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【雑感】歌で育った話

福岡の夜明けは遅くて…とはいえ
この時期、朝の5時は日本のどこでもまだ真っ暗ですね。

外に出てみると、雨が上がったばかりみたいで
排水溝からは水しぶきの音が聞こえて
電線からはしずくが落ちてくる。
そんななか、電線にうつる街頭の明かりがきれいでした。

1月下旬にしてはあまり寒くないとはいえ
それなりに寒く
でも早くも梅が咲いていたりすると
「はるーはなーのみーの」なんて
早春賦の一節でも歌いたくなってきます。

そういえばわたしの使う言葉は
古風なものが多くて
1970年生まれという年齢のせいもあると思いますけれど
(平成後半生まれのうちの子には
 「小さいころ、電気あった?」とか訊かれました。あったよ!)
歌で日本語を覚えたせいもあるのだろうなぁと思います。

実家は会話の成立しない家で
怒鳴り声や罵倒の飛び交う場所で
そのおかげで
翻訳に実に役に立つ悪態のボキャブラリーは増えたとはいえ。

優しい言葉、きれいな言葉に飢えていたわたしは
いろいろなところから聞こえてくる歌の歌詞をどんどん覚えて
いつもいつも歌っていました。
家族からはうるさいとか言われていましたけれど。

いまも、歌詞を見ずに1時間は軽く歌っていられます。

でも、ボキャブラリーが豊富って
すごくだいじなことだと思います。

思いをうまく伝えられないと
なんだか暴力的になってしまうのかもしれない、と思うのは
実家の雰囲気を思い出すから。

そしてツイッター(現X)で飛び交う言葉を見ていても
ほかの誰かが自分のもやもやした思いを言語化してくれると
それに飛びついてRT(現RP)したり引用したり
それで気が済んだ、おしまい、になっていたりして。

そうやって投げつけ、投げつけられたりした言葉が
なんとなく不憫で。
もっと明るいほうに向かってなにかを変えたり
そういうふうに使うこともできるんじゃないかと
思ってしまったり。

つたなくても、幼稚に見えたとしても
なんとなくうずている気持ちを
自分の言葉で綴ろうとする努力を
続けていきたいなと思います。

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