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『旅はうまくいかない』⑭

チェコ編⑭「やっぱりまたトラブル」

とにかく暑いのだ。ホテルを午前十一時に追い出せれたが、特に行く場所もなかった。エアコンの効いているカフェを探したが、そんなものはこの町にはない。さてどうするかなぁ。困ったことになった。列車の時間まで四時間以上ある。

どこかでビールでも飲もうか、とも思ったが、ちょうどタイミング悪くどの店も席がいっぱいだった。おまけに店の室内は暑い。そして外のテラスはもっと暑かった。

僕らはどこか涼める場所はないかと、あてもなくさまよい歩いた。そしてやっと見つけたのは、インフォメーションセンターの入り口にあるベンチだった。

ちょうど日陰になっていて涼しい。建物の通路が風の通り道になっているようだ。おまけにインフォメーションセンターのフリーWi-Fiが使えるではないか。これはいい。

僕らは一時間ほどこの場所で時間を潰すことにした。

「こんなことなら、もっと列車の時間を早くすればよかったな」と僕は妻に言った。

涼しくて快適な初夏のミクロフでゆっくりと午後を過ごせると思っていたのだ。きっとプラハに戻るのが惜しくなるにちがいないと。

だが、実際は早くプラハのホテルに戻りたかった。あそこには凍えて寒くなるほどのエアコンがあったからだ。

昨今はヨーロッパでも酷暑があると聞いてはいたが、エアコンのない生活でどうやって乗り切っているのだろうか。ここまでエアコンのない場所を僕は知らなかった。

「ロンドンとかも、そうらしいよ。地下鉄なんかには冷房がないから、飲み水持参で乗るらしいわ。そうしないと熱中症になるからって」と妻が言った。

日本のように暑い夏が当たり前の国では、どこにでも冷房があるが、今までほどんと必要としなかったチェコのような国は大変そうだ。明らかに家は冬用に作られていた。きっと冬は恐ろしく冷え込むのだろう。ヨーロッパの冬はとにかく寒く、そして長いのだ。

僕は去年行ったポーランドのことを思い出していた。去年も同じ六月の末に旅行したのだが、恐ろしく寒かった。六月だというのに十度を切っている日もあったくらいだ。僕らは防寒着など持っていなかったら、とにかく毎日震えていた。それと比べれば、暑い方がいいように思えたが、それでも限界がある。東京が肌寒かったこともあって、まだ体は暑さに慣れていなかった。

「もう店は終わりだよ」とおばさんに追い払われてしまった。ミクロフからローカル線に乗ってブジェツラフまで来ていた。帰りもここで乗り換えだ。駅の店であの赤い酸っぱいジュースを飲もうと思っていたのに、どうやら閉店の時間らしい。

時計を見るとまだ四時半にもなっていない。駅の中の店だ。こんなに早い時間に終わるなんて日本なら到底考えられないことだ。僕も妻もがっかりしてしまった。乗り換えの唯一の楽しみだったからだ。

するとおばさんが奥の店はまだやっているよ、と教えてくれる。

てっきり一つの店だと思っていたが、奥はまた別の店らしい。行ってみると、おなじように販売するカウンターがあった。よしよしこれであの赤いジュースが飲めると思っていたが、この店はアルコール専用らしい。サーバーにはビールしかなかった。

「どうする?」と妻が言ったが、こんなに暑いのに飲まないではいられない。それにチェコのビールのおいしさは僕らを裏切らない。思った通りよく冷えていて美味しい。すっかり赤いジュースのことは頭から消えてしまった。

次の列車は午後五時七分発のプラハ行きだ。だが、時間になっても列車はやってこなかった。電光掲示板には『ディレイ』の文字があった。

チェコの列車は時間に正確だと聞いていたので、まさか遅れるとは思ってもみなかった。だが、オーストリアのウィーンからやって来る国際列車である。三十分の遅れなら、それほど珍しいことではないのかもしれない。

「ホームに行っておいた方がいいかも」と妻が言う。このあたりの危機感は妻の得意とするところだ。もしかすると遅れを取り戻して三十分遅れよりも早く来ることも考えられるからだ。

ホームに上がると屋根があるものの、西に傾いた太陽の光がジリジリと僕らの肌を焼く。時刻は午後五時十五分。ヨーロッパの夏では一番気温が上がる時間帯だ。

僕は額からたれてくる汗を拭った。早く列車が来てほしい。列車の中は間違いなく冷房が効いているはずだ。それまでの我慢だと僕は自分に言い聞かせた。

列車は三十分以上遅れてやってきた。どうやら行きの列車と違い、コンパートメントになっている車両だった。一部屋に三人かけの座席が向かい合わせになっている日本では見慣れないものだ。少し車両は古いが、コンパートメントの車両に一度乗ってみたかったので、僕の心は踊った。

