見出し画像

ウーリツァの娘 ── 津久井五月

あることをきっかけに視力を失った少女・山村優里亜(またの名をユリア・ウリツカヤ)は、5月のある日、銀座の雑踏へとくり出す。“形式として”携えた白杖ではなく、あるものを頼りに ──。やがて訪れるであろう“未来のまちのテクスチャー”とその読み方を、気鋭のSF作家・津久井五月さんに短編作品として書き下ろしていただきました。「まちを読む」をテーマに、多様な視点を持つゲストを招いてお届けするデジタルZINE「まちのテクスチャー」シリーズ第10回。

Artworks by Otama

 ユリア・ウリツカヤ。
 通りの真ん中に立って、わたしのもう一つの名を、小さく唱えてみる。山村優里亜ではなく、ユリア・ウリツカヤ。その音楽的な響きが少し勇気を与えてくれる。
 ウリツカヤというのは母の姓だ。わたしが行ったこともない国の、聴き取れも話せもしない言語体系の中にある、一つの名前だ。
 ここ東京では、わたしは山村であってウリツカヤではない。わたしがウリツカヤだったことは一度もない。それでも、その名の中に残響する“ウーリツァ”という言葉が、わたしをここに導いたのかもしれないと思う。
 улица(ウーリツァ)というのは、英語でいえばstreet(ストリート)。
 わたしは息を大きく吸って、街に耳を傾ける。

 5月12日、土曜日の午後1時。
 東京都中央区、銀座通り口交差点付近は、人の足音や声に満ちていた。
 立ち止まったわたしの肩を掠めるようにして、誰かが通り過ぎる。背後からは自動車のタイヤが路面を舐める摩擦音がいくつも聞こえる。その音がわたしの足を少しすくませる。でも、心配ない。車がわたしの背中に突っ込んでくることはない。
 銀座通りは今、歩行者天国なのだ。
 初夏の太陽の熱を受けてわたしは汗ばんでいる。ジーンズはともかく、手首まで覆う長袖パーカーも、厚手の手袋も脱いでしまいたいけれど、そうしないのが父との約束だ。転倒時の怪我を極力防ぐことを条件に、彼はわたしがここに立つのを認めてくれた。
 でも、わたしは転ぶつもりはない。
 銀座通り口から銀座八丁目交差点までのおよそ1kmを、軽やかに歩ききってみせる。
 わたしは首にかけていた重いヘッドフォンを、両手で掴んで頭に乗せた。
 クッションで両耳を包むと、雑踏が ── 街が ── 外界が遠ざかる。わたしが最も頼りにする、耳という感覚器官が塞がれてしまう。怖い。けれど、耳がただの耳のままでは、わたしは今日、前に進めない。
「大丈夫」と耳元で茉莉の声が囁いた。「優里亜が音楽の中でコケるわけないよ」
 親友が、背後のどこかから見守ってくれている。見えも聞こえもしないけれど、その存在をたしかに感じた。わたしは深呼吸の後、ヘッドフォンの特別なボタンを一度だけ押す。
 一瞬の無音の後、音楽が始まった。

