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【4】わたし旅行記

これから少し今までの海外旅行について
振り返っていきたいと思います
訪問した順と投稿順はバラバラですが
思いついた順で書いていくつもりです💪🏻

2019年夏に突然 世界一周しました✈️🌏
2ヶ月弱ですが、私に大きなインパクトを
与えた旅を最初のテーマにします

今日取り上げるのは

🇵🇪Peru🇵🇪


【3】で書かせてもらった内の
8カ国目になります。

1カ国目のベトナムからやれよ感がありますが
お付き合いください🙃

今日は
①選んだ理由 ②旅程
③得たこと思い出 ④ハプニング

ひとこと日記でまとめて来たことを
掘り返していきます

 ①選んだ理由

ずばり、マチュピチュに行きたかったから!
なぜか南米に行きたいという願望が昔からありました。

大学最後に行きたいとこに行っておこうとのことで南米の候補地は、イースター島とマチュピチュとウユニ塩湖でした。
残念ながらイースター島はコストが高すぎて断念、ウユニ塩湖は水が張っていない時期だったので断念しました。

よし、マチュピチュにしようと決めて、他に何があるんだろうとペルーについて調べました。
なんとクスコもペルーにありました!😂

実は高校時代に世界史を取っていて、古代文明系はかなり興味のある分野でした。
調べていくとマチュピチュに行くにはクスコなどを経由していくのが、良いとか。

もう他の候補地が目に入らないくらい、旅行先の国にビシッとはまりました。

②旅程

このペルー旅行、とっても魅力的です。
しかし行きたいとこにフラフラ行ける程、簡単な国じゃありませんでした。
それは、標高差つまり高山病をいかに避けていくかです。

高山病とは、低酸素状態になってしまうこと24時間以内にに2500メートル以上高いところに行くと、身体が対応しきれず頭痛や嘔吐、吐き気などの症状が出ます。

標高0メートルで酸素を吸っていたのに、突然酸素の濃度が薄くなった状態で今まで通りに身体を動かせば、そりゃ体はビックリしますよね😇

多くの人がペルーに来る際に利用するのは、現在の首都であるリマは標高0メートルです。しかし、マチュピチュは標高2400メートル。ギリギリ高山病にはならずに済みそう。
しかし、距離的なことでもマチュピチュに行くにはクスコを経由するのが一般的です。そのクスコの標高は3400メートルなんです。
残念ながらなにも対策せずに行くと、高山病になりやすい状態です。

高山病対策として、私が調べた限りでは高山病予防薬を飲む、コカ茶を飲む、ゆっくり歩いて酸素の消費を抑えるくらいでした。

高山病予防薬は市販で売っているもので、ダイアモックスというものを私は買いました。血液中の酸素濃度を上昇させる働きがあります。空港でも売っていますがリマに滞在するなら薬局でも簡単に手に入りますし、空港で買うよりも半額以下で手に入ります。
バファリンくらいの錠剤で、半分に折って朝ごはんの時に飲んでいましたが、高山病の症状は出なかったので効いていたと信じます。

コカ茶というものは知っていますか?
ではコカインは聞いたことがありませんか?
コカ茶はコカインの原料の葉っぱを使ったお茶です。コカインはコカ茶の一部成分を濃縮して濃縮して作るので、飲んでもコカインとは成分が異なりますので、ご安心ください。
実は現地の人が高山病予防に1番信用しているのもコカの葉です。空港付近で葉っぱを配ってたりして、それを歯で噛むことで体内に取り入れます。それをお茶にしたのがコカ茶です。
本当に好きな味のお茶で、ゲストハウスやレストランやツアーバスなどでも振る舞ってもらえます。大量に飲んでも、大丈夫ということだったので1日5杯以上は飲んでました。
これも高山病予防になったのでしょうか。多分

ゆっくり歩くこと。これはゆっくりにしか歩けませんでした。クスコは坂道の多い所だったので、バッグパックを背負って少し歩くと息が上がります。地元の人に抜かされましたが、苦しむのは自分なので写真撮ったり景色見ながら歩くと楽しいですよ。

ネットで高山病を調べると、2、3日頭痛で潰れてしまうという記事が怖かったので、全部やりました。どれが正解だったかは分かりませんが、出だしは上々でした。

そんな対策をした上での私の旅程は
1日目 夜8時にリマ着
2日目 クスコへの移動とツアー申込
3日目 クスコ市内観光
4日目 谷めぐりツアー
5日目 マチュピチュ
6日目 マチュピチュ
7日目 レインボーマウンテン登山
8日目 クスコからリマへ移動とリマ市内観光
9日目 朝10時の便でメキシコへ

