昔から金魚のフンにはなりたくなかった
「⚪︎⚪︎さんのセミナーで登壇します」
と言うお知らせをネットで見て、すごく違和感を感じた。
違和感を感じたら、考えるチャンス。
自分の中にある軸を見つけるチャンス。
そこで、「深掘って(ふかぼって)」みた。
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「金魚のフン」と言う言葉を初めて聞いた時、びっくりした。
小学校の時、担任ではない女性の先生が
「トイレに行く時に、金魚のフンのようについて行かなくていいから!」
と言われたのを、なぜか今でも覚えている。
この言葉は私に言った言葉ではなく、(私は行ってない)トイレに行こうと
しているクラスメイトたちに言っていたのだけど、「金魚のフンって何?」と思った。
想像するとまあ確かにわかる気もしたが、小学生にはその確かなところはわかってなかった気がする。
結局「自分の意思なしに、誰かについていく」と言う意味だとわかったのは、ずいぶん後になってからだ。
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私がバカなんだろうけど、基本的に私ならば、セミナーは自分で企画して自分で主催したい。
誰か有名人の力は借りたくない。
やるなら、自分のことを認めてくれた人からちゃんとお金をもらって、セミナーをやりたい。
自分で企画し
集客し
話す
からこそ、力と経験が身につくのであって、それを積み重ねて信用にする方がいい。
ただ、私も大学などから講演依頼をいただき、希望内容をヒアリングし、資料作成し、講演のスタイルも独自で考えて実施してきた。
「じゃあ、一緒だよね。だって⚪︎⚪︎で講演させていただきましたと言うのは同じじゃないか」と自分でも思った。
ただ、一つ違うのは、「一人の私人から依頼されるのか、公的、または企業などから依頼されるか」の違いだろう。
そこに、「有名人の名前を借りる人」と「有名人が影響力を発揮する」図式が見えたのが、違和感だったのかもしれない。
完全プロデユースならば、多分「有名人本人が宣伝するはず」なのだけど、
「講演する本人が宣伝している」のが、気になったのかもしれない。
例えるなら、出版社からの商業出版なのか、それとも自費出版なのか、
の違いだろう。
もちろん自費出版から、売れっ子作家になった人もいるのだけど。
いいのよ、私は名前が売れたら、と言う人には、もちろん私がとやかく言うことじゃないんだけど、どうも違和感。
「大事なことは自分で稼げるようになること」
全ては、そのための経験だと私は思っているらしい。
全く、完全に、余計なお世話なのだけど、誰かに寄りかかりすぎているのが、多分嫌だったんだろうなと、納得。
私自身大した自分ではないが、人にお願いはしても、
寄りかかりすぎない姿勢でいたいようだ。
それがおそらく私のポリシー。
だって私なら、その有名人の人が嫌いだったら、そこでセミナーをする人には多分注目しない。
親亀転けたら皆転けた
(おやがめこけたらみなこけた)
って感じになる。
かなりの毒舌で、辛口だったのは申し訳ない。
でも自分のポリシーは、やっぱり
「金魚のフンにはなりたくない」
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