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汚泥に沈んだぼくらのまちに、桑山千雪がやってきた!(エッセイと嘘の話)

私の実家は2011年3月11日の東日本大震災で2m程度の津波を被って、1階は水没、2階が浮島のように孤立。当時大学受験を控えた私はいわゆる「自宅避難者」として過ごしていました。幸い人的被害はありませんでしたが物的被害は大きく、家は大幅なリフォームに1年以上を要し、奇跡的に無傷だった私のチャリは春先、知らんおっさんに借りパクされました。オラ面貸せや

ある程度水が引き、近所のご遺体はほとんど回収され、人々が生存よりも生活を考え始めた頃、まちには多くの善意の方々が来てくれるようになりました。学生ボランティア、宗教家、自衛隊の皆さんには物心ともにとても助けていただきました。最寄りの小学校に当時楽天のエース・田中将大氏が慰問に来た時、それを愚かにもスルーしてしまい、とても悔しかったのを覚えています。

……で、慰問に桑山千雪さん(ゲーム『アイドルマスターシャイニーカラーズ』の3人組ユニット『アルストロメリア』に所属するアイドル)が来てたら私はどうしていただろ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?!?!?!?!?と思ったので書きます!!!!!

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「昼にするべ」

泥と海の臭い、腐敗臭が鼻からとれなくなったころ、父が言った。海から流れてきた汚泥は水も砂もよく含み、けっこう重い。ちょうどキツくなってきた頃合いだった。

昼食と言っても、購入制限のかかった隣町のスーパーで何とか確保できた栄養ドリンクの小瓶とせんべい2枚だ。それでも、キツめのしょうゆ味とわざとらしい"ビタミン入ってます"味は午後の活力をくれる。

談笑していると、お向かいのおばあさん、Mさんが遊びに来た。この地域の高齢女性はいわゆる「お茶っこ飲み」がご近所付き合いのベースなので、このような事態でも頻繁に顔を出してくれる。おかげでこちらも閉塞感にさいなまれることはあまりない。

「O小さアイドル来るって」

Mさんは特に興味がある風でもなく私の祖母に言った。O小学校は徒歩10分程度にある、俺の母校でもある小学校だ。祖母はズピター?とだけ言うとMさんの返答を待った。祖母が知っている今世紀のアイドルはJupiterだけだ。
Mさんがそのアイドルを「『アストロなんとか』のめんこい娘」だと言うと、家族全員が首を傾げた。「近隣県のローカルタレントか何かかな」という空気になりかけた。父は「『アストロ球団』か?」ととぼけ、全員に無視されていた。

「アルストロメリア。前Mステに出てたじゃん、母さんは見てたでしょ」

思わず声が出た。母は思い出せていないようだった。

アルストロメリア。双子の姉妹と、お姉さんポジションのセンターによる3人組アイドルユニット。牧歌的な雰囲気と3人の個性で、比較的男女問わず人気がある。

いろいろMさんに聞いてみると、どうもセンターの桑山千雪さんのようだった。アイドル業界だと年上の風格を醸し出している千雪さんも、田舎の老人会にとってはヨソの孫と大した違いはない。

ヤバいな、芸能人じゃん。

ファンというわけではないが、やはりネットでもテレビでもよく見かける"あの"アルストロメリアの1人が来るとなると胸が高鳴る。

「早く食わい」

祖父の声がした。せんべいを食べる手は、かなりの時間止まっていたらしかった。


当日のO小学校はものすごい人だかりだった。平日の昼過ぎにも関わらず町中の人間が来ている――彼らの職場はそのほとんどが海に消えていた――上に、テレビの撮影も入ったものだから、老若男女入り乱れた人の海だった。

よ う こ そ 千 雪 ち ゃ ん

浸水しなかった教室のありあわせの備品で作ったのか、いびつな継ぎ接ぎをした模造紙に記された、色も濃さもメチャクチャな歓迎の文章が2階の窓につるされている。

徐行運転のバンが校庭の隅に入り、止まる。テレビとは打って変わって、レッスン用と思しきジャージを着た千雪さんが校庭に立つ。歓声が上がる。人の波が大きくうねり、テレビ班が詰め寄る。彼女の姿は見えなくなった。