「転ぶことに慣れなさい」
 それが、幼少期からの母の教えだった。
 未熟児網膜症で視力のほとんどを失ったわたしに、彼女はそう繰り返した。
 今思えば、その言葉にはわたしの知らない沢山の含意があったのかもしれない。二十歳そこそこで故国を逃れて東京に来て、全身に深く染み付いたバレエの道も閉ざされた後、父と出会うまでに彼女はどれだけ苦労しただろう。きっと、わたしには話せない出来事がいくつもあったのだと思う。
「踊ることは転ぶこと。足がすくんでいたら踊れない。転びきらないうちに、また新しく転べばいいの。ずっと転び続けられるなら、それが踊りになるからね」
 母がわたしに与えたのはそうした言葉と、基礎的なバレエレッスンだった。物心がつくかどうかの頃からそれは始まり、13歳頃まで、週に数回の頻度でずっと続いた。
 母はリアリストであって、閉ざされた自分の夢を娘に押し付けるような人ではなかったと思う。視覚の制限に負けず行動するための身体訓練として、彼女が知る最良のものがバレエだったというだけだ。わたしにとっても、踊りは訓練以上の重要性を持たなかった。
 むしろ、レッスン中に聴く古今東西のバレエ音楽の方にわたしは惹きつけられた。父にねだって電子ピアノを買ってもらい、耳に残った旋律を鍵盤の中に探るのが、わたしの最初期の音楽体験だった。
 朝のレッスンを終えると、両親はわたしを自動運転車に乗せて、学校へ送ってくれた。そこは少しだけ特別な学校だった。わたしは自分と似たような境遇の、でも年齢はばらばらの子どもたちと机を並べて、PCに向き合って勉強をした。好きなのは理数系の授業だった。
 もちろん、わたしにとってPCとはモニターやマウスから成る機械ではなく、キーボードとヘッドフォンで構成された特殊な楽器のようなものだった。キーを叩くと、ヘッドフォンがその一つ一つを耳元で囁き、文章や方程式、数列なども読み上げてくれる。グラフが描く直線や曲線は、高低差のある滑奏音 ── つまりグリッサンドで歌ってくれた。
 学校からの帰り道、自動運転車の車内は母と二人きりの静かな空間で、彼女が最も優しい時間でもあった。
「車は、目が見えているの?」とある日のわたしは訊いた。
「どうしてそう思ったの?」と母は尋ね返した。
「だって、わたしと違って、一人でどこにでも走れるでしょ」
 数秒の沈黙があって、それから母はゆっくりと諭すように言った。
「わたしは詳しくないんだけどね、車にもカメラが ── 目があるの。でも、目だけで走れてるわけじゃない。光でできた大きな手で街を撫でて、ざらざらやでこぼこを感じるの。優里亜が点字を読むみたいにね。そうやって工夫して感覚を磨いていけば、できることがどんどん増えるんだよ。だから優里亜も、大きくなれば一人で街を走れるよ」
 わたしは嬉しくなって声を上げ、母は笑った。
 その日を境に、帰り道ではたいてい、母が車窓の風景を語って聞かせてくれた。
「ほら、つるつるの高いビルがあるよ。四角いのがぼこぼこしたビルがあるよ。オリガミみたいなビル、それに、編み編みの籠みたいなのがあって、丸い筒があって、石鹸の泡みたいなビルがあって、魚みたいなのもあって、それから ── 」
 特に用事がない限り、車は銀座通りを通った。母が語りきれないほど多様な建物がびっしりと並ぶ銀座という場所は、いつしかわたしの憧れの対象になった。

 銀座通りに立ち尽くして、わたしは音楽が始まるのを聴いた。
 その音楽に慎重なイントロなどない。無音から一気に立ち上がり、またたく間にわたしの両耳を覆い尽くした。
 耳を鍛えていない人には、それはただのノイズ、不協和音の炸裂にしか聞こえないかもしれない。なにしろ、ピアノの白鍵・黒鍵すべてを端から端まで同時に鳴らしたような音なのだ。
 いや、それ以上だ。ここで鳴る音は半音のさらに4分の1まで細かい音程に分かれていて、ピアノの鍵盤の枠内に収まるものでは到底ない。この瞬間の音を音符で記そうとすれば、真っ黒な棒が五線譜を縦に貫通することになる。最低音から最高音までおよそ350段階の高さの音が渾然一体となった密集音群 ── トーン・クラスターだ。
 それはのっぺりとしたただの音の壁ではなくて、たしかに音楽なのだ。音の高さごとに、はっきりとした強弱がついているからだ。訓練されたわたしの耳は、それを理解できる。
 わたしの右耳に、地を這う低音がぐっと迫る。
 ── つまり、わたしの右側、1メートル先の路上を、たった今誰かが通過している。
 わたしの左耳には、チェロに似た中音域の囀りが際立って、頭上から降り注ぐ。
 ── つまり、わたしの左側、2.5メートルほど離れた場所に、街路樹が立っている。隙間の多いその枝葉の広がりを、不揃いな音の群れが表現しているのだ。
 まるで大雨の中に誰かの声を聴き取るように、あるいはざらざらとした壁を撫でてレリーフを味わうように、わたしはトーン・クラスターの中に物体の気配を感じた。
 でも、ここまでは、音楽の始まりのほんの一瞬の情報だ。
 時間は流れ、音楽は持続する。
 真横から両耳に届いていたトーン・クラスターが、わたしの前方へと滑り進む。
 右耳では低音がふっと弱まり、逆に左耳では中音域の囀りに加えて、低音も圧迫感を増した。その意味は、考えるまでもなく分かった。わたしの右斜め前には今は誰もいないということ。左斜め前には、おそらく街路樹の幹があるということだ。
 それもまた一瞬の情報量だ。音楽はさらに進んだ。
 両耳それぞれに届くトーン・クラスターは、ほんの4秒間で、わたしの立つ地点から前方20メートルまで遠ざかり、ふっと減衰して消えた。
 その4秒で、わたしの脳裏にイメージが形成される。その区間に存在する人々を、街路樹を、街灯のポールを、歩道と車道を区切る低い段差を、わたしは音像として掴み取った。
 ここまでが、一小節。
 トーン・クラスターがまた耳元に発生し、真横から前方へと、4秒で遠ざかる。
 第1小節ではすぐ右隣にあった音像が、4秒後の第2小節では右斜め前にある。左手頭上で囀る音像は、第2小節では微妙に姿を変えている。つまりわたしの右側を誰かが追い抜き、木の枝葉は風にそよいでいるのだと、分かる。
 わたしはその場でじっと、8小節分を聴いた。
 およそ1kmに及ぶ銀座通り歩行者天国の、最初の20メートル。それが音楽になって8回変奏されるのを聴いた。その30秒あまりの間に、わたしの両脇を何人もの人が行き交い、街路樹は風に揺れた。わたしは音楽を介してその輪郭に触り、その姿を視た。
 これで、いける、と思う。
 わたしは足を踏み出した。次の8小節の中へ。街へ。

