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『旅はうまくいかない』⑪

チェコ編⑪「都会のプラハを離れて、田舎町のミクロフへ。列車の旅はいいものだ」

小さなバッグに一泊分の荷物だけを入れてホテルを出た。

建物の間に見える空は澄み渡っていた。今日もいい天気だ。

プラハに来てからずっといい。僕には金運も恋愛運も仕事運もなかったが、昔からお天気運だけはあった。

「あなたと旅行すると必ず晴れるよね」といつも妻が言ってくれる。

彼女は自他共に認める雨女だった。僕と出会ってからは、旅に出ると必ず晴れるようになったそうだ。

妻と喧嘩してもきっと負けるが、こと天気だけは僕の晴れ男が勝っているようだ。

プラハに来て三日目、そろそろこの街に慣れたところで、小旅行に出かける。スーツケースなど大きな荷物はホテルに残したまま、列車にのって一泊旅行するのだ。もちろんホテル代は一泊分損をしてしまうが、大きな荷物を持って移動するよりも、この方がずっと楽だった。

僕ら夫婦は一つの都市にじっとしていることが好きだったが、いつの頃からか、一泊ほどの小旅行を旅の中に入れるようになっていた。それもホテルをキープしたまま。

以前スペインに行ったときに、都市から都市へと列車で移動する旅をしたことがある。それはそれで楽しかったのだが、大きな荷物を持っての移動はすごく気をつかった。

やっぱり一都市にずっと滞在する方が僕らには向いている、そう思ったが、それだけではなんだか寂しい気持ちもあった。

そこで思いついたのが、一泊旅行だった。まるでその国の人になったような気分で旅をするのだ。荷物はすくなく、行動は軽くだ。

今回もプラハに拠点をおいたままなので、路頭に迷う心配はない。それはきっと心の持ちようなのだが、お金を払うだけの価値はあった。

妻も同じように思っているようで、一泊分のホテル代を無駄にすることに、特に文句はないようだ。

僕の荷物も相当に軽いが、それ以上に妻の荷物は軽い。最低限の着替えしか持ってきていないのだろう。

僕らは午前八時四十七分発の列車に乗るために、プラハ本駅に向かった。すでにこの駅には二日前に来ているので道に迷うことはない。ホテルから歩いて二十分といったところだろう。

ただ駅に着いて改めて驚いのは、プラットホームにはどこからでも入れることだ。特に柵などない。一歩踏み出せば、そこは駅のプラットホームなのだ。僕らは駐車場から直接入ることにした。

ふと見るとそのプラットフォームに銅像が建っていた。なんだろうか。足元に旅行鞄を置いた男性が男の子を抱きかかえている像だ。隣には立っている少女の像もあった。

調べてみると、イギリスのシンドラーと言われるニコラス・ウィントンの像だとわかった。彼はナチスのユダヤ人強制収容所に送られる運命だった子供たち六九九人をここから列車に乗せ、イギリスへ避難させたのだ。

僕らがアウシュビッツに行ったのは去年のことだ。その歴史を知っているだけに、この像にはこころを打たれた。

彼が救った六九九人の子孫たちがこの地球上のどこかで生きているのだと思うと、彼のおこなったことの偉大さがより感じられた。

このように中欧ヨーロッパではユダヤ人迫害の歴史をそこかしこで見ることができる。

僕らは電光掲示板を見て、どのホームに列車がやってくるのかを確かめた。僕らの乗る列車は八時四十七分発だ。そこから三時間ばかり列車に乗り、ブジェツラフという所まで行く。

そこからは地元の列車に乗り換えて三十分ほどで目的地であるミクロフに到着する予定だ。乗り換えの待ち時間もいれると四時間半ほどかかる。

チェコは東西に横長の国だが、ほぼ縦断することになる。ミクロフからは一時間ほどでオーストリアのウィーンに行けるのだ。それほどミクロフは遠い町だった。

それだけの時間を使っていくだけの価値のある所なのか、それはまだ僕らにはわからなかった。

ただミクロフへ行けば、美味しいモラヴィアワインが飲めるということだけは知っていた。

モラヴィアワインは日本どころかヨーロッパの国々にも出回らないワインだ。ほとんどが地元で飲まれてしまうらしい。そのおいしさだけが密かに知れ渡っていた。

チェコはビールが有名な国だが、そんなワインが飲めるなら、行かねばならない。

おまけにチェコ国内の列車の料金が安い。これだけの乗車時間がかかるのに、片道で千五百円ほどなのだ。これはぜひミクロフへ行かなくてはと思ってしまった。

ただしミクロフの情報はほとんどない。もちろんガイドブックにも載っていない。少ないネットの情報を見る限り、小さな町だから行けばなんとかなるように思えた。そこでホテルだけは予約することにした。一泊七千円ほどでとてもリーズナブルなホテルだ。