周囲の人々に聞くと、避難所にもなっている体育館や校内を見学したあと校庭でミニライブを行うらしかった。この地区の電気はまだ通っていないので、ライブと言っても簡素なものだろう。

校内の見学は一通りしたらしいが、俺が見れたのは体育館での姿だけだった。他の時間帯はあまりに人が集まりすぎて、全く見ることは叶わなかった。

俺が体育館に入った頃には、千雪さんは避難者とそれなりに打ち解けているようだった。子どもたちにまとわりつかれ、満更でもない表情で笑っていた。

「女優さん?」

彼女に呼びかける大きな声があった。

半身を起こしたおばあさん。たしか、公民館の裏に住んでいるHさんだ。

「女優も最近はさせていただいて……本業は、アイドルなんです」

千雪さんがはにかみながら答えたのに対し、食い気味にHさんはまくし立てた。

「東京さ戻ればオメはテレビの撮影だ何だあるんだべ。オイは何もね。腰悪ィから泥掻きもしねで転がってるだけ。娘っ子にナニしろカニしろなんて言わねけど、わかっててけろ」

息が切れたタイミングで「言い過ぎた」とばかりに下を向き、動かなくなった。お互いが黙ってしまった。周囲の人々は、離れようとも、近づこうともしない。

「ごめんなさい」

千雪さんが沈黙を破った。その頭は、座っているHさんの頭ほどまで下がっていた。

「わかってるんです。ただのわがままだって。ただ」

一回深呼吸をしてから、頭を上げた。

「ただ、『今日この日に何もしなかった桑山千雪』として、いつか皆さんと会うのが嫌なだけなんです」

Hさんはしばし自分の指をいじった後、目を合わせずに口を開いた。

「屋上さ行ってけさいん」

「孫が釣りから帰ってこねんだ」

「探してけろ」

二人は再び黙ってしまった。


俺は屋上には登れなかった。3階から屋上に出る階段は何故か他の階よりひと回り小さく、撮影陣が詰めかけていると一般人が入る隙間はなかった。一同が階段を登る間は全くの無言だったように思う。
俺はほかの人々と一緒に、踊り場で押しくら饅頭状態のまま、かすかに漏れ聞こえる千雪さんと撮影陣の声を聞いた。風がやや強かったのもあり、彼女の声はほとんど聞こえなかった。屋上での撮影が終了する間際に「どこ」とつぶやいたように聞こえたが、空耳かもしれない。

人ごみにもみくちゃにされているうちに、彼女たちの姿は見えなくなった。学校のどこかに控室があるのだろう。しばらく待っていると誰かが「校庭でのライブ、このあとすぐらしい」というようなことを言い出した。一瞬どよめいた後、皆が校舎を出た。移動中、中学の同級生に会った。高校を1年で中退したといううわさを聞いていたが、中学時代と変わらず気のいいヤンキーだった。中学時代は決して仲は良くなかった、というより俺が不良グループとつるんでいると思われなくて距離を取っていたが、不思議なくらい話に花が咲いた。彼は中退後自身の素行を大いに反省し、隣町の会社で働いているとのことだった。

「ボーナスも出たからさ、車買ったんだよ、新車」「すげー、社会人じゃん」「まあ流されたけど」「今度からチャリ通勤だな」「先月新車自慢してたやつが自転車通勤ってダサくね」「社員全員車なんか流れたべ」「全員ダセえってことじゃん」

彼の話もしたし、俺の話もした。県外に出たい。だけど受験はダルい。彼女にフラれた。話題は尽きない。適当に話していると、なぜか二人とも来月には普段通りの日常が戻っているかのような口ぶりになってしまうのがおかしくて、二人でゲラゲラと笑った。ふたりの思慮の浅さは、現実逃避というよりも、互いの生存の祝福のように思われた。
ちなみに彼はアルストロメリアよりストレイライトが好きらしい。付き合い始めたばかりの頃の彼女にそれがバレたときはすべてのグッズを捨てられたとのことで、俺としては「別れればいいのに」と思ってしまったが、そこには俺なんかには知りようがない複雑な愛憎があるのだろう。グッズが減ってスッキリした2DKのアパートは、今はもう基礎しか残っていないそうだ。

