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続・闘病ノート②

一発のおならが発射されるのを、これ程迄に待ち焦がれた事は、四十有余年の我が人生において初めての事であった。 手術後の経過は良好であったが、一つだけ懸念事項があった。それは、手術終了後、丸三日間、肛門からの排ガスが途絶えたことである。 お通じがないまま7回食事をした。手術前に胃腸を空っぽにしていたとはいえ、流石にだんだん食べるのが苦しく感じられるようになってきた。食べたものが渋滞して奥に進まず、あまり空腹を感じないのである。最後の方の食事では、野菜や汁などをよく咀嚼して何と

    • 続・闘病ノート①

      前回、胆嚢にドレーン管を繋いだまま退院したのは5月27日のことであり、今回胆嚢摘出手術のため入院したのは6月23日のことであった。27日間の不便さは、シャワーを浴びる時にドレーン管接続部に防水保護処置を施すのが面倒だったくらいで、あとは急な体調悪化を避けるために只管消化の良い飲食を心がけていた。毎日の主食は粥と葛湯にした。これが意外と腹持ちが良い。青汁も毎日摂取していた。魚肉野菜等はよく咀嚼してから嚥下した。前回の入院時に病院食を見て感じたのは、人が生命を維持するのに必要な栄

      • 闘病ノート⑧

        急転。 全ては順風満帆に進むかと思われた木曜日(5月27日)の手術予定であったが、呆気なくキャンセルされてしまった。急患が入ったのだという。私の状態は安定しており、一刻を争って手術をしないと命に関わるわけではないので、当然後回しにされる。医療リソースが限られた中で優先順位をつけられてしまうことは致し方ない。しかし、こちらにも予定というものがあり、無為に病床で安逸を貪っているわけにもいかない。特に今は私の個人的な特殊事情が治療に専念することを許さないのである。聞けば、手術可能な

        • 闘病ノート⑦

          週末は特に何も無かった。 特記するとしたら、重湯から始まった配食が、三分粥、五分粥とグレードアップして、ついには白米となり、おかずもそれに伴って少しずつ豪華になっていったことと、点滴が外れ、時々抗生薬を投入するくらいになったお陰で、両手の自由が利くようになったことくらいだ。 月曜日に外科医師と手術について面談する予定であったが、その日、病院内で緊急案件があったようで面談は出来ずじまいだった。私にとっての問題は手術の日程がいつ組まれるかということで、余り長期にわたって入院し

        続・闘病ノート②

          闘病ノート⑥

          ついにその時が来た。 5日半に及ぶ絶食が解かれたのである。 出てきたのは僅か一杯の重湯と林檎ジュースのみ。しかし、これがどれほど美味いか。 重湯一杯で気力が漲る。 長期にわたる断食修業で憔悴しきった釈尊に一杯の乳粥を恵んだ女性の名前が遥か後世まで残り、遠東の島国にその名を冠した大手乳業会社まであるということの理由が分かった。絶食後の粥が美味いからである。ちなみにスジャータはネパールではありふれた女性の名前である。 林檎ジュースもよい。甘味はやはりよい。 昨日(5月21日

          闘病ノート⑥

          闘病ノート⑤

          闘病ノートを書くモチベーションが低下している。理由は分かっている。私は今病と闘っていないのだ。闘病とは痛みに耐えることだと最初に書いたが、今は私を眠らせないほどにさいなむような痛みや、筋肉の動きを邪魔するほどの痛みを感じていない。胆嚢にドレナージを施術してもらったため、右脇腹に管が刺さった状態ではあるが、起き上がるとき以外は強い痛みは感じない。少し違和感があるだけだ。そして、一旦起き上がってしまえば、ゆっくりではあるが二足歩行ができるし、自分で排尿排便もできる。とはいえ、積極

          闘病ノート⑤

          闘病ノート④

          入院一日目の夜は七転八倒の続きであった。前日との違いはナースコールがあることである。苦しい時に看護してもらえるというのは本当に有り難いことだ。点滴で鎮痛剤を入れてもらうと痛みが和らぎ眠りに落ちる。しかし、1〜2時間で鎮痛効果が消えてしまうため、また看護師を呼ぶ。その繰り返しが朝まで続くのだ。1回だけ少し強めの鎮痛剤を入れてもらったが、顔が痒くなった。弱いアレルギー反応があったようだ。それでも薬が効いている間はぐっすり眠ることができる。鎮痛剤のおかげで寝ている間はよく覚えていな

          闘病ノート④

          闘病ノート③

          「闘病」とは、文字通り、痛みに耐えることである。いつ止むとも分からない間断無く襲ってくる痛みに対して、ひたすら耐える、我慢するということだ。このことは「病と闘う」という抽象的な表現からはなかなか想像し難い。実際に自分が当事者となり、痛みに耐えているときにこそ、初めて他者の痛みをも自分の問題として捉えることが可能になる。医療制度の充実がどれほど重要であり、国民皆保険制度が如何に貴重であり、医療崩壊など絶対に有ってはならないということが分かる。あの新自由主義者のハイエクでさえ、医

          闘病ノート③

          闘病ノート②

          3年ほど前に体験した腹部と胸部の痛みは、実は今回の入院に先立つ10日ほど前にも再発していた。正確な日付は覚えていないが、全く同じ部位が痛んだことは、はっきりと記憶している。そのときもストレッチを行い、市販のピリン系鎮痛剤を服用したら、朝に目が覚めるときにはすっかり良くなっていた。それは未来を知る者からすれば、明らかに「予震」であったが、その時も容易に解決できたので、全く油断しきっていた。運動不足等が原因で時々ふくらはぎを攣るのと、さして変わらぬものと認識していたのである。また

          闘病ノート②

          闘病ノート①

          災いは突然にやってくる。 病気というものは、ある一定程度まで進行した時に発症して、急に顕在化するのである。健康であることの有り難みは、普段さほど意識はされない。その人なりの身体機能が正常に作用している間は、身体動作の多くは無意識のうちに行われるためである。それがある日一変すると、人は病というものを自覚し、健康に過ごしていた日々の輝きに気付かされるのである。 普段の生活の中でも、時々、熱が出たり、頭痛になったり、風邪で鼻や咽喉の調子が悪かったり、胃腸の不調による下痢や便秘に

          闘病ノート①