これから乗る列車はあと十五分ほどでやってくるはずだ。相変わらず、ホームには車両の番号はない。どこでもヨーロッパはこうなのだ。近隣の国々から様々な種類の列車がやってくることもあって、何号車がどこに止まるかを明示できないようだ。

だから乗客たちはホームの真ん中あたりにとどまることになる。僕らも仕方なく、そこで待つことにした。

そして思った通り、列車がやってくると自分の乗る車両に向かって走り出すことになった。もうこれはいつものことなので慣れっこだ。それに僕らはまわりにいる乗客のように大きな荷物を持っていないので、楽勝だった。

乗り込むと座席番号を確かめて座った。いつも誰かしら座っていることもあって、警戒していたが、今回は誰も座っていないようだ。ほっと一安心した。

そしていつも通り、何のアナウンスもなく列車は走り出す。

しばらく走ると窓からは広大な草原が見える。僕らは声を出して喜んだが、ヨーロッパの人たちには見慣れた景色なのだろう。反応している人は誰もいなかった。それはそうだろう。僕らが成田空港からの列車で田んぼが見えたからと言って何の感動もないのと同じだ。

列車が順調に走っていく。そんなにスピードは出ないようだ。だが、トイレに行くために立ち上がったときに感じたのは、車両の大きな揺れだった。日本の新幹線がいかに優秀かが海外にいくとよくわかる。ここでは普通にまっすぐ歩けないのだ。ヨタヨタしながら歩くしかない。

車窓を眺めているだけで、あっと言う間に三時間が過ぎた。

僕らは乗り換え駅であるブジェツラフで列車を降りた。ターミナル駅であるようだが、実にこじんまりとした駅だった。

もうここはチェコとオーストリアの国境地帯だ。僕らはここで次の列車まで一時間ほど待たなくてはいけない。

「少し駅周辺を歩いてみようか」と僕は言った。

だが、そこそこの大きさの街だとは分かっていたが、駅のまわりには何もないのだ。ヨーロッパの駅はこのように辺鄙な場所にあることが多い。日本のように駅を中心に町が栄えてないからだ。

街の中心に出るまでに相当時間がかかるように思えたので、僕らは駅の中にあるレストランに戻ることにした。

時間はたっぷりある。ここでビールでもいっぱい飲もうということになった。

だが、実際にビールを買おうとすると、目の前のおじさんが、何やら不思議な赤い液体のドリンクを買っているのが気になった。

なんだろう。気になるとそれが飲みたくて仕方がない。僕らはおじさんと同じ物を注文することにした。

サーバーからグラスに注がれたその赤い液体はアルコールではなかった。炭酸がきいているが、ほのかに酸っぱい。シソのジュースのような感じだ。下町ではバイスサワーというシソ味の酎ハイがあるが、それのアルコール抜きといった感じだ。

その酸っぱいジュースを僕らは気にいってしまった。チェコに来てから毎日毎日ビールを飲んでいたこともあって、ほかの味に飢えていたのだ。

「ねぇ、この名前もわからないジュース、帰りもこの駅で飲みたいね」と妻が言った。

小さなことだが、僕らはこうやって二人だけの思い出をいつも作ってきた。きっと地元の人にとってはなんのことはないジュースなのだろう。

だが、遠い日本から来た僕らのとっては、そのまた遠くまで列車に乗ってきた象徴として、この赤い不思議なドリンクがあった。

昼間だというのに、薄暗い駅のレストランで、僕はそっとグラスをかざしてみた。その赤い液体越しに妻の顔が見えた。

「どうしたの?」と妻が訊いた。
「別になんでもないよ」と僕は言った。

ふたり旅はいいなぁ、と実感していた。

時計を見るとそろそろミクロフへ向かう列車がやってくる時間だった。

赤い液体を飲み干すと、僕らはホームに向かった。

駅の中のもっとも奥のホームに列車は止まっていた。線路が行き止まりになっていることを見ると、ここが始発らしい。

念のために、ミクロフへ行くのか、と駅員に尋ねると、素っ気ない声で、アー、と言われた。なんとも無礼でやる気のない声だった。だが、不思議と嬉しくなった。その素っ気ない感じが、ここは観光地ではない、こここそが本当のチェコだ、と言っているように感じたからだ。

もう英語も通じないだろう。さぁもう一息だ。ミクロフについたら、まず美味しいワインを飲もう、それだけが楽しみだった。


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