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ほぼ全ての悩みの根っこは同じ


世界一周48日間の旅を終えて、4日目。
この間一度も体調を崩さず、多少の和食ロスにはなったものの、ホームシックにもならなかったのは、まさに奇跡だと思っているが、さすがに疲れは溜まっていたらしい。

眠っても眠っても、眠れることがそれを象徴している。

飛行機の乗り継ぎや、入国審査など、間違えてはいけない手続きをこなしつつ、知らない土地に滞在するのだから、神経も張り詰めていたのだろう。

帰国後はゆるゆると過ごしつつ、、できる限り情報量を減らしている。

人は、外に出るだけで情報を浴びる。
それは環境という情報であり、それが良い場合もあるが全てが良いわけでもない。
騒音も立派な情報で、それによってメンタルが落ちる人もいるだろう。

自宅は、以前からかなり断捨離をしているので、余計なものは減っているはずだが、それでもまだ旅行の荷物の片付けが終わらず、溜まっている書類もまだ片付けられていないので、気になる。

普通に生活をしていても、これだけの情報や刺激を受けているのに、SNSでさらにその情報を得るのは、全くの危険行為のように思えている。

そう思えるのも、帰国後の変化の一つだ。

当然人ともあまり連絡を取っていないのだけど、少量の情報の中で気づいたことがある。

それは「ほとんどの人の悩みの根っこは同じだ」ということに。

何かしらで悩んでいる人の共通点は
「人と比較していて、自分のありのままを認めていない」ということ。

または
「一般的に良いと言われているものと、自分を比較して、自分が規格外だからダメだと思っている」
ようだ。

確かに、気持ちはわからなくはない。

結婚していなければ結婚している友達と、
子供がいなければ子供がいる友達ど、
仕事をしていなければ仕事をしている人と、
大学に行ってなければ大学卒業の人と、

自分の今を比較して、「なんて自分はダメなんだ」と自分をさらに追い込む。

以前私にもそんなところは多少あったように思うが、
そもそも私はどこか外れているよね、と自覚をしていたので、そこまで自分を追い込んではいなかった様に思う。


そして、海外でいろんな人たちを見てきた今、
全ての世間と比較して自分を追い詰めている人全員に言いたい。

いやーあなたはあなたの人生を立派に歩いていますよ。

と。


これは私が、自分の回想録を書いた時に思ったことと同じだ。

回想録を書いている途中から、私は私にこう言っていた。


「あなたはあなたしか生きられない人生を、立派に歩いているし、今までこれだけの人に愛され、助けられ、導かれてきたのだから、これから先何があっても絶対に守られるから、自信を持って」
と。

この自信があったから、48日間無事でいたのかもしれない。

海外に出て、外から日本と日本人を見ていて思ったことは、
「日本人は、これ以上できないくらいみんな頑張っている」ということ。

もう少し気楽に生きていいのに、「もっと頑張れ、もっと上を目指せ」ってさらにムチを打っている様に見えた。

社会全体にそんな空気が流れているのだと思う。

そこまで完璧じゃなくても、毎日幸せに、楽しそうに、自分は一番幸せだーというくらいの笑顔で、私のお部屋を毎日楽しそうに、時々私とおしゃべりしながら、お掃除してくれた、モルデイブのホテルのお兄さん、おじさんたちの顔が忘れられない。

何を求めるのか、何が幸せなのかは、人によって違うので、一概には言えないが、まずは比較をやめ、あるべき姿なんていう幻想と自分の人生を比較して自分を責めるのはやめようよ、と言いたい。

その比較は無意味だし、そもそも人は誰かと同じなんてありえないのだから。

そして、何より十分に頑張って生きている自分を認めてあげることができるのは、自分だけだから。

ただ、生きているだけで十分。
誰もあなたを責めないし、その権利もないのだから。

責めるとしたら、唯一、自分が自分を責めているのだけなのだから、それをやめればそれだけであなたの悩みは消えて無くなるはずだ。


比較をやめて、自分を認める。ただ、それだけだ。


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