 両親の離婚の原因は ── 少なくともその一つは、わたしだった。
 わたしは13歳で学校に行かなくなった。
 学校といっても、12歳までの特別な環境とは違う。母は、わたしが普通の中高一貫校に通うことを望んだのだ。
 幼い頃からの訓練のおかげで、わたしは慣れた教室や廊下では誰の助けもなしに歩けた。手すりを伝い、足先で床の材質や段差を探って動くことができた。座学についても特別な配慮の必要はなかった。わたしはすでに自主的に高校の単元に進んでいて、中学の授業など退屈しのぎのラジオのようなものだったのだ。
 そんな努力が、かえってわたしを追い詰めてしまったのだと思う。
 同級生から見れば、わたしはきっと不気味な存在だった。“障がい者”であり、“ハーフ”であるだけでなく、目を閉じたまま何でもするするとこなしてしまう、無愛想な自動運転車か何かに見えたのかもしれない。わたしは恐れられ、遠ざけられ、孤立した。
 中学校の最初の半年間、わたしは校舎では一度も転ばなかった。誰にも助けを求めず、一人で歩いてみせて、そのまま登校する意味を見失った。
 残された拠り所は、音楽だった。
 バレエで親しみ、キーボードで理解した音楽は、その頃にはわたしの手足になりつつあった。作曲コンクールでいくつか賞を取った後、わたしは日々の鬱屈を表現するように、グリッサンドやトーン・クラスターを多用した複雑な音像を追求しはじめていた。
 同い年の松田茉莉と遠隔で知り合い、初めてやり取りをしたのも、その頃だった。
「優里亜くらい作曲できるなら、学校なんて行かなくても生きていけるでしょ」
 彼女の無根拠な明るさに、わたしは随分救われた。
「頑張って有名作曲家になってさ、お母さんとお父さんを安心させてあげようよ。大丈夫、優里亜の作風にぴったりの場所があるんだから。これからは音楽もメタバースだよ」
 その1カ月後、両手に触覚フィードバック手袋を付けて触れた茉莉の身体は、もこもこと柔らかい羊毛で覆われていた。背は低く、頭には硬くねじれた角が生えていた。わたしは初期設定のつまらない人型アバターでその場に来たことを、少し後悔した。
 世界中の音楽愛好家が集う、オンライン作曲・演奏・鑑賞空間、〈クセナキス〉。
 人と音に満ちたその仮想空間で、わたしは茉莉とともに音楽にのめり込んだ。
 ほぼ無限の広さを持つ空間に箱や筒、面、布、球、雲、針、紐といった“立体音符”を設置すると、それらは一定のルールに従って音を発振する。基本的には、基準面からの高さが音の高さに対応し、人と物体の距離が音量に対応する仕組みだ。
 立体音符を積み上げた坂を上れば、身体は上昇するグリッサンドに包まれる。
 立体音符の竹林を歩き回れば、トーン・クラスターが代わる代わる耳に飛び込んでくる。
 クセナキスは、その空間自体が巨大な楽譜であり、巨大な楽器であり、巨大なコンサートホールでもあった。わたしたちの身体は、その中を駆ける指揮棒またはシークバーだった。
 メタバースはわたしを優しく受け入れた。触覚手袋で触れるものはどれ一つとして、わたしを傷つけない。現実の部屋が片付いている限り、つまずいて転んで怪我をすることもない。アバターを被ったわたしは、そこではほかの全員と同じくユニークな存在で、“障がい者”でも“ハーフ”でもなかった。
 その空間で、わたしは生まれて初めて、自由と安心が両立する感覚を知った。
 でも、その分だけ、母との関係は苦しくなっていった。
 自室にこもって虚空に両手を伸ばすわたしの姿は、彼女の目には、つまづいて転んだまま起き上がらない人間として映ったのだと思う。
 母はわたしをはっきりと否定した。わたしを部屋から引っ張り出そうと、毎日のように口を出し、ときには手を出した。わたしの手首を掴み、部屋の外、学校へと連れ出そうとした。
 わたしはその手を振り払い、クセナキスで作った曲を最大音量でスピーカーから流して応戦した。
 家はしばらく騒音に満たされて、あるとき、ついに父が爆発した。
 以前から母の教育方針に批判的だった父は、わたしの側に付くことで、母と対決する口実を得てしまった。それは良くない戦略だったと今は思う。父と母、二人の間でならやんわりと解消できたかもしれない様々な諍いが、わたしの教育方針という一つの対立点に束ねられて、引っ込みのつかないものになってしまった。
 ある夜、両親の激しい口論が一度だけあった。
 あとは静かに心が離れて、離婚が決まった。
 それが3年前。わたしが15歳の頃だ。
「優里亜、父さんについてきてほしい」と父は言った。
「優里亜、父さんについていきなさい」と母も言った。
 意見の相違を山ほど抱えた二人が、その点だけは終始一致していた。
 それは、母よりも父の方がわたしを愛していたから ── というわけではない。わたしに苦労させまいとする両親の判断だった。父には大きな収入があり、母にはそれがなかった。