という流れでした。
忘れていたことに南半球は季節が真逆で、朝方は気温が1桁台で最高に寒かったです。
寒すぎてアルパカセーター買いましたが、感動するほど暖かかったです。

1日目は、リマは空港周辺は治安があまり良くないということと夜の到着だったので、2000円弱で朝食付のゲストハウスへ行くだけの日でした。リマの印象は砂っぽい、でした。

2日目は、午後1時位までは現金調達やゲストハウスの人とお喋りしてリマで過ごしました。なぜか持っていた4枚のクレジットカード全部でキャッシングをしようとしても引き落とせず、不安に陥りました。(現地の口座から引き落とせるカードしか利用不可で後日キャッシングは出来ました。同じ発行会社でも使えるカードと使えないカードがあったので、ビザは2枚以上持っていくのが推奨です。)日本円があったので、クレカ決済が出来なかったら換金しようくらいで乗り切りました。親切にしてくれた地元のお姉さんに、スペイン語もろくに話せないアジア人でしかも女1人は超危険だと脅され、ペルーはあまり英語通じないけどクスコは観光地だから何とかなると励まされ、お別れしました。
その後無事クスコに到着し、観光案内を無料でしている方々に公共交通機関の使い方と宿への行き方を教えてもらい、バス一律0.8ソル(約30円)で無事到着しました。乗合バスでドライバーと徴収係で2人いるので、アジア人の物珍しさからか周りの人に助けてもらいながら楽しく過ごせました。
荷物を宿に置いた後、現地のツアー会社にマチュピチュ行きのツアー申込に行きました。レストランの呼び込みの人に、旅行会社を探してる話をしたら友達がいるから行ってみてと言われて、相場を知っていたのでとりあえず話を聞くだけと行ってみると、日本語勉強をしていたおばさんとその息子さんが対応してくれました。(基本は英語で意思疎通して、簡単なスペイン語と日本語でコミュニケーションを取る形)相場以上に安くてビックリで、どうせなら全部の日程ツアー組みなよ、と流され5日分のツアーを決めてきました。5日分(1日分の宿泊費食事込み込み)で2万円だったので、格安でした😂

3日目はバスでのクスコ市内観光に行きました。フランス人と日本人の私以外は南米圏の方々だったので、孤立気味だった私達はその後美術館めぐりをしたり散策をして、夜ご飯一緒に食べるくらいには仲良くなりました。ガイドのおじさんにも名前を覚えてもらい、和気藹々としたツアーでクスコの歴史や遺跡をまわりました。同じ部屋だった人達とも仲良くなり、ホテルの防犯性について議論することが多かったです。

4日目は朝から谷めぐりツアーに行きました。そのツアーはイタリア人と私以外南米圏の方々でした。伊人の彼は面倒見が良く、たくさん助けて貰いました。移動時間が長かったので、殆どの時間をお互いについて語りました。彼は年齢が2倍というお父さん的立ち位置ですが、彼こそ私の価値観を変えてくれた人でした。100カ国以上を旅する多趣味な魅力あふれる人で、尊敬する1人です。誰に対してもリスペクトを持ち、愛情表現も忘れない。自分の信念を貫き、ユーモア溢れる強い人です。ツアーでは塩田や棚田のような所も行きましたが、その時点で本当に綺麗で来て良かったなと感じました。塩田で昨日のガイドさんと遭遇し、また会えたらいいね!と写真を撮りお別れしました。大満足でツアーを終え、伊人の彼と夕食をとり、ピスコサワーを飲んだところで、忙しいスケジュールの彼はチチカカ湖に旅立ちました。

