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抱きしめられたかったあなたへ(三砂ちづる)【書評#169】

女性の身体というのはよく悩みの種として捉えられる。毎月生理があるため、その前後1,2週間は体調が崩れたり、メンタルが弱くなったりする。子供を授かるとその間は行動に制限がかかる。また、酒やタバコは控えるように言われる。出産は壮絶な痛みが伴い、その痛みは「鼻の穴からスイカを入れるようなもの」とまで言われる。また、男性の身体と比べると筋肉量が少なく、単純な身体能力だけでは男性に敵わない。

このように、女性の身体にはネガティブなイメージがつきまとう。このイメージがあるので、私自身、男として生まれてよかったと思うこともある。

しかし、三砂ちづるさんの文章からは女性の身体の素晴らしさがひしひしと伝わってくる。
生理や出産は大変なものとして扱われるが、そもそも人間は生物の一種であり、子孫を残すことに関連する行為は本来素晴らしいものであるはずだ。

三砂さんの文章からは出産、育児は辛いことだけでなく、とても楽しいものであることが伝わってくる。

ブラジルの人たちは本番に強いのでした。相手に対する絶妙の感覚と間合い。その場にいる人たちの空気が読める。同僚の動きを見ながら、自分のやるべきことを判断できる。見事なものでした。
 文化の違いと言ってしまえばそれまでですが、このブラジルの人たちの相手に対する感覚の鋭さは、自分がとてもよくリラックスしていて、他人に対して構えていないこと、相手の感覚もすぐに自分の体感として理解できるような感受性があること、つまりからだの感覚の鋭さなのだと思います。

p.30

 人にふれること、人にふれられることは食べることや寝ることと同じように、人間としての基本的なニーズだと言われています。本当はわたしたちは、生まれたときから母親や身近な人にいつもしっかりふれられて育ってきたかった。今だって、さびしいとき、不安なとき、悲しいときには誰かにふれてほしい。でも誰にふれたらよいかわからず、誰に抱きとめてもらったらいいのかもわからない。
 「タッチハンガー」はふれられなかったわたしたち、みんなが持つ心の渇望です。だからと言って、今、すぐには人にはふれられない。今の日本を生きるわたしたちの世代は、そうやってふれてもよいとは思えずに生きてきたのでしょうから。
 ならばせめて時折、「もの」の所有に対するルーズさ、いい加減さを取り戻しながら暮らすことから始められるのかもしれません。

p.42

 世の中には、「思いどおりにならないこと」「努力してもどうにもならないこと」が実はたくさんあるのでしょう。そこで、思いどおりにならなくても、なんの見返りがなくても、誰も「すばらしい」評価してくれなくても、あるがままで受けとめて、のち、ひたすら与え続けるような経験が、性と生殖にかかわることには求められるといえないでしょうか。とりわけ、子どもを育てるとはそういうものなのだと思わずにはいられません。そうして、受けとめられ、与えられ続けるような場でなければ、子どもは育っていくことがとても難しいのだと思います。

pp.73-74

 ともに暮らす人を作ることは避け、次の世代を育てることもなく、むきだしにされた個のままでひとりで生きることは、本当はとてもしんどい選択なのではないでしょうか。なぜなら、自分の新しい家族を作らなければ、自分自身はいつまでも親の「子ども」としての役割だけを負っていかなければならず、自らの親との葛藤をずっとひきずり続けることになりかねないからです。

p.75

 人生は、年を重ねるほどに楽になる。おとなになるほど、責任も増えるけど裁量の幅も増える。少しずつ自らを知り他人を知り世界を知ることは楽しいことで……ということをもっと若い人に伝えたいと思います。

p.135

人が育つということを考えるとき、この果てしない繰り返しはとても大切です。毎日毎日同じことを、淡々と繰り返す日々の営みがないと、人は育たないのだろうと思います。今日の次の明日も、世界が同じようである。自分の周囲は同じように回っているということを信じられてこそ、幼い人は安心して育っていけるのではないでしょうか。

p.140

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