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あの日の記憶【8月31日の夜に】

こんにちは  日刊マガジン【書くンジャーズ】金曜日担当のウエノです。

今週のテーマは【8月31日の夜に

1997年8月31日は妻と正式に付き合い始めた、私たちにとって記念すべき日です。

「よく覚えているね」と言われそうですが、あの事件のせいで22年経った今でも記憶にはっきりと残っています。

この日は日曜日で、午後から友人たちと糸島のビーチでBBQをする予定でした。

車で彼女を拾って、目的地へ向かっている道中に、ラジオから衝撃的なニュースが耳に飛び込んできました。

もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、この日はダイアナ妃が交通事故で亡くなった日です。

ダイアナ妃は、イギリスのスペンサー伯爵家に生まれ、20歳の時にチャールズ皇太子と結婚。ウイリアム王子とヘンリー王子の2人の子供をもうけましたが皇太子と別居状態になり、1996年に離婚しました。

事故は、当時交際していた英国老舗百貨店ハロッズなどを経営するエジプト人実業家モハメド・アルファイドの息子、ドディと一緒に乗っていた車が、スクープ写真を狙うパパラッチたちに追われてカーチェイス状態となった時に起きました。

彼女が乗った車は、トンネルに猛スピードで入ったところで、前を走っていた車に接触。そのまま中央分離帯にぶつかり、車は屋根がつぶれるほど大破してしまいました。

ドディと運転手は即死でしたが、彼女は助手席と後部座席に挟まれた状態で息はあったようです。懸命の救出作業後に、病院に運ばれたものの午前4時に帰らぬ人となりました。

この事故で唯一の生存者は、助手席に乗っていたボディーガードひとり。彼だけがシートベルトをしていて、他の3人はしてなかったそうです。

もし、彼女がシートベルトをしていたら、助かっていたかもしれません。

彼女は皇太子と別居状態になった頃から、慈善活動に取り組み始めました。

亡くなった年の1月に訪問したアンゴラでは、地雷原撲滅キャンペーンのために地雷原の側を歩き、対策の必要性を世界中に広めました。

アンゴラ訪問時に、彼女は次の言葉を残しています。

世界で今最大の問題は、不寛容さです。誰もがお互いを受け入れられなくなっているのです。

事故死から22年経った今、世界の不寛容さは減るどころか、ますます増えているように思えます。

まずは、相手の言葉に耳を傾け、理解する努力を互いに行う。

自戒の意味を込めて、今日の結びの言葉といたします。


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