烏賀陽(うがや)弘道/Hiro Ugaya

ジャーナリスト・フォトグラファー 1963年京都市生まれ。京都大学経済学部卒。 コロンビア大学修士課程(軍事学)終了。 朝日新聞社記者を経て2003年からフリーの報道記者。 アマゾン著者セントラル:https://www.amazon.co.jp/-/e/B01MF8GG1A
固定されたノート

フクシマからの報告 2019年春    原発事故難民3人を再訪       帰郷・失望 単身帰還 隣町避難    8年後の今も事故前の暮らしは戻らず

ここに一枚の写真がある。福島第一原発事故から約半年後の2011年9月5日、山形県米沢市で撮影したものだ。原発事故直後から撮りためてきた写真アーカイブを探してみたら、出てきた。

 木幡(こはた)竜一さん(左)と但野(ただの)雄一さんが写っている。当時、二人は福島県南相馬市から避難して、米沢市の小さなビジネスホテルを避難所として割り当てられていた。そこを訪ねた時のものだ。

 それに先立つ2011年

もっとみる

「東京チカラめし」の消滅に見る     日本最大の資源 熟練ブルーカラーの消滅

牛丼チェーン店「東京チカラめし」が事実上消滅する、というニュースを読んで唖然とした。同社が競争に負けた理由が「牛肉を焼く従業員教育が重荷になった」とあったからだ。

「東京チカラめし」は2011年に東京に池袋西口店を開店し、競争の激しい牛丼市場に参入した。他社との違いは「焼き牛丼」だった。翌年には100店舗を達成。ところが2013年からは、調理スタッフが足りず、24時間営業を続けられない店が出始め

もっとみる

フクシマからの報告 2019年春    息子と娘の甲状腺にのう胞としこり   医師「経過観察ですね」        母「先生、意味がわかりません」

私は、2011年3月の福島第一原発事故直後から8年間、故郷から他県に脱出し、避難生活を送る人々を訪ね歩く取材を続けている。

山形県や埼玉県、群馬県、兵庫県など、その旅は全国に及んだ。会った人たちとは今も連絡を取り続けている。そして時折会いに行く。その生活や考えがどう変化したか、しなかったのか、歴史の記録に残したいと願っているからだ。

原発事故から8年が経つ。私が取材してきた人たちは、次の3パタ

もっとみる

フクシマからの報告 2019年春    福島第一原発復旧工事で白血病になった作業員再訪 「俺は昔の炭鉱夫くらいにしか思われてないのか」

今回の「フクシマからの報告」の取材のために、福岡県北九州市を訪ねた。東京から出発して、福島県とは反対方向の西に飛行機で飛ぶ。

なぜフクシマとは離れた福岡県に行くかというと、北九州市に福島第一原発の復旧工事に参加したあと、白血病にかかった池田和也さん(44)=仮名=が住んでいるからだ。2017年3月にも一度、池田さんを訪ねて話を聞いた。「俺たち作業員は捨て駒なのか」という記事で本欄で公開した。私が

もっとみる

フクシマからの報告 2019年春    8年間眠り続けた           原発事故被災地の高校 ついに休校  被災地に子供戻らず 消えゆく学び舎

前回のカエルの産卵プールに加えて、私がサクラ咲くシーズンに福島県飯舘村を訪ねると必ず寄る場所がある。

 同村深谷にある相馬農業高校・飯舘校である(冒頭の写真=2019年4月27日に筆者撮影)。1949年の創立。これまでに約3400人の卒業生を送り出してきた。全校定員40人のこじんまりとした学校だった。

 2011年3月11日から始まった福島第一原発事故による汚染で、国が全村民6,000人に強制

もっとみる

フクシマからの報告 2019年春    原発事故から8年 カエルの産卵地も除染で破壊 消えゆく事故前の山村風景

毎年、サクラの咲く季節に福島県飯舘村に取材に行くと、必ず足を運ぶ場所がある。同村の南端・比曽(ひそ)という集落にある公民館である。ここはかつては小学校だった。廃校跡に公民館が作られた。その一角にこじんまりとした体育館とプールが残っていた。

 このプール跡の水たまりに、冬眠から目覚めたカエルたちが産卵に戻ってきているかどうかを確かめる。それが私の毎春の習慣になった。

 飯舘村は阿武隈山地の中、5

もっとみる