INTJと例のnoteとやり返す権利の話

「例のnote」がTwitterにトレンド入りした。
私はそのお笑い芸人の方も知らないし、お笑いにもあまり興味がない。例のnoteの方の記事だけ読んだ全くの門外漢だ。
だが、読んで思ったことがあるので、書いておく。

知らない方のために流れを書く。推しの芸人さんに批判的なことを書いた人が、推しの芸人さんに嫌われた、という流れだ。例のnoteはそれまでの経緯や本人の考え方が綴られている。

私は今まで生まれてずっと女をやっている。そして、生まれて以来ずっとINTJをやっている。
INTJ女はとにかく女社会と相性が悪い。嫌われるのだ。私はいじめられたこともないし、コミュニティの中で完全に孤立したこともない。だが、それなりに上手くやれている中でも、嫌われることは多い。
私はいわゆる「体育館裏に来いよ」の経験が3度ほどある。

実際には体育館裏ではないのだが、呼び出されて行ってみるとそこには私を嫌う人たちが複数人いて、文句のサンドバッグになるわけだ。
その中には納得の意見もあるが、ほとんどは要約すれば「お前生意気だから嫌い」だ。悪口のバリエーションがやたら豊富なだけで、言っていることはほとんど同じだ。
私が空気読めない女とて、流石に嫌われているかどうかくらいはわかる。呼び出された時点で予測できていた事態だ。

呼び出されても行かないという選択肢もあるが、私は律儀に行く。それは、なぜか。
言い返すためだ。相手が私のことを本当に考えた上で忠告してくれているなら話は別だが、こちらがサンドバッグにならなければならない法はない。
誰かの悪口を面と向かって言うなら、相手にも言い返されるという当たり前のことを教えて差し上げたのだ。

複数人で連んで人を呼び出す女たちに、自分が言い返されることを予想できるほどの頭はない。彼女たちは自分で戦場を選び相手を呼び出し攻撃しておきながら、奇襲されたような間抜け顔をする。
一人一人丁寧にこちらも悪口を言って差し上げる。彼女たちは、さっきまで自分たちが言ってたことは棚に上げて、そんなこと言うなんて酷いと被害者ヅラするしかできない。本当に思い上がった頭の弱い人たちだ。
思い上がっているのも頭が弱いのも私も同じだが。

自分が誰かを嫌いになるということは、相手にも嫌わせる権利をあげることだ。自分が攻撃するということは、相手にも攻撃する権利をあげることだ。
自分が剣を振り上げておいて、お前は黙って斬られていろなんてことが、罷り通る世の中ではない。たとえ相手を思って言ったことだとしても、受け取り方は相手次第だ。
例のnoteの方にはその視点が足りなかったのだろう。

底意地が悪くINTJで負けん気が強く我の強い私は、「右の頬を打たれたら、相手の右頬を差し出してもらう」のだ。自分の左頬を差し出すなんて、真っ平だ。元はそういう解釈ではないそうだが。

私は、実は陰口は悪いことではないと思っている。どんなに好きな相手であっても全てが大好き、と思ったことはない。どんなに好きな相手でも嫌なことは嫌だ。
誰かと陰口を言い合ってストレスを発散して「それでも好きだから一緒にいる」と思えれば、それでいいと私は思う。そして、自分が陰口を言った相手に陰口を言われても、自分と同じだと思えれば、それでいい。

だが、相手に面と向かって直接伝えるなら、話は別だ。私は人間関係の悪化に関して、どちらかが一方的に悪いということは、ほとんどないと思っている。全くの第三者から見れば、大抵のことはどっちもどっちだ。だからこそ、人は許し合えるし、許せるように努力する。
ハラスメントがタチが悪いのは、職務上の上下関係を利用した嫌がらせで、相手に反撃のチャンスを与えていないことだ。

実は私は例のnoteを読んで、少し共感した。
私も好きなものに対して批評的な考え方をするからだ。私の場合は、特定の生きている個人に向かうことはあまりないが。
自分が相手の頬を打つ時、その何倍もの力で打ち返されることもある。批評的で批判的な考え方をするINTJとしては、常に心に刻んでおかねばならないだろう。

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