I Love you baby

人生観を変えるとか聞いたりするが、
人のそれを聞くのは結構興味深かったりする。

以前の職場で7年ほどブログを
書いていた時期があり
文字を書くことは実は好きだったり
するのだけども、

今は忙しさにかまけて
あんまり長文を書く事は
無いようにしている。

そんな僕が
初めてこのNoteでブログっぽい事を
書いてみようとしているのは
文頭の言葉に繋がるからだ、、

チバさんが死んだ。

今現在、
この文字を書きながらも
目頭から溢れるのを堪えきれない。

今の僕には
心の整理という時間が必要なのだ。

40を過ぎたオッサンが
更にオッサンが死んだことに対して
しかも、身内でもないのに
こんな感情を抑えきれないのは
もはや好きとか憧れって言葉で
収めるのは難しいのだ。

気が付けばチバさんも55歳になっていた。
僕の亡くなった父も確か55くらいだったはずで

あのときも感情をコントロールするために
泣きながらブログを書いていた記憶がある。

僕にとってはそれほどの
存在だったんだ。

訃報を聞いてから
色んな人がコメントを出してるけど
おしなべて文字数は少なめな印象だ。

おそらくチバさんと直接面識がある人ほど
短い気がする。

僕は当たり前だけど
知り合いではないし
ただ一方的に憧れていただけ。

でも人生観を変えるって言葉で言うのなら
この人の世界観の音楽はまたに
僕のそれに当たる。

僕の初めての出会いは確か18の頃くらい
だったと記憶している。

当日、コア系ブームで激しめのロックを
好んで聴いてはいたが、
高校を卒業し、大学に進学するに当たり
自分自身の新たな変化を求めていた時期だった。

北谷にあったキンマニってクラブ(懐かしい!)で、仲良くなった女の子と
音楽の話をしていたときに

「ミッシェル聴いてる?」
って聞かれて
あ~、なんか聞いたことあるけど
聴いたことはないな〜

なんて話てたら
「ミッシェル聴かなきゃダメだよー!」
的な事を言われた気がする。

22年前の出来事を未だに鮮明に
覚えているのだ。

そして、それからしばらく経ち
ある日TVを付けていたら
NHKでとあるバンドがLIVEをしていた。

これが僕とチバさんとの初めての出会い。
ROSSOだった、
実は入口はROSSOだったんだ。

サンタクロースが死んだ朝に

っているシャロンの出だしの歌詞は
19歳の頃の僕の心に引っかかって
未だに取れていない(笑)

そして、そこから当日活動休止中だった
ミッシェルを聞き、
スモーキン・ビリーで覚醒して
そこから今に至る。

ミッシェルは僕の古くの友人である
アラカキってやつがいて
彼が言うには
ミッシェルのアルバムはストーリーが
あるからいいのよ

っていう通な聴き方をしてるなって
思っだんだけど
実際にアルバムを聞いてみると
確かにそうだった。

音楽でストーリーを作れるってのを
知ったのもミッシェルだった。

だからこそ
2003/10/11

幕張メッセでのラストヘブンは
沖縄から行こうかと本気で迷っていたが
大学生と金が無いという理由で
泣く泣く自分自身を納得させたと記憶している。

因みにミッシェルのメンバーには
チバさんより先に鬼籍に入った人がいる。

ギターのアベフトシ

もう10年以上前に亡くなってしまったんだけど、ミッシェルはこの人のギター無くしては
成り立たなかった。

ミッシェルは勿論だけど、
フロントマンのチバユウスケが
いないと成り立たないけど、

それ以上にアベが居ないと
成り立たないバンドだった。

チバはどこで誰とバンドを組んでも
チバで居られると思っていたけど

アベはミッシェルでしか
アベで居られなかった。

実はこのアベフトシが亡くなった年も
たくさんのロックスターが星になった
年だった。

マイケル・ジャクソン
川村カオリ
忌野清志郎
フジファブリックの志村

特に最後の志村さんは
クリスマスの日に亡くなったと記憶してて
彼らは次の日本の音楽シーンの
先頭を切るはずだったバンドだった。

今はフジファブリックは
当時のギターがボーカルも兼任して
バンド活動を続けていて
カッコいいんだけど
失った人がデカすぎた。

Birthdayもまさに同じことで
チバの代わりなんて、
一体誰ができるかと。

だからこと
訃報の出たタイミングで
バンドとして解散はせず
活動を終了するって
ヒライくんが言うになったと思う。

突出した才能やカリスマな存在の人は
それこそ唯一無二って言葉があるけど
変えが効かないわけで
死んだら終わりってことなんだ。

知り合いで屋敷さんっていう
音楽大好きな先輩が居て
宮崎訛の面白い人なんだけど
LIVEが大好きで自分でイベント主催
してた人が言ってた。

「ヨシタカくん、LIVEは行ったほうがいいよ、
死んだら終わりだよ」

そのセリフが走馬灯の用に
頭の中を駆け巡る。

そんな屋敷さんの生涯忘れられない
LIVEはなんですかって聞いたら
「やっぱり尾崎豊だろうね〜」
って言ってた。

本物だ。

今年もたくさんの著名人が死んでいったね。

チバユウスケって人は
なんか僕の中では
ロックスターでは無いんだよね。

ロックスターって言ったら
僕の中では氷室京介とか
吉井和哉がそんな気がするんだけど
チバはなんか違う。

チバが好きだったパブ・ロックって
音楽自体が古びたイギリスのパブで
やってた音楽で、

どこか田舎臭さを感じるような
音楽だったようで、
それの影響もあるのか

それでもミッシェルの頃の
モッズスーツにとてつもなく憧れた。

でも別にスターではない。

何なんだろうこの不思議な感触。
新しいジャンルなんだよね、
チバユウスケってジャンル。

にしても昔、TVでBirthdayが
観客の前で取材を受けている時に観客に
チバユウスケの漢字を教えてって聞かれてて

ちょっと考えてから、
ヤダ、言いたくない
って言ってたのを思い出す。

なんか無邪気なんだよね

LIVEはあんなに痺れて
スタイルも良くてカッコいいのに
なんか垢抜けないというか。

いや、勿論
僕なんかより全然都会の人なんですけどね、

僕も40を過ぎて人生折り返しに
入ってきたけど
自分が青春時代って言われる時期に
チバユウスケって人の
音楽に触れ合えて本当に良かった。

リアル・タイムで追いかけることが出来て
本当に幸せだった。

晩年は病魔に侵されてしまって
望むような生活や生き方はできなかったど
思うけど、

ハイネケンとタバコを愛して
さっさと旅立ってしまいましたね。

死んだとしても
生きてた証を残せる
人ってカッコイイよね。

どんなに書き連ねても
安っぽい言葉にしかならない。

I Love you baby

なんてそれこそこんな陳腐なセリフを
日本一カッコよく言えるのは
チバユウスケ以外に絶対に居ないと思う(笑)

あの頃の僕の心のスキマを
ミッシェルはチバユウスケは
ガッチリと埋めてくれました。

どこまでチバを憧れればいいのか
分からないけど、
アナタは永遠の憧れです。

どこまでどう書き綴っていけばいいのか
終わりが分からなくなりますが、
それでも文字に起こすことで
少しずつ心の整理が取れてきた気がします。。

でも、

まだ

涙がこぼれそう。

R.I.P  チバユウスケ

そして

ありがとう。

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