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池澤夏樹さんが好きです

なにをいきなり愛の告白! みたいになっているけれど
ぼくは池澤夏樹さんが好きだ。

とはいえ
池澤夏樹さんには本当に申し訳ないのだけれど
作品を初めて読んだのは
つい最近のことだった。

もちろんお名前は
以前から何度も目にしていた。
でも遠い遠い人だと思っていた。

なんとなく近寄りがたくて
遠巻きに見ている、そういう存在。

けれど一度、読んでみようと思ったのは
『すばる』という雑誌の連載で
ぼくの訳書『ベルリン 1928-1933』をとりあげてくださって
「鵜田良江の翻訳は完璧。」とまで言っていただけたから、だった。

ゲンキンだなと自分でも思うけれど
もちろんうれしい。うれしいに決まっている。

意外に思われるかもしれないけれど
翻訳を褒められることは、ほとんどない。
否定的な声のほうが断然大きく聞こえてくる。
そしてそんな声のほうが影響力が大きい。

まぁそんなことはどうでもいい(よくない)

とにかく褒めていただけたのがうれしくて
舞い上がった勢いでお礼の手紙でも……と思い
いやいやその前に作品を読むべきである、と
まずは『ベルリン 1928-1933』と時代背景の一部が重なる作品
『また会う日まで』を読んだ。

『スティル・ライフ』なども読み
すっかりファンになってしまって
そうなるともう
以前よりも遥か遠い存在になり
お礼状なんてとんでもないです
物陰からそっとのぞいていれば十分です、となってしまった。
(それでも気持ちが届いたらいいなと思いつつ
 こっそりここに書いている)

とはいえ、作品を読むうちに
褒めていただけた理由が、なんとなくわかったような気がした。

池澤夏樹さんは大学で物理学科に在籍していた。
ぼくは物理化学系の修士論文を書いている。
理系っぽい文章というのはあるのだろう。
まわりくどい表現よりも
思考のラインがクリアなほうを選ぶ、みたいな。

なにかこう、きれいだと思う日本語のベクトルが同じだという気がした。

もちろんベクトルの長さはぜんぜん違っている。

池澤夏樹さんが
急峻な山の頂で周囲を睥睨する大鷲なら
ぼくのほうは
そろそろ地上にあがらないといけないかなぁと思いながら
まだ迷ってぐずぐずしている
玄界灘のすみっこのウニ、くらいなものだ。
まだ脊椎動物にもなれていない。

それでも
ベクトルの先は
見ている方向は
同じなのだろうなという気がした。

ぼくが大鷲になれるはずもなく
玄界灘のすみっこで砂を掘り返しているほうが
似合っているし、好きだ。

だからもう、ただのファンである。
そしてこれからずっと
池澤夏樹さんの言葉の世界で
安心して遊んでいられるのだと思うと
うれしくて仕方がないのだ。


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