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「ドン底のあなたへ」人生終わりかけた話をしようか

初めまして、うえぶーと言います。

子ども3人を養ってるしがないサラリーマンです。

現在、副業ではそれなり稼いでいます。

本業が400万で副業が2023年で900万ほどありました。

これを書いている2024年の3月で、すでに500万弱稼いでます。

少し自慢っぽく聞こえますが、それなりの行動してるから当然だと思っています。

今でこそこんな感じになってますが、5年前は地獄でした。

それこそ人生の岐路に立たされてた。

断崖絶壁、一歩踏みはすせば「死」

まさにそんな状況。

てかほぼ終わりかけてました。

今回の話を聞いて、少しでも前に進む勇気を持っていただければ嬉しい。

5年前、仕事はそれなりに一生懸命やってはいたが、上がらない給料に不平不満を垂れ流していた。

クソみたいなクレーマーの対応、理不尽な上司からの詰め。

メンタルすり減らしながら頑張っても年間の昇給額は2,000円。

やり場のない気持ちを晴らすため、同僚とよく飲みに行っていた。

飲みに行っては会社の文句を言うだけのクソ飲み会。

今思えば、同僚と同じ気持ちを共有することで自分を安心させていただけ。

当時は月2万のお小遣い制だったので、数回飲みに行ったら無くなってしまう。

家で不平不満を垂れ流せば良いだろと思うかもしれないが、僕はそうしなかった。

僕の父がそういうタイプだったので、それを見ていたから。

父は営業職だった。今だから分かるが、ストレスは死ぬほど溜まってたと思う。

そんな状況でも仕事の話は家では絶対しない。

ちなみに飲み会なども一切行かない。

まっすぐ家に帰ってくる。

そんな父がカッコ良く見えたので、自分も同じようにと考えていた。

でも僕は弱かった。

飲み会で愚痴をこぼすことでストレス発散していた。

飲みにいく回数が多くなればなるほど、当然お金もキツくなってくる。

妻に飲み代が欲しいとは言えなかった。

そして、ある仕事の帰りにパッと目に入ったマルハン。

吸い込まれるように入っていった。

そうや。パチンコで飲み代稼ごう。

軽い気持ちで入ったが、たまたま5万勝ってしまった。

お小遣い2ヶ月分。

その日の帰りは気分が乗って、妻にハーゲンダッツを買って帰ったことを思い出す。

バカだったので、その一回で楽勝だと思ってしまった。

軽い気持ちで入ったのに、そこからのめり込んでしまった。

飲み代がなくなったらパチ屋へ行く。

そんな毎日を過ごしていた。

ただ、パチプロでもなんでもないので当然プラスになることなんてない。

増やすはずが、お小遣いを使い果たすようになっていた。

この時には完全にギャンブル依存症。

寝ててもパチンコの音が耳元で流れてる。

しかしながらお金がない。

妻にお小遣い無くなったからくれとも言えない。

そしてあろう事か、プロミスに吸い込まれて行った。

頭に中ではそれだけはまずいとは理解している。

でも止められなかった。

これが依存症の怖さだと今なら感じる。

借入限度額50万で契約し、最初は3万を引き出した。

その3万を持ってパチ屋へ。

3万くらい稼げたら借りた3万返してチャラにしよう。

そんな生クリームみたいな甘ったるい気持ちだった。

案の定、3万はあっという間に消えていった。

そしてさらに追加で3万借りる。

それを永遠繰り返して、限度額の50万に到達してしまった。

その頃にはもう感覚がバカになってる。

まぁいつか勝って返せるだろうと。

いつしかパチ屋に行く目的が、飲み代を稼ぐことではなく借金を返すことになっていた。

借金を返すためにさらに上限をアップさせ100万へ。

結局、100万もあっという間になくなった。

消費者金融の怖いところは、返しても返しても元本が減らないことだ。

なけなしのお小遣いで利息だけ返していく。

給料も増えないのでお小遣いも増えない。

完全に抜け出すことができない沼にハマっていた。

でも心のどこかでは「まぁなんとかなるだろう」とも思っていた。

ちょうどその頃、新築の話が妻から出た。

妻の実家の隣の借家が売りに出されるという話だ。

ボロボロで今でも潰れそうな借家。

そこの地主さんが売りに出すという話を妻の母が風の噂で聞いたみたいだ。

妻からすれば、実家の隣に住めるほど好都合なことはない。

早速、地主さんに妻はアプローチしました。

ただ、僕は分かってた。

プロミスでお金借りると住宅ローンの審査に通らない。

分かってはいたけど言い出せなかった。

今すぐ話すべきなのも分かってた。

その間も住宅展示場に行ったり完成内覧会に行ったりと、どんどん家への気持ちが高ぶってくる妻。

家でも新築の話ばかり。

