共にとろける。

画像1 「これからは多様性が爆発する」みたいなことを言われだして久しいが、今後は多様性を受け入れること自体が、ひとつの快楽になるような気がする。
画像2 しかし、思考レベルで多様性を受け入れようとした場合には、個体としての意識がちょこちょこ邪魔をしてくる。個体としての意識とは、否定のエネルギーを生み出し、個体を維持しようとする意識だ。否定のエネルギーは、人に向かうとうごめきを汚し、使命に向かうとうごめきを美しくする(可能性がある)。 どちらにせよ、相応のエネルギーを消費するのでずっと続けていると疲弊してくる。
画像3 思考の前段階、知覚/情動レベルで多様性を受け入れてみるのはどうか?情動は、身体感覚から得られる情報と、自分の中にある概念が結びつくことで生まれる。つまり、身体性のあるコミュニケーションによって、知覚/情動レベルで多様性を受け入れてみるのだ。そして、身体性のあるコミュニケーションとは、“共にとろける”ことだと思う。

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