いつの間にか、校庭の中心にはスピーカーやマイクが準備されていた。電源が確保できたようで、カラオケ程度の機材が置かれている。人々の会話は、だんだん小さくなっていった。後ろを見ると、体育館の避難者も多くやってきている。Hさんも車いすに乗せられて、仏頂面のまま準備風景を見ていた。

きいん、とハウリング。千雪さんが校庭に一人立っていた。服装は今までと変わらずジャージのまま。

音楽は流れず、まずは長い、とても長い謝辞が始まった。

被災地、メディア共に協力的な関係者ばかりだったこと、予想以上の歓迎を受けられたこと、被災地の現状を学べたこと、自分の限界を学べたこと。

包容力を感じさせる穏やかな声ではあったが、どこか悔しさや覚悟もにじんでいるように聞こえた。聴衆一人一人の目を見ながら語るその顔は、20代前半とは思えないくらい力強いものだった。

「ほんのすこしでも、私の歌が皆さんに何かを残せるのなら――」

彼女はそこで声を詰まらせると、一瞬押し黙り、簡易のPAセットで待機するスタッフに目配せをした。

音割れ気味の音楽が流れる。アルストロメリアで印象的な愛らしい振り付けは控えめに、ゆっくりとステップを踏み、彼女は踊る。

選曲はユニット曲と有名曲のカバーが半々。
メッセージ性の希薄なユニット曲は、「がんばれニッポン!」に食傷気味だった自分には嬉しかった。3曲ほど、テレビで見たことのある曲を歌ったが、どれもフルバージョンは初めて聞いた。千雪さんの声はテレビよりもずっと深く優しい声で、歌詞に関係なく涙腺を刺激される瞬間が幾度となくあった。
カバー曲は「上を向いて歩こう」「アンパンマンは君さ」など。個人的には不要な選曲に思えたのだが、いざ流れると、促されるまでもなく全員が手拍子と合唱。周りに流されるように手を叩きながら、「チャリティ/慰問の定番曲って、選ばれるだけの理由があるんだな」とぼんやり思った。ふと後ろを見ると、Hさんも手拍子をしていた。体全体でリズムをとっているようだったが、表情は真顔に見えた。

ライブが終わるころにはもう夕方になっていた。千雪さんは改めての謝辞とエールの言葉を口にした。

「わたし、また来ますから」

最後、千雪さんがそう言って頭を下げると、大きな、大きな拍手が起こった。この人数で、こんな音が出せるものなのか、と思った。


その日の夜は、父の態度が冷たかった。「テレビは馬鹿が見るもの」「アイドルなんかにうつつを抜かしていると犯罪者になる」と頻繁に語る父の事であるから当然だろう。家の泥かきを手伝わなかったのも大きいかもしれない。

ただ、父の嫌味はほとんど耳に入らなかった。

ヤバいな、アイドルって。

オペラ歌手が来た方が上手い歌が聞けるし、売れっ子芸人が来た方がもっと笑える。それでも今日という一日がこんなにも特別に感じられたのは、アイドルという存在自体に何か理由があるように思われた。

『わたし、また来ますから』

その時桑山千雪が見るのは、時が止まったままの荒廃した瓦礫の山か、なんとかすべてが片付いてスタート地点に立った広大な更地か、復興を遂げた穏やかな街か、どれになるかはわからない。ただ、「間をおかず何回も来てほしい」という気持ちより、「彼女の決意に恥じない風景を見せてあげたい」という気持ちが若干上回っている自分に気づくのには、数秒もかからなかった。

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みたいなことを最近ずっと考えていました。皆さんも自分の人生の一大事件においてアイマスが一瞬だけクロスするさまを妄想してみては?

Twitter、シャニマス垢あるのでよろしくね。


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