僕の心臓は張り裂けそう。

話はどんどんどんどん進んでいく。

そして、悩んで悩んで選んだオシャレな工務店。

ついに打ち合わせが始まった。

間取りや仕様にワクワクしながら夢が膨らんでいく。

僕にとっては地獄でしかなかった。

妻のテンションが上がっていくたびに僕の心臓が締め付けられる。

「言わないと言わないと…」 心の中ではずっと思ってた。

でも結局言い出せず、 そのままローン仮審査申し込みへ。

結果が出るまでの2週間は家に居ても心ここに在らず。

マジで上の空状態。 ぼ〜っとしてた。 飯も喉を通らなかった。

「なんか痩せた?」 なんて妻に言われるくらい徐々に体重落ちていった。

あと2週間後には人生終わってしまうかもしれない。

それくらい妻は楽しみしてたし、結婚した時からの夢だった。

でもやはり最後まで言えなかった。

想像しただけで怖かった。

そして、ついにその時を迎えてしまった。

工務店から連絡が入った。

「お伝えすることがあるので奥様と事務所に来れますか?」

家族みんなで事務所へ。

何を思ったか、担当の声のトーンから「もしかしたらもしかするかも… 」なんて淡い期待を持ってしまった。

そして6人席の長椅子に家族で座る。 僕は真ん中。 妻は僕の左隣に座ってテンションは高めだった。

出されたあったかいお茶を飲みながら心拍数が上がっていくのが分かった。

そして担当が席についた。

「本日はお伝えすることがあります」

顔の表情、声のトーンから 一瞬で悟った。

終わった…。

そしてついにその時が来た。

「住宅ローン仮審査通りませんでした」

「何か心当たりありますか?」

手汗脇汗、汗という汗が体中から滝のように出てきた。

そこからの記憶はほとんどない。

帰ってから正直に話した。

妻が号泣した。 裏切られたと。

発狂してる。

1週間口を聞いてもらえず仕事から帰ると机に離婚届けが置いてあった。

置き手紙もあった。

これ書いてさっさと地元に帰ってくれと。

もう同じ空間にいることが苦痛でしかない。 ゆるさないと。

家は地獄絵図のようになってた。

とにかく今は出るしかないと必要最低限のものを持って家を出た。

家に帰れないので車中泊や満喫で寝泊まりしてた。

もしかしたら一生家族と会えないかもしれない。

会わせてくれないかもしれない。

スマホで子ども達の写真を見るたびに涙が止まらなかった。

スーパーで買った安い飯を食いながら涙が溢れてきた。

心臓が張り裂けそうだった。

ここではじめて自分はとんでもない過ちを犯してしまったと思った。

家族がいることがあまり前じゃないんだと思った。

当たり前がどれだけ幸せなことだったかを悟った。

もし、このまま家族と離れて子ども達に会えないくらいなら死んだ方がマシだし楽になる。

本気でそう思った。

でもここで諦めたらそれこそ一生後悔することになる。

だから今できることは全力でやろう。

どうなっても後悔ないようにしよう。

そこからは、ありとあらゆることをして何とか帰れるよう必死になって行動した。

人生かかってるからなんでもできる。

逆に不思議な気持ちにもなった。

「あれ…俺こんなことできるんや」

普段なら絶対やらないであろうことも間髪入れずやりまくった。

それが妻に伝わったのか帰ってこいと言われた。

帰って来たことに気づいた子ども達。

まだ小さかったけど目を輝かせながら飛びついてきた。

長男は嬉し泣きしてる。

僕も我慢できず抱きしめながら号泣した。

「ごめんなぁ…」 「寂しい思いさせたなぁ…」

なぜか妻も泣いていた。

あとで聞いたけど、僕が居ないのは仕事で遠くに行ってるからと子ども達には伝えてたそう。

一回だけチャンスをやると言ってくれた。

あれから5年


妻の夢だった家を建てた。

長女が誕生した。

副業で1,400万稼いだ。

子ども達に好きな事をさせてあげられるようになった。

妻にパートを辞めてもらって好きな事をさせてあげられるようになった。

妻に離婚しなくて良かったと言ってもらえるようになった。

今では感謝もされてる。

僕自身、会社に依存せず家族時間を1番大切にできるようになった。

今では「あんな事あったなぁ」と 笑い話になってる。

僕は思った。

ピンチはチャンスなんだと。

人生ドン底でも諦めなければ必ずいい方向に進む。

下がった分、喜びも成長も倍になる。

今の痛みは成長痛だと思って諦めず頑張ることが大切だと。

だから今ドン底にいる人も絶対諦めないで欲しい。

血反吐吐きながらでも地に這いつくばってでも諦めなければ人生は好転します。

5年の間に何が起こったのかはこちらから続き見れます↓

〉〉空白の5年を語ります

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