 父とわたしの新しい暮らしは、穏やかなものだった。
「優里亜は、優里亜の好きなように生きていいんだ」
 彼はわたしの作った難解な曲を、困惑しながらも聴いてくれた。茉莉のことも、彼女を通じてクセナキスで知り合った音楽仲間の話も、静かに喜んで聞いてくれた。母との強すぎた絆の代わりに、わたしは父との新しい関係を結び直していった。
 離婚後しばらくは、月に1、2回の頻度で、わたしたち3人は食事を共にした。でも1年が経ち、2年が経つうちに、その機会は少しずつ蒸発していった。わたしたちは次第に話題を失い、会う口実を失った。
 ── 母とわたしの人生は、このまま少しずつ離れていくのかもしれない。
 あるとき、ふとそう思った。
 まず感じたのは、安堵だった。メタバースに没入して複雑怪奇な曲を作り続けている自分を、母に弁明しなくて済む ── という感情だった。
 その後を追って、強い空腹感に似た寂しさが湧き上がった。
 ── 優里亜も、大きくなれば一人で街を走れるよ。
 いつか、母がそう言ってくれたのを思い出して、泣き出しそうになった。
 その言葉が嬉しくて声を上げたわたしのために、母は何度もこの手首を掴んでくれたのではなかったか。なのに、わたしはそれを振り払った。振り払ったことが、完全に間違っていたとは思わない。わたしはもう自分の生き方を見つけた。居場所と仲間を見つけた。無理をしてあえて転んで、傷や痣を抱える必要はないのだ。
 でも、せめて、わたしはもう大丈夫なのだと、そのことだけは知ってほしい。
 わたしはたしかに、転ぶことに慣れない不器用な娘かもしれない。
 それでも、転ぶことを恐れて何もできない娘ではない。だから安心してほしい。わたしがわたしの道を行くのを、呆れながらでもいいから、見守っていてほしい。単なる言葉ではなく、行動によって、母にそれを伝えたかった。
 そのための方法をわたしは考えた。
 そして結局は、母の言葉が大切なヒントになったのだ。
 ── 光でできた大きな手で街を撫でて、ざらざらやでこぼこを感じるの。優里亜が点字を読むみたいにね。そうやって工夫して感覚を磨いていけば、できることがどんどん増えるんだよ。

