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支離滅裂な「昭和の暮らし」

現在令和を生きるこども達の想像する「昭和の暮らし」ってどんなだろう。
戦争?家電のない生活?サザエさん?

わたくし、昭和50年代生まれ。神奈川の横浜育ち。立派な昭和の小学生であったわけですが、どれも微妙に当てはまらずなんとも説明しにくい時代感でした。

生まれた時の家はマンションの6階の一部屋。クーラーを切ると泣く赤ちゃんという非常にワガママなきょうだいがいて、物心ついたときには全自動洗濯機やオーブンレンジ等はありました。

その一方で徒歩5分の距離に住む祖父母の家はトタンの壁に引き戸&ねじ込み式の鍵、家の裏路地は漁村特有の貝が撒かれた貝砂利の小路。ガスコンロながらも羽釜でご飯を炊き、薪でお風呂を沸かす家。
同じ頃もうそんな生活をしている家はほとんどなく、昭和後期の横浜の思い出としてそれを語ると同年代からはよく年齢詐称の疑惑をかけられました。
同じ時代のその家の中にコピー機やエレクトーンがあったと言ってもなんだか嘘っぽく感じられてしまうのも無理はないと思います。

昭和的要素といえば、幼い頃は父のきょうだいがまだ祖父母宅にいて私達家族が近所のマンション住まいだけど、夕食は曽祖母を含む4世代で食べるという大家族構成。(その後父のきょうだいがそれぞれ結婚独立して祖父母宅を建て替え、私達家族も曽祖母や祖父母と同じ家でくらすことになりましたが。)
それから、祖父は一緒に戦争での従軍経験者で沖縄へ慰霊の旅行に出かけたりしていたし、曽祖母は公害病認定を受けている呼吸器疾患をもっていたし、オイルショック直撃世代の祖母は大人が二人で抱えて下ろすくらいのダンボールでトイレットペーパーを買い込んで保管しているような時代感でした。
祖父母の家は高度成長期と共に歩んだ工務店でもあるので盆暮になると積まれる程のお中元やお歳暮が届き、正月には親戚やら仕事関係の人やらが常に誰か出入りしてお酒を飲んでいました。

小学生になるときょうだいはファミコンで家を友達だらけにして放課後の家に私の居場所がなくなったり、仕事に使っていない時には父のワープロでタイピング練習の真似事をしていたりと、まぁまぁ現代的ではあるけれど、年末には親族総出で餅つきをして鏡餅を作るとか、祖母の趣味は三味線と社交ダンスでティッシュをテッシュ、ディズニーランドをデズニーランドと発音するし日本語しか喋れないのに海外旅行大好きだとか、これが小説やドラマなら時代設定がめちゃくちゃすぎて怒られるやつです。

なので、子どもたちが小学生の頃は「家族が子どもの頃の事を聞いてくる宿題」は主に同居の祖父母(夫の両親)に任せて、私は「昭和後期の京浜工業地帯の小学校にあった教室の後の壁面三分の一ほどある空気清浄機の話」や、「河原を歩くと工場排水の影響で臭い川の話」などをしました。
今、私の実家に行ってもそんな面影はないことに時代を感じます。

もし、将来私が故郷を懐かしむような時が来たら、「昔は工場から灰色の煙がでていて、道路は大型トラックのディーゼルの排気ガスの匂いがしててね。緑色した川からはなんとも言えない臭い匂いもしてたし。今はいい時代になったわ。」って寂しそうに言うかもしれません。
でも、懐かしくても寂しくても、そんな時代のままじゃなくなってよかった。

事実とはいえ、時代設定めちゃくちゃと思われがちな子ども時代の生活面の話をいつか若い人にして混乱させることのないように今のうちにたくさんツッコミを入れてくださる方、大募集です。
でも、これは本当!
昭和後期って時代は本当に混沌とした時代だったのよ。



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