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【ゲームレビュー】Harold Halibut(ハロルド・ハリバット)

 地球滅亡を間近に控え、異星への植民宇宙船フェドラ1は宇宙へ飛び立った。長い旅路の果てで、植民へ適した惑星を発見し、着陸を試みるが不時着してしまう。そこは水で覆われた星で、フェドラ1は海へと沈み、海底都市として生き永らえていた。
 フェドラ1で便利屋として暮らすハロルド・ハリバットは、住人の頼みをこなすことに徹しながら、漠然と日々を過ごしていた。そんなある日、フェドラ1は地球からの通信を受信する。
「あれから、地球はなんとかなったんだ」
 フェドラ1を管理するオールウォーター社CEOは、学者たちを集めて地球帰還を目指すことを決定し――。

深夜のNHK海外アニメのような手触り

 本作はストップモーションアニメ(いわゆるコマ撮り)のようなグラフィックを動かすことができる点で、非常に特異なゲームだ。ゲームの紹介動画を見てもらえば一目瞭然。

 いわゆる美男美女といったキャラクターが登場しないので、変な先入観なしにプレイできて良い。登場人物は20人程度だが、みな考えることが違い、彼らの悩みや思いを聞いてあげることで解決へと導いていく。フェドラ1で生き生きと暮らしている彼らのことが愛おしく感じられてくる。
 そして、宇宙船を地球へ帰還させる為の打ち上げ日数が「残りXX日」といった感じで、ベッドで眠るたびにカウントダウンされていく。宇宙船の打ち上げ方法のプレゼンやその準備に勤しんでいると、物語の中盤でハロルドは未知との遭遇を果たす。宇宙船のフィルターに引っかかった魚のような宇宙人を助け、看病をするのだ。ウィーオーと名乗る彼(彼女?)と仲良くなったハロルドは、彼らの町へと行くことになり、そこで宇宙船の打ち上げに使えそうな物質を見つけるのだが――。

僕がゲームをプレイし続ける理由

 ファミコンで洗礼を受けてからずっと、テレビゲームを手放せないまま、波はあれど新作ゲームをプレイしてきた。ファミコン→スーパーファミコン→プレイステーション→プレイステーション2→XBOX360→Wii→WiiU→Switch→XBOXseriesXと変遷を辿る(並行して携帯ゲーム機もやってきた)。そんな中でも、プレイステーションの登場から、単純な「ゲーム」と括れないような作品が産まれてきたような気がする。「アクアノートの休日」などはただ海中遊泳するだけの作品だったし、その頃からゲームも芸術のひとつといった意見も見られるようになってきたように思う。
 RPGで言えばドラクエが好きだから、ナンバリング新作が出れば必ず買ってプレイする。ドラゴンズドグマ2もクリアはして、2周目の途中で他のゲームへ浮気している。そういったゲームゲームした物も遊ぶ一方で、本作のようなちょっとクセのあるゲームもプレイするようにしている。そこから得られる唯一無二の体験が好きだからだ。
 一昨年プレイした「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のゲームは、キャラクターがずっと会話を続けていて、そのボリュームに圧倒されるとともに、映画をプレイしているような錯覚を覚えた。「カップヘッド」は、昔のアメリカのアニメを操作するゲキムズ死にゲーとして、DLCまでやり込んだ。
 本作はプレイしていて、深夜にNHKやNHK教育で放送される、海外アニメのような手触りを感じた。ひょうひょうとしたハロルドと、それを振り回す住人たち。宇宙船内の雑用から段々とストーリーが展開していって、やがて精神世界まで入っていく。最後にハロルドが取った決断が、正しかったのかどうか、それはちょっと分からない。でも、別の選択だったとしても、それも幸せだったのかは分からない。
 移動が少しモッサリとしていて遅いのに目を瞑れば、久しぶりに没入感を得られた良いゲームだった。そして、こういったゲームを気軽にプレイできるXbox GamePassはいいぞ、と言っておく。「幻想水滸伝」シリーズのクリエイターが手掛けた「百英雄伝」もデイワン対応でプレイし始めたところ。またオススメのゲームがあれば書くつもり。

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