクソ天パー野郎」っていう視線がたまんない。
煮干し女子…ニボジョ…そうかニボジョかぁ。


さて。
令和になって何か社会の雰囲気が変わった気がしますね。

なんとなくですけど、
「もうふんわりした物には騙されねーぞ」
「流されても得はないぞ」
みたいな感じは少なからずあるような。

SNSでも、自分や他人の意思を尊重する風潮がじわじわと。

多様性とかダイバーシティーとか一億総クリエイター時代なんて言われてますよね。

僕はとても生きやすくなりました。

昭和生まれの僕が感じてることを今回は書いてみます。


このnoteの内容
・昭和後期生まれが抱える憂鬱
・平成はやり過ごした感
・専業プロは絶滅する
・おわりに


●昭和後期生まれが抱える憂鬱

僕は昭和58年、1983年生まれ。
ディズニーランドができた年なので、日本のミッキーと松潤とタメです。

中2でブルマが廃止された時には、きっと彼らも「は?意味ねーじゃん!じゃあドラゴンボールのブルマもハーパンに改名しろよな!」というやり場のない憤りを覚えたことでしょう。

そんな大人による変革の前フリがききまくってるから、のちに、台形の面積を求める公式がなくなったり、「円周率は3.14だとメンドいから3でいいっしょ」というボケをかます大人たちに「それ誰トクだよ大人たちよ!」「円周率の暗記自慢の特技を奪いやがって!くそが!」という不信感全開のリアクションを爆笑しながらカマす世代。

青春時代は、2000年問題にこじつけたバックストリートボーイズのミレニアムや、ウィルスミスのウィレニアムがみんな大好き。

そんな世界的な親父ギャグを「韻を踏むってクールなんだぜ」ではぐらかされた感のあるヒップホップ世代でもある。

この世代のミッションは、ノストラダムスの大予言で人類が滅びるまでに童貞を卒業すること。
みんなマジで必死だった。
女子は知らんけど。

サッカーではカズがワールドカップに行けないとかナイわーと嘆き、野球ではストライキで古田選手泣いてるわーと嘆く。

なんというか、大人の決定を
「それ絶対違うっしょ!でもしゃーなしで受け入れるから責任取れよな!」
「責任?オジサンよくわかんないからとりあえず辞任しゃっす」
が繰り返されてきたような。

この感覚は、雑草魂とか負け犬根性とは違うんだけど、なんかそういう世相で育った影響が、いまだにチラホラ影を落とすことがあるのです。

「責任はどこにあるのか」
「失敗したらどうするのか」
そんな雰囲気にいつも囲まれてきた気がします。


●平成はやり過ごした感

僕はそういう感覚で育ったので、平成という時代は大人が作った虚像に付き合うような感覚でした。

これは思春期に少年から大人に変わる、壊れかけのレディオ期を過ごしたからかもしれません。

徐々に男女平等とか、派遣とか、SNSとか、理にかなう仕組みができると、少しずつモヤモヤが払拭される期待が芽生えました。

でも、その過程でもやっぱり大人のバチバチが露見していているのが見苦しく感じてて、例えばSpotifyの上陸を阻んだり、FacebookやInstagramの浸透にも時間がかかったり、ホントもうやめてって思ってた。

だから、とにかく新しい情報をフィルターかけずに得たくて、テロや震災の時なんかは海外の記事とかけっこう見ました。

情報量や情報の質で差がつく時代だったんですね、今思えば。
情報や理論で武装してなきゃ立ってられなかった。

そんな、大人が作った世界を基準に付き合ったり抗ったりする感覚は、フリーランスとして活動していてもつきまとっていて、起業してようやく息が吸えるような感覚になったかな。

でも、それも平成の後期だったから、既に時代が変わっていたからでしょうね。


●専業プロは絶滅する

情報も事例も選択肢も増えてるから、もはやプロ意識とかこだわりって、利用者やクライアントからしたらあんまり関係なくなってる。

専門的なスキルや知識はあって当たり前。
なくてもまぁそこそこやれる。
仲間と技術とかを共有するチームを作ったりして。

すると、対応領域も増えるから付加価値も付きやすい。
そしたら、付加価値の無い人の仕事は、無くなるか単価が下がるかどっちかです。

それは外部に対してだけではなく、内部にも同じことが言えます。

「何かいいんだよねーこの人と(この場で)仕事してると」と思えることが大切。

個人やチームで動く人なら特に、他者との関わり方、大げさに言うと生き方や自分のストーリーが重要になる。

熱量がある人、心を揺さぶる人って、どの領域でもキーマンになるし、第三者目線でワクワクを提供できると、より引き合いが強くなると思います。

あとは、人それぞれの感じ方を許容しながら、配慮も細やかにしながら、成果を出せる人が活躍するんじゃないかと思ってます。

あのホリエモンも、出会った人すべてに「ロケットに出資してほしい」と伝えているというし、ものすごい情報量の週一のメルマガも一度も遅れたことはないそうです。

マツコデラックスさんや山里さんは、関わるスタッフさんや共演者に一筆書いたり、上戸彩さんやベッキーは年賀状を何百枚も書いたり。

ロジカルとかドライとか有名人とか言われていても、立場や知名度に関わらず「手数」「コツコツ」「気配り」が大切なんですよね。

やることやってるんです。


●おわりに

僕が抱えてきた昭和〜平成のモヤモヤは、きっと「こうあるべき」に縛られてしまっていたことにあると思います。

「プロとはこうあるべきだ」っていう理想論には誰も憧れなくて、自分にもできることの方にみんな興味がある。
身近な事例とか多様な成功方法がある方がワクワクするもんね。

やるべきことはやればいいし、自分の理想に近い事例に比べて足りてないことがあれば補えばいい。
それだけでもやれたら大したもんですよ。

新しい時代になったことだし、いっちょ頭をリセットしてみると、息が吸いやすくなるんじゃないかな。



【ガリバー宇田川】
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