5日目、ついに一泊2日のマチュピチュ編です。
今更ですが、ツアーのしおりはありません。集合時間と行き先だけ告げられ、バスに乗るというかなり不安要素しかないスタイルのツアーです。自分の書いたメモを頼りに行くしかない、完全なアドベンチャーでした。
この一泊2日の旅は1日目に山の麓まで3時間かけて歩き一泊して、2日目にマチュピチュ観光して1人で山を降りて、15時までに最初に下されたところにまた3時間かけて戻り、その日のうちにクスコに帰るというものでした。
寂しさからイスラエル人の男子2人組に声を掛け、一緒に行くことになりました。砂利のひいた線路道をひたすら歩く3時間ですが、途中に3人のイスラエル人も合流し、計5人のイスラエル人との3時間散歩が始まりました。
イスラエルの観光について情報収集をしながら、尖った石の上を歩きながら、仲間が大量に水を購入しながら、ようやく山の麓に到着しました。同じ部屋だったペルー人アルゼンチン人ブラジル人チリ人の人に誘われて、ピスコサワーをまた飲みながらワイワイしました。マチュピチュはクスコより標高が低く酸素の薄さや高山病の心配は全くないまま、眠りにつきました。

6日目、マチュピチュは山の上に築かれた都市です。そのため麓からバスが出ており登り坂は2時間近くかかるので、行きのみバスを利用しました。実際マチュピチュの有名なスポットに行くまでは15分くらい上に登ります。ガイドさんがいるので、アメリカから来ているグループと説明を受けながら回りました。

目の前に現れる山と山の上を開拓して出来た都市。圧倒されました。青々としたどでかい山を目の前に、今まで考えていたことや旅の振り返りをして、何か浄化していくようなスッとした気分と、夢が実現した感動と実感がありました。本当に来て良かったと景色を目に焼き付けながら、この山道を登れるくらいガッツのある時にまた来ると誓いました。

リャマが可愛いとのんびり周っていましたが、タイムリミットの15時までにまた初日にバスを降りた所まで帰らなければならず、あっさり帰路に入り旅を終えることができました。

7日目、レインボーマウンテン登山。これは初めに言っておきますが、高山病で死にかけました。辛かったです。
そこは標高5000メートルを超えるところでの、トレッキング。加えて前日に比較的標高の低い2400メートル付近でマチュピチュのトレッキングをしていました。
高山病予防薬を飲み、コカ茶を飲み、いざ登ります。ゴールが全く見えない中での、斜面をひたすら登みますが、途中から馬に乗って行く人も増え始めました。ケチな私は自分との戦いだと、貸し出された杖ひとつ頑張りました。でも気づくと、全速で走った後くらい速い脈を打っていました。そして、2、3歩進むと息が苦しい。頭でさえ脈を打ってるのが感じられる。これ高山病だなと思いました。そしてうずくまって吐いている人、同じように止まって休む人、ドMの集まりだなと感じるほどに、不思議な光景が広がっていました。そんななか、違うチームのガイドさんが声をかけてきてれたので、高山病が軽くなる香水を嗅ぐように言われすぐに回復しました。コカの葉や何かの根などが入った怪しい水でしたが、今までの体とは思えないほどに軽く登頂することができました。
そんな疲れが吹っ飛ぶようなカラフルな山で、地層の色が様々なのでとても珍しかったです。山頂でビールを一口貰ったり写真撮影をしたり、登頂した実感を持ちながら帰路へ。帰り道は考えられないほど短く、筋肉痛と膝が常に笑った状態でボロボロになった姿を同じチームのメンバーに馬鹿にされましたが、それもいい思い出です😉

8日目、クスコからリマへ移動し、リマの市内観光をしました。クスコではツアー会社の親子に別れを告げ、飲めるだけのコカ茶を飲みました。(本当に美味しかったです。依存効果はないはずですが、味にハマりました😂)
リマはやはり砂っぽく、教会めぐりがほとんどでした。道端でおばあちゃんにスペイン語で話しかけましたが、リスニング能力が酷すぎてとにかく微笑んでました。沢山の警察官がいて、治安が悪そうだったので早めに宿に帰りました。

9日目に無事ペルーを後にしました。

③得たこと

ひとつは行動力で夢の実現は早くなること、
ふたつは常に考えてその時感じたことを言葉に残す習慣をつけることの大切さ、
みっつは人との関わり方で自分の世界は広がることです。

とりあえずアクションを起こすこと、きっかけが何であれアクションを起こせばどこかに変化があります。
その変化への対応することは、確実に進歩をしている証拠です。
変化を恐れないことが行動力を起こし、夢への実現に繋がっていることは強く感じました。
まず、やりたい事をリストアップしてそれを誰かに聞いてみる。それだけでも考えてるだけより先に進んだ気がします。