Artwork by Otama

 5月12日、土曜日の午後1時20分頃。
 銀座通りの歩行者天国。
 わたしは歩いている。確実に進んでいる。
 わたしの視覚の制約を周囲に伝え、いざというときに身体を支える白杖を携えてはいるけれど、それは舗装を撫でてもいない。わたしは音楽だけを頼りに、雑踏の中で人をかわし、路上のあちこちに置かれた椅子やテーブル、パラソルを避け、歩くことができていた。
 1小節の4秒間に前進できるのは、せいぜい3、4歩で、距離にして2メートル程度。歩みが慎重な分、速度は周りの人の半分ほどになる。トーン・クラスターの響きを記憶し、それを掻い潜るようにして足を進めると、次の小節ではまた別の音像が周囲に現れてくる。そんな運動を繰り返し、わたしはおよそ20分で600メートルを進んでいた。
「優里亜、いいペースだけど、無理しないで」
 ヘッドフォンから茉莉の声が聞こえた。今も見守ってくれているのだと思うと、それだけで少し安心が湧いてくる。
「ううん。調子を崩したくないんだ」とわたしは内蔵マイクに答えた。「それにさ、離婚した夫婦を道端に二人きりで待たせておくのも、悪いでしょ」
 雑踏の中を一人で歩きながら、冗談めかして話せる自分に、少し驚く。わたしはこの状況に慣れてきたようだった。
 重みでずれてきたヘッドフォンを直す。茉莉と一緒に作り上げた自慢のデバイスだ。その不格好さや重みさえ、愛おしく誇らしく感じる。

 わたしは準備に半年をかけた。
 茉莉に話を持ちかけるときが一番不安だった。現実の街を音楽に変換するデバイスを自作して、それで銀座通りを歩きたい ── などと言えば、きっと笑われると思ったのだ。
 彼女は実際、笑ったが、それは不思議とわたしを勇気づける笑い声だった。
 ── 要するに、クセナキスでの音楽鑑賞と理屈は同じでしょ。まあ、とりあえず試してみようよ。ウチも最近ヒマだったんだ。
 それから2カ月の間、わたしと茉莉はAIに山のように質問をぶつけながら、ハードとソフトの基本的な設計をまとめた。必要な部品は通販で簡単に揃った。小型の全方位カメラに、そこそこの性能の3次元光学式レーダー。どちらも自動運転車に搭載するものの廉価版で、一部のマニアがロードバイクの運転を自動化するための機材だ。
 次の2カ月は、茉莉が見つけてきた組み立て業者とのやり取りに費やされた。わたしたちの設計はプロから見れば滅茶苦茶だったらしく、結局はほとんど業者に弟子入りするようなかたちで、ハードもソフトもいちから考え直すことになった。
 どうにかヘッドフォンが出来上がると、残りの2カ月は訓練と段取りだった。
 わたしにとって大きな出来事は、二つ。一つは初めて茉莉と直接会ったことだ。本物の彼女の声は聞き慣れたものだったけれど、握手した手は羊毛に覆われてはおらず、触覚手袋で感じるよりもずっと温かかった。茉莉は週に何度も埼玉からわたしの家に通い、近くの公園で、ヘッドフォンを付けた空間把握と歩行の練習に付き合ってくれた。
 もう一つの出来事は、父の説得だった。わたしは練習中に額にできた痣や、掌にできた傷を隠し、絶対に安全にやるからと泣きついた。
「優里亜もやっぱり、あの人の娘なんだな」
 ついに折れたとき、父はそう呟いた。