だが、それは車両に乗り込むまでのことだった。乗り込んで僕らは驚いた。外よりも暑いのだ。個室の中はまるで蒸し風呂状態だった。

先に乗っていたチェコ人の男性がエアコンの通風孔に手をかざして、ダメだという仕草をした。

「こんな暑い列車に三時間も乗るの、そんなの無理よ」と妻が汗を拭きながら言う。

「みんな熱中症で倒れるぞ」と僕は言った。
「せめて窓とか開かないかな」

しかし、窓は開かない状態になっていた。こんな列車はありえなかった。隣のコンパートメントを覗くと、若い女の子たちが乗っていたが、その姿に驚かされた。みんなTシャツを脱いで下着姿になっていたのだ。彼女たちはウィーンからこの列車に乗ってきたらしい。暑さに耐えられなかったようだ。

僕はどこかに涼しい場所はないかと探して、隣の一等車に移動した。思った通り一等車は涼しかった。どうやら二等車だけがエアコンが効かないらしい。

すぐに二等車に戻ると、僕は妻に言った。
「こんな差別があるかよ。一等車はキンキンに冷えてるんだぜ」

こんな格差を許しておけるものか、絶対に訴えてやる、と息巻いていると、車掌が来て何か言った。僕らはチェコ語がわからないので何を言っているのかまったく理解できなかったが、みんな列車を降りだしたので、それに従うしかない。

「どういうことだろう」と僕は言った。

すぐに近くにいる駅員にわけを英語で尋ねたが、彼はまったく英語が理解できないようだ。チェコ語かドイツ語しか話せないと言われるしまう。

とにかくこの列車はエアコンの調子が悪いからプラハには行かない、そのことだけはわかった。では、僕らはどうやってプラハに戻ればいいのか。そこのところはよくわからない。もう笑うしかなかった。飛行機に続いて、列車にも乗れないのだ。

ひとつ上手くいけば、またひとつ上手くいかなくなる。この無限のループが永遠に続いているように感じる。

列車に乗っていた人たちがすべて降りると、駅員がまた何か言った。すると人々は階段を降りて、別のホームへとぞろぞろと移っていく。どうやら隣のホームに来る列車に乗れということらしい。

次の列車は僕らが乗る予定だった列車の一時間後のプラハ行きだった。かなり待たされたこともあって、十分もしないでやってきた。

みんな我先にと列車に乗り込む。もう予約した席は無効になっているからだ。押し合いへしあいしながら妻を探した。

すると既に妻は座席を確保しているではないか。流石としか言いようがない。彼女はどんなことがあっても生き残れるだろう。僕と違って。

見ると座れなかった人たちが列車と列車の間の連結部分に集まっていた。

僕は、ほっと息をついた。これでなんとか三時間座ってプラハまで帰ることができるからだ。だが、それは甘い考えだとすぐに気がついた。

次のブルノという駅で、乗客が乗り込んできたからだ。彼らはこの列車の座席の予約をしている正規の客たちだ。

目の前に一人の中年の男性がやってきて、そこは自分の席だ、と言った。それは僕が座っている席らしい。どかないわけにはいかない。三十分だったが座れたことに感謝して、席をその男に明け渡した。

「他の席を探すから、そこに座ってて」と僕は妻に言った。

空いている席はすぐに見つかった。しかし、この席も安穏としているわけにはいかない。次の駅でまた誰かがやってくることも考えられるからだ。そうなったら、また別の席を探さなくてはならない。立っている人もいることから、他の車両も相当に混んでいるようだ。僕はすっかり疲れきっていた。

すると、車両の前方から笑い声が聞こえてきた。どうやら座れなかった人たちが、連結部分に座り込んで、宴会を始めたらしい。

どこの国の人だろうか、耳をすますとスペイン語が聞こえてくる。やっぱりスペイン人だった。彼らの陽気さはずっと以前から知っていた。とにかく楽しむことの天才なのだ。

列車の売り子から、ビールを買い、車座になって座り、楽しそうに飲んでいた。中には通路に寝転んでいる者さえいる。

笑い声が絶えない。何がそんなに楽しいのだろうか。列車が故障して降ろされ、こうして遅れた列車に無理やり乗り込むしかなかった。彼らには座席さえないのだ。彼らよりましな僕は座っているが、他人の座席なので、どうも落ち着かない。

だが、彼らの馬鹿騒ぎを眺めているうちに、どちらが馬鹿なのかわからなくなってしまった。彼らはトラブルを楽しみ、僕らはトラブルにイライラしている。どう考えても僕らの負けだ。

よし、もうどうなっても楽しもうじゃないか、席がなくなったら、彼らに混じってビールでも飲んでやればいい。あの中に自分が。そう考えると笑いが込み上げてきた。それはそれで本当に楽しそうなことのように思えた。

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