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インドの悪魔と闘う、日本のお坊さん?書籍「世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う」見どころと感想②

前回記事で概要を紹介しました。日本出身インド在住のお坊さんに関する書籍の紹介です。

本日は、書籍中で面白かった章の内容を紹介して行きたいと思います。

オススメの章:「悪魔祓いに孫の手を」

佐々井氏は、とても偉大でインド政府からも恐れられる人ではありますが、インドの街の人々にとっては、気軽に悩み相談に乗ってくれる心優しいお爺さんです。尊敬されているのに、親しみやすい。なので、年がら年中悩み相談をしに訪ねてくる人でたえないそうです。
この章「悪魔祓いに孫の手を」は、そんな佐々井氏の日常を象徴するようなエピソードです。

「姪に悪魔祓いをしてほしい」

そんなある日、佐々井氏の元に中年男性が訪れ、「姪2人に悪魔祓いをしてほしい」という相談をしてきます。
なんでも、姪たちは弟の娘なんだけれど、弟を憎む奴が姪に呪いをかけたとか。結果、姪たちの言動が悪魔に憑かれたような感じに変化してしまい、どうしようもないと。(とは言っても、試験に弱くなったり急に泣き出したりぼーっとしていたりみたいな感じ)
既に犯人は判明しており、姪たちを呪った形跡のある祠まで見つかっていたようですが、警察に訴えても取り合ってもらえないので、佐々井氏に頼ることになったようです。
佐々井氏を取材していた筆者が、「彼は仏教に改修しても悪魔を信じているんですか?」と質問すると、佐々井氏は「お前はインドのなにもわかっておらん」と憤慨します。

「仏教とはなんの関係もない、インド土着のものだ。貧しい民衆の間に横たわる深くて暗い闇は昔から変わらない。この国には深く根を張っておる。」

白石あずさ「世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う」, 文藝春秋, 2019年6月, 40ページ

佐々井氏の考えが凝縮された言葉だと思います。
ただ、ヒンドゥー教から仏教に改修させるだけでは問題は解決しない。
インドで生きる恵まれない方々の問題に一つ一つ向き合い、寄り添いながら一緒に解決していく姿勢こそが、佐々井氏が民衆に愛される理由でしょうか。

結局、佐々井氏はおじさんからの「悪魔祓いをしてほしい」という願いを聞き入れることになりました。

客先で出された食べ物は食べるな

悪魔祓いを見学しに同行した筆者は、事前に佐々井氏から「家で食べ物を出されるかもしれないが、決して食べるな」と警告されます。
民衆からは本当に慕われている佐々井氏ですが、彼を慕う民衆のほとんどは貧しい人々です。
佐々井氏は、民衆を救う過程でいろんな権力を敵に回してきました。佐々井氏の支持者は数多くいますが、敵の数も少なくありません。しかも、政府やヒンドゥー教の有力者。貧しい人々に金を握らせれば、弱い人は操られてしまうでしょう。現に、弱い民衆を使った暗殺未遂のようなことは過去にもあったようです。
だから、困った人々を救うのも命懸けです。毒物混入を警戒し、食事を振る舞われても誤魔化して食べない決まりだそうです。

デタラメな悪魔祓いでも人は救える

姪たちが待つ相談者の弟の家に訪問した佐々井氏。
姪2人と対面し、佐々井氏はベッドに座り、ベッドの隣に姪2人が座る格好となりました。

佐々井氏は大きな声で日本語のお経を唱えながら、なぜか娘のうち1人の頭を、持っていた孫の手でポクポクと叩き始めました。
孫の手は、佐々井氏がいつも背中を掻いていたものだそうです。

それから1時間程度、佐々井氏は娘を孫の手で叩きながらお経を唱え続けました。
その間、なぜか頭を叩かれていない方の娘がいきなり大声で泣き始めます。泣くのをやめろと家族に言われても、なぜか止まらず。泣き声というか、獣の唸り声のように変化していく。悪魔が苦しんでいるようにも聞こえたようです、
また、筆者は、佐々井氏が唱えているお経が、佐々井氏の宗派である真言宗とは別になっていることに気づきます。よく聞くと、お経はどんどん宗派別のものに変化していきます。

1時間でお経は終わり、娘たちに聖水をかけ、なにかオブラートのようなものを娘に食べさせ、家のあちこちにお札を貼り、悪魔祓いは終了しました。

あとで佐々井氏に筆者が質問したところ、下記のことがわかりました。

  • お経は、真言宗、天台宗、日蓮宗等の日本の八宗派の最強のお経を全部唱えた

  • 娘に食べさせたオブラートのようなものは、日蓮宗の坊主がお経を書いた護符

  • 孫の手は最強。背中も掻けるし、インド人からはなんかすごい杖みたいに思われている。ご利益があると信じて、体の悪いところを叩いてほしいと懇願するインド人もいるらしい

つまり、悪魔祓いで行われていたことは、悪く言っちゃえば全部デタラメだったわけです。
悪魔を信じない佐々井氏なりに、それっぽい儀式をして家族を安心させた感じでしょうか。
それでも、「あの佐々井様に悪魔祓いしてもらえた」という事実だけで、家族はだいぶ救われたのではないでしょうか。

佐々井氏は真言宗だったはずなのに、お経は宗派ごちゃまぜ、護符も日蓮宗なのはなぜか、と筆者が突っ込んだところ、こんな言葉が返ってきたそうです。

どこの宗派でもいい。日本の坊さんは、宗派で対立していて連携もしないが、俺は宗派なんて関係ない。真理は全部、一緒だ。

白石あずさ「世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う」, 文藝春秋, 2019年6月, 44ページ

 なかなかいい言葉だと思います。仏教に限らず、キリスト教等でも宗派による争いって絶えないですが、本当はどれも根本にあるものっていうのは変わらないはずなんです。人や魂を救うために宗教はあり、それ以外の部分は飾りだと思います。そんなところで、「考えが違う」「派閥が違う」と、自分の行動を縛り付けてしまえば、救えるものも救えないですよね。
この柔軟な考え方を、いろんな人が身につけていけるといいんじゃないかと思います。

佐々井氏の元には、年がら年中、このような相談が絶えないそうです。
一つ一つに向き合い、馬鹿馬鹿しいことにも真摯に対応するその姿勢が、民衆に愛される秘訣なのかもしれません。

悪魔に取り憑かれた家族のその後は書かれていませんが、便りのないのは良い便り。きっと悪魔を追い払えたことでしょう。

まとめ

この本には、こんなエピソードがたくさん詰まっています。

偉大な人物ですが、この本を読む限り、剽軽でぶっきらぼう、しかし優しさ溢れる親しみやすいお爺さんだということがわかります。
偉人の伝記を読む感覚でも、日々の面白エッセイを読む感覚でも存分に楽しめる一冊。
是非、手にとってみてください!
Kindleでも読めますが、ページを捲りながら、複数ページを行ったり来たりしながら読むのが楽しい本なので、是非紙の本をお試しください。

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