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120年前の長崎の英字新聞を閲覧してきた

長崎歴史文化博物館に行く

調べ物をしに、長崎歴史文化博物館に行ってきました。常設展にではなく、資料閲覧室へ。昨今の情勢のため、気軽に利用できない状態で、事前にアポイントメントが必要だということで、メールで閲覧室の利用許可をいただいてからお邪魔いたしました。

通称「れきはく」へは、本帰国してから2回目。
前回は常設展をみに行っただけでしたが、今回はちょっとした調べ物が目的ということで、やや緊張感を伴いつつも(個人的には)貴重な経験となりました。

The Nagasaki Press

今回閲覧してきたのは、The Nagasaki Pressという当時長崎で発行されていた日刊の英字新聞です。
長崎港が国際港として全盛期だったころに発行されていたこともあって、当時の街の雰囲気に思いを馳せることができました。

1901年1月14日付の新聞が今回のお目当てで、コピーも取ることができました。さすがに現物をここで写真でお見せするわけにもいかないのですが、この日の新聞は当時長崎に在住していた外国人居留者の国別一覧(これは、バークガフニ(2010)から辿りました)が一覧表で示されています。

バークガフニ先生の当該論文はこちら。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000003kernel_81002117

なぜこの表に興味が湧いたかというと、このリストの中にTurkey 8という項目があるからなのでした。1901年の長崎に、トルコ国籍の人たちが8名いた…。

彼らはいつ来たの?トルコでは何をしていたの?何しに来たの?何をしたの?どれくらい滞在したの?その後どこへ行ったの?

このあたりがわかるといいなと思っているのですが、残念なことにこの新聞から得られる情報はそれほど多くありませんでした。

もう少し詳しい資料が何か残っているといいのですが。とりあえず、今後このような事情に詳しいエキスパートの方にあたりつつ、もう少しこのテーマについては追いかけてみたいなと思っています。


長崎とトルコに、「本当の」接点はあるのかどうなのか

長崎といえば先日言及した「サバサンド」といい、例の高カロリーめしといい、トルコとの関係がなんとも微妙な感じの街として知られています(知らんけど)。

それはおいといても、実際の本当の関わりというものがあったのかどうか。あるとすればどれくらいあったのか、その痕跡がわずかであっても長崎に残ったのかどうか。あったら面白いですけどね…!

わずかでもあったとしたら、「(かつての)長崎とトルコ」というテーマが現実味を帯びてきたりするかもな、という。
我ながらノリとしては軽いのですが(こうやってnoteのネタになりさえすれば、十分モトはとれるというものさ)少し真面目にアンテナを張ってみようかと思っているところです。続編に乞うご期待ください。あるとは限らないけど。

広告に目を奪われた件

さてThe Nagasaki Press. 当時の国内・国外社会情勢なども簡単に記事になっていました。当時の中国の情勢、韓国での日露間の緊張状態、等々。

それよりも今回、当時の新聞を閲覧した甲斐があったなと思ったのは、このThe Nagasaki Pressの広告が見れたことです。こっちのほうが自分にとってはメチャメチャ面白い。

当時の銀行が広告を出していました。長崎ではおなじみ、十八銀行。そして大手、三井銀行。銀行以外の会社の広告として、三菱のロゴももちろん見えます。当時のキリンビールの広告も!

この他、外国人居留地があった大浦近辺の大小の企業の名前。拳銃(リボルバーと弾薬を売っていたらしい!)の他に食料品やタバコを売っている商店、開業医、炭鉱会社のオフィス、ピアノチューニング業者(!)、洋品店、船舶会社、等々。

在留外国人向け、または長崎港にやってきた船員向けの新聞としてのカラーが鮮明に伝わってきます。

ほかには、当時の長崎〜門司間、乗り換えでの鳥栖〜八代間の汽車の時刻表も。当時、長崎から博多まで汽車で約6時間半、長崎から門司までなら9時間かかっていたのか…とか。また、長崎〜門司行きの列車は当時1日7便ほど。

今は長崎-博多間は2時間程度、最近また便数が減ったはずですがほぼ1時間に1本は出ていることを考えると、この120年でなんだかんだ言いつつも、ずいぶん便利になっているんだよな、ということなども。

また、当然の如く長崎港に発着した船便のリストも載ってあります。こういう紙面をざっと眺めるだけでも、当時の情景が浮かんでくる感じがします。

長崎は、このころ(1890年〜1904年くらい)が、国際都市としての全盛期だったのだろうなと。

嗚呼長崎

嗚呼、長崎。トルコ語でいうたら(たぶん)Ey Nagasaki'm.
かつてのそんな国際都市長崎が、また復活せんかなあ…

外国語を生業にする身としてはそんな幻想というか妄想を抱きながら、仕方なく(仕方なくじゃないけど)細々と「テュル活」をするくらいしかできることがないですね。

いやあ、本当に。長崎、なんともいえないこの感想。

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長崎奉行所跡近くの江戸町商店街の入り口にて。「オランダさんからもろたとばい」。

そうね。紋章ばもらうとはよかとばってん、もろてばっかぃでもダメじゃなかとかなぁ…

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