忘れてはいけない日があると思うんだ

 今日は朝起きて、眠い目こすって普通に仕事に行って、なかなか捗った。卒業生を送り出してから1週間が経ったけど、僕はまだ腑抜けている。そんな中でも毎日は勝手に過ぎていくんだから、必死で生きていかないといけない。あの日までは違った。でも、あれからはずっとそう思うようにしている。

 今日は3月11日。東日本大震災から13年が経った。あの日から僕らの、少なくとも僕の世界への認識は変わったと思っている。当時大学3年だった僕は、地方から上京して東京を満喫しつつ、卒業後について少し考えだした普通の大学生だった。アメフト部に所属していた僕は、午前中の練習を終え、部室で昼ご飯を食べながらチームメイトとミーティングをしていた。その時、急な揺れに襲われた。今までに経験したことのない強さで、断続的に続いた。狭い部室に並べていた側面のロッカーが揺れて、食べ終わって椅子と机に置いていた食器が音を立てて床に落ちた。倒れそうなロッカーやテレビ、その上から落ちてくるものを何とか支えた。揺れが少し収まった時、ただ事じゃないと思って、全員でグラウンドに避難した。同じようにラグビー部やラクロス部、陸上部がいて、一様に不安な顔をしていた。

 とりあえず部室に戻ってテレビを点けたら、津波と原発の映像が流れてきた。これが同じ日本で、今ここで本当に起きていることなのか信じられなくて、騒ぐことも出来ず、皆静かだったことを覚えている。東北出身の仲間はすぐに実家に連絡を取っていたが、なかなか繋がらなかった。とりあえずそれぞれ家に帰ることになったけど、この後どんなことが起こるか、その時は誰も想像していなかった。

 家に帰ると、テレビから流れてくる悲惨な映像はいつになっても終わることがなかった。近くに住んでいた友達が集まってきて、何をすることも無く、ご飯を食べてビールを飲んで煙草を吸って寝た。地震の話じゃなくて他愛もない話をしていたと思う。これまで経験したことのない事象に遭遇すると、人は深く考えることが出来なくなる。

 一晩明けて、次の日の朝になってもテレビから流れる映像は変わらず、むしろ悲惨になっていった。もう誰もどうしていいのか分からないようになった。正しい情報が分からない。コンビニのバイトでは食品が入ってこなくなった。実家からはとりあえず帰ってこいという連絡があった。計画停電が行われて、ロウソクで過ごした夜もあった。卒業式が中止になり、東北が実家の友人は車で実家に帰っていった。

 これまでの大学生の春休みは部活と遊びにしか時間を費やしてこなかったけど、何もできなくなった。というか、何をしていいのか悪いのか分からなくなった。実家からは「原発が危ない。頼むから帰ってきて」と懇願される。確かな情報など何もないのに、話はどんどん大きくなって誰も制御できなくなっていた。僕は実家には帰らなかった。この状況でどこで何をしていようと変わらない。ただ芽生えたのは、今周りにいる人たちを守ろうという思いだった。実家が被災したチームメイト、友達が行方不明になっている友人がいた。自分に直接関わる形での被害も知り合いも被害を受けなかった僕は単なる偶然に救われただけ。だったら寄り添って皆で生きていくしかないじゃないか。

 あの日々に思ったのは、日常は決して当たり前じゃないってことだ。たくさんの被害が出て、たくさんの人が亡くなった。僕が今暮らしているのも生きていることも当たり前ではない。

 あれから世界はどう変わったのか。考えることをやめてはいけない。惚けていてはいけない。変わらない日常はないし終わらない。だから僕らは生きていく。

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