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「嘘」について考える

4月1日に”エイプリルフール”を理由にして
色んな「嘘」が世の中に出回ります。

今はほっこりする嘘もあると分かって
笑顔になれるきっかけになっています。
(明らかにネタだと分かる マックの内弁当とかw)

ですが、つい最近までエイプリルフールを嫌っているところが正直ありました。

それは「真に受ける」から
「冗談が冗談だと瞬時に判断できない」からです。

投稿を見た瞬間に嘘だとわからないから、一人で酷くびっくりして
後々”嘘でした〜”と言われて自分だけ疲れ果てて損した気持ちになります。

もっと言うと「勝手に疲れてバカじゃない?」
と言われるようでそこにもイライラしてしまう。
『イライラしたくてしてるんじゃない!』とまたイライラする。
その繰り返しが起こります。
心穏やかな時間を返してほしい!とさえ思います。

小さい時から、「冗談なんだからそんなに真に受けるなって!」と言われていたけど、それが冗談だったとしても、真に受けないことができないのです。


だから僕は、エイプリルフールという風潮にはノータッチで
”いつもの日常” を過ごしています。

そもそも、新しい環境に身を置いたりして、嘘をついている場合ではない、というのが正直なところです。(嘘に瞬時に気づけるくらいの余裕は欲しい)

毎年4月1日周辺で対話するたびに、上記の話で盛り上がります。

なので、真剣に「嘘」について考えてみたいと思います。

嘘の種類

嘘にも色んな嘘があると思っています。

辞書的な意味は『本当でないことを、相手が信じるように伝えることば』ですが、僕なりに

①ほっこりできる嘘
②サプライズ的な嘘
③気持ちを裏切る嘘
④ついしてしまう嘘

に分けて考えていきます。

①ほっこりできる嘘

エイプリルフールを象徴とするところはここにあると思います。日常ではありえないけれど、あったら面白うよね!ということを表現されたものがイメージしやすいですね(例えば、もし犬が人間だったら〇〇のような)

「こんなものが現実にあったら笑っちゃうな。でも会ってもいいかも〜」と自然と思えること、そして心臓に悪い驚きが起こらないこともポイントだと思います。

もちろん受け止め方は人それぞれですし、僕自身が小さいことも真に受けることもあるのですが。ほっこりできる嘘は、自分の日常や気持ちに全く関連がないので客観視ができて、嘘であると分かりやすいものだと思います。


②サプライズ的な嘘

嘘をつく時と、本当の目的を実行するときにタイムラグがある場合が多いと思います。

例えば、Aさんが結婚式を挙げると聞いたBさんは、Aさんの好きなアーティストに打診してサプライズ出演してもらうという場面などがイメージしやすそうです。

Bさんは「私は当日参列者として楽しみにしてるね」というものの、実際は、アーティストと一緒に楽器を演奏しているような。

目的を果たすために、良かれと思ってつく嘘は多いなとようやく実感できるようになりました。

「嘘をつく」という言葉がありますが、言葉にするものだけが嘘ではないと思っています。

例えば、何にも言われていないけど、ふと予約してくれたお店に行ったら、誕生日ケーキが用意されて、そこにいた人みんなが歌を歌ってくれた、という場面です。

意図的に言うだけでなく、”言わない”嘘もあると思います。ここに気づけたから、嘘と言う言葉の捉え方が ”嘘は良くない事”だけじゃないと分かりました。

③気持ちを裏切る嘘

エイプリルフールかかわらずSNSでよく起こる嘘はこれが大半なのではと思っています。

発信者が意図していなくても、受け取り方によっては酷く驚いたり、怖くなったり、悲しくなったり、怒ったりする。強い感情が起こる嘘は、人の気持ちを裏切っていくのだと思います。

SNSでよく見かける炎上商法もそうですし、敢えて事実でない過激な発言をすることもこの嘘かなと考えます。

意図的に強い感情反応を起こそうと嘘をつくとしたら、その後何が起こるのか?という想定ができているのかを考えたいなと思います。


少し論点がずれてしまいますが、発信者が意図しなくても嘘を広げているということもありますね。

Youtube動画や記事の切り抜きや、一部の情報だけをみてあたかも、それが事実だと思ってしまうことがあげられます。

その人その時に嘘でなくても、実は嘘だったということが思ったよりもある。どれが事実なのかもわからないくらいに情報で溢れかえっている時代だと思います。

だからこそ、「どの情報を拾うか」のセンサーを明確にする大切さを痛感します。そして、得た情報に対してその場で判断しない。大きく揺さぶられた時ほど、まずは一旦離れて落ち着くことを実践しています。

今広がる ”心臓に悪い嘘” は、②と③が混同しているケースが大半なのではというのが僕の考えです。

④ついしてしまう嘘

本当の意図が伝わったら不都合な時、咄嗟に嘘をついてしまうことはよくあるのではないでしょうか。

例えば

・大丈夫じゃないのに「大丈夫です」と言う

・本当は知らないのに「分かります」と言う

・できないのに「できます」と反射的に言う

・ご飯食べたのに「まだ食べてない」と言う

キリがないくらいに日常に溢れていると思います。

自分を守るための嘘もあり
相手に気を遣った嘘もある。
自分よりも相手を優先するための嘘もあり
その場を穏便に円滑に進めるための嘘もある。

どのような例でも、メリットがあるから嘘をつくということです。

人は快を選択します。一時的にはそれでよくても、長期的に考えたら逆にしんどくなる。快不快の判断基準はとても難しいですね。

僕自身は、ついついてしまった嘘をつくことで、嘘を隠すために嘘をつく。それが積み重なった結果、自分が分からなくなってなりました。生きる意味を失いました。

サラリーマン時代は、どれだけ疲れていても、常に笑顔でいました。始発で行って終電で帰ってくる生活を続けてきました。症状にでないことをいいことに、自分の気持ちを封じ込めながら過ごしてきました。

そのトリガーは「自分についたちょっとした嘘」だったのです。

ついついしてしまう、が一番厄介だなと思います。
無意識のうちに繰り返していて苦しいのならば
「今の自分のためになっているのか?」に立ち返るようにしています。


クリニックでもよく扱うテーマでもあります。
巷では「自分に嘘をつかないでいい」という言葉をよく目にします。

嘘をつかないことにフォーカスするのは、表面的であると僕は思います。

どんな背景で嘘をつかざるを得なかったのか。
その嘘でどんなメリットを享受していたのか。
本当はどんな自分でいたいのか。

などの奥にあるものを明確にしていく。

その鍵となるのが「ついしてしまう嘘」なのだと思います。

嘘を活かす

いかがだったでしょうか。

解釈は人それぞれですし、ここに書いたことは僕個人の見解でしかありません。

僕がエイプリルフールという出来事に対して寛容になれたのは、「嘘」の意味は一つではないということがわかったからです。

目の前の嘘はどんな嘘なのかを見極められたら、翻弄されることなく、自分に合った対応ができると実感しています。

外部がついている嘘については、誰がどんな思いでついているのかを見極めます。強い感情が引き起こされる情報はそもそも見ないようにする。タイムラインやニュースなどで不意に触れてしまった時は、自分の領域に立ち返って、自分の気持ちに寄り添うようにします。

自分が、自分にも相手にもついている嘘は、本当に必要なものなのか?この先どんな影響があるのかまで考えを巡らせるようにします。

このように、嘘を多角的に観られたら、みんなが心穏やかに過ごせるようになると強く感じます。

長文ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

ご感想や響いたところなどあれば、コメントやDM頂けますととても嬉しいです。

宇賀神

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