福島県双葉郡浪江町を訪れた日のこと(2)

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わたしは運転ができない。
いずれ免許を取ろうと思いながら過ごしてきて、取らないまま、いつのまにかそこそこの年齢になってしまった。
東北の沿岸部を訪ねるとき、車は必須だ。以前、南相馬の観光協会で借りた自転車で町から海岸を目指したときは、日頃の運動不足もたたって全身ががたがたになってしまった。そうして見ることができたのは、被災地のほんの一部。信じられないほど広範囲に渡る被災地の、ほんの、ほんの一部だ。
前日と同じように同行者の運転する車の助手席に乗りこみ、この日はまず富岡町を目指して出発した。
浪江町から国道6号線を南に十数キロ走れば富岡町だ。その途中で双葉町と大熊町を通過するが、どちらもいまだに避難指示が解除されていない地域だ。もちろん、その理由は言うまでもない。
6号線を走っていると、風雨にさらされて崩壊した建物や、バリケードで塞がれた民家が見える。この日は薄曇りで、ときどき差す日の光がまぶしかった。

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2018年11月末に富岡町に開館した東京電力廃炉資料館は、テーマパークのような外観をしている。原発をPRする目的で建てられたエネルギー館を改装したらしい。ここでは福島第一の原子力事故と廃炉事業について、マルチスクリーンやAR、LEDディスプレイなどのハイエンドな最新技術を駆使して説明している。

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日曜日だったが、わたしたちの他に来場者はいなかった。
入館してまず案内されたのが、円形の大型シアターだった。一人で鑑賞席の中心に座ると、「2011年3月11日、当社は、福島第一原子力発電所で極めて重大な事故を起こしました」というナレーションで映像が始まる。謝罪と反省の言葉を繰り返しながら、原発事故発生以後の経過を説明する映像だった。シアターを出ると、地震発生から電源復旧までの11日間についてや、事故直後の中央制御室の対応を表した映像が続く。どの映像も、まず謝罪の言葉から始まっていた。
展示をじっくりと見てまわっているあいだに、結構な時間が経っていた。展示を見終わる頃には、いつのまにか人も増えていた。背広の一団が係員の説明を受けているのを横目に、わたしたちは資料館を離れた。

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この日は仙台に行くと決めていた。資料館を出て、6号線を今度は北上する。
北へと向かう道のりで、わたしたちはいくつもの慰霊碑を通り過ぎた。震災後、東北の沿岸部には多くの慰霊碑が建てられた。その慰霊碑の数の多さは、そこでどれだけ多くの人が亡くなってしまったのかを、静かに教えてくれる。
ある町の慰霊碑は、見晴台のような小高い場所に建てられていた。わたしたちはそこで車を停めた。その黒い慰霊碑は海を背にするように建てられていて、向こう側には海までずっと荒地が広がっている。車のエンジンを切ると、草木が揺れる音と、鳥の鳴き声だけが聞こえた。

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わたしたちは北上を続けた。途中で何度か津波浸水区間の標識を見た。海なんかまったく見えないような場所でその標識を見ると、それが指し示す意味を実感することがどうしても難しくて、とまどいながら進んだ。

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福島県の沿岸北部にある相馬市には、松川浦という漁港がある。わたしたちはそこで遅い昼食をとることにした。

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