 そんな道のりの末に、わたしの耳はようやく、街を聴きはじめている。
 雑踏ではなく、街そのもの ── 銀座通りの両側に立ち並ぶビル群の音楽を、聴き取れるようになってきていた。
 街並みはトーン・クラスターの奥に引っ込んで隠れている。人やパラソルや街路樹を示す低中音域の音像にほとんどかき消された、弱くてのっぺりとした音の背景だ。
 それは、古い録音の隙間に満ちるノイズに似ている。音楽の細部をぼかしてしまう、邪魔な情報にも感じられる。
 でも、本当はそのノイズの中にこそ、銀座通りが広がっているのだ。
 両耳を覆う音の遠景に向けて聴覚を引き絞ると、段々とその細部が聴こえてくる。ただの音の壁に思えたところに、くっきりとした凹凸が立ち上がってくる。複雑だがたしかに音楽的な構成だと感じられるものが、そこに現れた。
 わたしの左右、それぞれ十数メートル先にびっしりと並ぶ、ビル群のファサード。
 幅も高さも分割の単位も様々な、その無数の造形物を、わたしは音楽として聴く。
 外壁を縦に貫くマリオンの連なりが、ザッ、ザッ、ザッ、と拍子を刻む。リズムは頻繁に、つんのめるように別のテンポに変わる。それは建物の境界なのだと分かった。
 各階を仕切る横桟や、軒の水平線が、リズムの間で不思議な和音になっている。建物が変われば和音も変化する。行き先の読めない、スリリングなコード進行だ。
 わたしの歩みとともに変化しながら繰り返される小節の中で、ビルの出入り口は低音域の休符になる。それがトーン・クラスター全体に不規則なうねりを生み出している。わたしの身体は次第に、ゆらゆらと波に乗りはじめた。
 そして、人よりも街路樹よりも遥かに高い場所で、風が歌っていた。立ち並ぶビルが作るスカイラインが、トーン・クラスターの最上部で上下する旋律になって、わたしの両耳に降り注いでいた。
 銀座通りのすべてが、ヘッドフォンを介してわたしに流れ込み、わたしの脳裏で溶け合った。街並みのリズムを、コード進行を、グルーブを、メロディを感じると、その手前で蠢く雑踏の低い音像さえ、一つの音楽にまとまりはじめた。
 わたしはもう、歩くのが怖くない。
 行き交う人々はもう障害物ではない。ただの音像の群れではなくなっていた。わたしの身体を突き動かす、気ままな打楽器だ。
 自分の歩調が、徐々に加速しているのが分かった。
 あと15分もこのまま歩けば、わたしは歩行者天国を歩ききれる。音楽で街を撫でて、誰ともぶつかることなくゴールに辿り着ける。
 その先には父と ── 母が待っている。
 ── わたしはもう大丈夫。ごめんなさい。ありがとう。
 言葉では足りない。わたしの音楽を、二人にも感じてほしいと思った。
 昔、母が少しずつ語って聞かせてくれた街を、今はわたしだけの仕方で聴いている。自動運転車の揺りかごを出て、メタバースの音楽室からも出て、でもそれらの中で培った自分自身を抱えて、わたしは街を歩いている。
 身体の内側から衝動が湧き上がった。
 わたしは自然と踵を浮かし、小さく両腕を広げた。そして軽く跳ねるように、半ば踊るように、加速した。
「ねえ、優里亜、大丈夫なの?」
 耳元で茉莉の声が息を呑んだ。
「ちょっと、一旦止まって。転んじゃいそうだよ」
「いいの、大丈夫」
 わたしの身体はバレエを知っていた。意識して爪先立ちになることすら数年ぶりで、足さばきは実にぎこちない。それでも身体は、音楽の一部になって、重心を滑らかに運ぶ感覚を忘れてはいなかった。
「わたしはもう止まらないよ。転んでも、転びきらないうちに、また新しく転べばいいんだ。ずっと転び続けられるなら、それが踊りになるから」
「何言ってんの」と茉莉が呆れた声を出した。
「何言ってんだろうね」とわたしは笑った。
 地面に倒れれば怪我をする身体で、わたしは銀座通りを突き進んだ。
 メタバースのアバターではない。現実の重力を受ける身体だ。生まれた境遇から簡単には逃げられない、否応なく特徴づけられたわたしの身体だ。
 その身体を産み育てた人の胸に抱きとめられるまで、わたしは街と踊り、歩き続けた。

津久井五月|Itsuki Tsukui
SF作家
1992年生まれ。東京大学・同大学院で建築学を専攻。2017年、「天使と重力」で第4回日経「星新一賞」学生部門準グランプリ。公益財団法人クマ財団の支援クリエイター第1期生。『コルヌトピア』で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞。21年、「Forbes 30 Under 30」(日本版)選出。作品は『コルヌトピア』(ハヤカワ文庫JA)、「粘膜の接触について」(『ポストコロナのSF』ハヤカワ文庫JA 所収)、「肉芽の子」(『ギフト 異形コレクションLIII』光文社文庫 所収)ほか。

※本作品は2025年5月23日までの掲載となります。

▶︎「まちのテクスチャー」記事一覧

主催&ディレクション
NTT都市開発株式会社
井上 学、權田国大、吉川圭司(デザイン戦略室)
梶谷萌里(都市建築デザイン部)
 
企画&ディレクション&グラフィックデザイン
渡邉康太郎、村越 淳、江夏輝重、矢野太章(Takram)

コントリビューション
深沢慶太(フリー編集者)