私は言霊を信じろとは言いませんが、口から出る言葉は身体に言い聞かせている事だと思っています。脳は無意識のうちに、その言葉に歩み寄って行くような気がします。また愛情もしっかりその場で表現するべきだと思います。旅をしていれば、次会えるか会えないかは分かりません。その時その場で感謝だったり、大好きなことを伝えたりすることは恥ずかしがっている場合じゃないなと思いました。そんな愛に溢れた人を悪くいう人はそういないと思いますし、身近な人を大切にできる人こそ魅力的な人だと思います。

話をしてみる、これは私の中で最も重要なことでした。話好きな私は、興味のあることを聞いてしまうと掘り下げて掘り下げて質問ばかりしてしまいます。でも自分より経験があったり、その分野に詳しかったりすると一気に道は開けます。

哲学みたいなところに辿り着いちゃいましたが、多分1人旅あるあるなのかもしれません。
自分との対話の時間が圧倒的に増えるので、想いを巡らしているうちにポエムみたいなことになっちゃったり、ならなかったり。
でもそんな自分も悪くないと自己肯定感を高めることにもなったり、ならなかったり。

感情を言葉にすることで学ぶことは沢山ありますね😉

④ハプニング

なんと二本立てです。
第一話、ツアー置き去り事件
第二話、ホテル知らない事件

第一話、ツアー置き去り事件
これは4日目に起きました。伊人とお喋りをしながらバスツアーをしていました。
途中お昼休憩で、高級ビュッフェかローカル飯の2択になり、地元に触れたい私たちはローカル飯を選びました。
1時間後に同じ場所に集合とだけ言われ、私たちはレストラン探しをしました。150円くらいでコースを食べさせてくれるお店を見つけ、2人でラッキーだったと喜びながら、インカコーラを飲んだりしながら時間通りにバスを降りた場所に戻りました。
しかし、いくら待ってもバスが来ない。友人が電話をかけて確認するともう出発したとのこと。私たちが時間を勘違いしていたみたいで、次の観光地まで自力で来いと言われました。
私はSIMカードをペルーでは使っていなかったので通信機能皆無、ATMがない地域でのクレカだけ所持している状況。本当に無一文でした。彼に全て頼った状態で、急ぎトゥクトゥクに乗り、乗合バスに乗り、坂道を走って走って無事合流することができました。
私は合流できたことに感動しすぎて、怒りなんて微塵も無くなっていましたが、それは友人が代わりにイライラしてくれていたからかもしれません。その日のうちにお金を下ろし、立て替えてくれていた分を払おうとしましたが、頑なに受け取らなかったので、彼がトイレに消えた隙にディナーを払うというスマートなやり口で、お返しは出来ました。あのパニック状態から乗り越えられたので、私たちには絆がいつしか出来ていていい友人ができました。

第二話、ホテル知らない事件
これは5日目に起きました。バスを下ろされ、マチュピチュの山の麓までイスラエル人とひたすら歩いた日です。
問題は私の詳しく聞かなかったことと通信機能がなかったことでした。
山の麓までついに到着!みんな別れを告げ、それぞれのホテルへ帰る、、え?ホテルなんて言ってた?
ここです。私は麓まで行けば、誰かツアーの担当者がいるからそこまで来てねと言われていたので、ホテルの名前なんて知りませんでした。
着いたは良いけど、集合場所も言われていない。突然広がるホテル街にクエスチョンマーク沢山になった私。
近くにいたイスラエル人の男の子が携帯貸すからホテルの名前聞きな!と言ってくれて無事ホテルを聞き出し到着することができました。
その後にそんな早く来ると思わなかったよ〜と軽い感じで謝罪をされ、その事件は終わりました。その男の子には感謝しかありませんが、適当すぎた私は無力でした。
しおりも確認メールもない状態で現地集合する怖さは、まだ克服しきれてはいません。

長々とお読みいただき有り難うございました
書き出していくと思い出が溢れてきて
本当に日記のようになってしまいました。

私のペルー旅行は助けてもらうことによって
成り立っていました。
私になんの繋がりもないけど
困っているから助ける、そんな精神に
支えられて無事旅行を終えられました。

感謝でいっぱい
感動でいっぱい
思い出いっぱい
沢山感じたペルーにまた帰りたいです。

地球の裏側に行った日本人は
沢山助けてもらって帰ってきた

助けてもらいにいくわけじゃないけど
そんな温かい人たちがいる。

とっても心強く、また踏み出す勇気になります

誰かにとっても勇気の一つになったら
嬉しいです。

最後までお読みいただき有難うございます

素敵な1日になりますように

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