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僕たちは怒り・怒られすぎている

小野美由紀さんのnote『批判は人を育てない』を読んで。胸がキュッと締め付けられるような気がした。

なぜなら、僕も5年間居た編プロで同じにように批判され続ける環境に居たから。

小野さんはこう綴っている。

批判されると、人は縮む。心だけじゃなくて、体も。筋肉がこわばり、呼吸が浅くなり、脳に酸素が行き渡らなくなる。その経験は筋肉に蓄積され、ずっとずっと、後まで響く。

最近、脳科学の本ばかり読み漁っているけれど。小野さんの言うことは本当だ。怒られて、批判されると、脳は萎縮して活動を停止する。

太古から進化の過程で得た機能だろう。危険を察知した仲間が大声で叱ることで、一瞬動きを止める。敵や毒から身を守るためには、動きが止まったほうが生存確率が高かったのだろう。

子育てをしていると、いたずらをする子に対して「やめなさい」と怒る瞬間がある。声を上げられると一瞬、ビクッとして動きを止める。道路に飛び出したり、怪我を未然に防ぐには必要な機能だ。

ただ、怒られ続ける環境にあると……。段々と、萎縮した脳は考えることを止める。

一生懸命考えて、「こうじゃないか」と思って提案して話しても「バカだなお前、そんなことも分からないのか」と一蹴されて萎縮。怒られるのが嫌になり「分からないから教えてください」と聞いても、「そんなこと自分で考えろ‼︎」と言われて萎縮。そして、次は「とにかく波風荒立てないように無難にやろう」と思い始めるのだ。

編プロ時代の5年間で「原稿が下手だ」「面白くない」「気遣いができない」「使えない」そんな言葉をずっと浴びせられていた。そして、僕もどんどん心を閉ざしていった。

怒る側の状況は……。怒るのもまた人間の感情の一つであり、生きるために備わった機能。怒ることで脳は活性化して血圧や心拍数を上げるノルアドレナリンが出る。怒る過程で「自分が正しいことを言っている。間違っているお前を正す」という流れになると、側坐核が反応しドーパミンが出る。怒ることが快楽になっていく。時にはこれが、イジメやハラスメントに繋がっていく。

組織の生産性を上げるためには、「心理的安全性」が求められるという。怒るマネジメントではなく、脳の機能をそれぞれに知った上で、勇気を持って言うことと、そして適切なフィードバックが必要なのだろう。

そして、それがなかなかそれができないのは。僕たちが怒り、怒られすぎているから。怒ること、怒られることに慣れすぎて、感覚が麻痺してるのではないかと思ったのだった。



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