マリ・ウィルソン『ショー・ピープル』ライナーノーツ(再録)

 本作はマリ・ウィルソンのデビュー・アルバム『ショウ・ピープル』を、当時のオリジナル曲順、オリジナル・スリーブ・デザインで再現した紙ジャケ復刻盤。彼女の曲は時代を超えてファンに愛され、過去に何度も編集盤がリイシューされてきたが、オリジナルの再現を念頭にCD化されるのはこれが初めてになる。当時からTシャツ、バッジ、ポスターを制作するなど、ノヴェルティ的な遊びを追求してきたコンパクト・オーガニゼーションだけに、ジュエルケースよりも、LPをミニサイズで再現したレプリカのような今回の紙ジャケットこそ復刻には相応しい。

 コンパクト・オーガニゼーションは、81年〜85年にかけてユニークな作品を世に送った英国のインディーレーベル。その首謀者がトット・テイラーである。労働者階級出身の家庭に生まれ、16歳でピアノを手に入れて音楽に取り憑かれて以来、フレッド・アステア、ガーシュイン、ラフマニノフに憧れて、独学でオーケストレーションを体得。70年代にはアドヴァタイジングというバブルガム・グループの一員としてデビューする。解散後、CBSのスタッフライターとして働きながら何枚かのソロシングルを発表していたトットだが、フィル・スペクターをヒントにしたモータウン風のガールズグループのプロデュースを構想していた折に、たまたま隣のスタジオで録音していたシンガー、マリと出会う。こうして書いた曲が気に入られ、CBS傘下のGTOレーベルから、トット・テイラー・プロデュースによるマリ・ウィルソンの最初のシングル「Love Man」がリリースされた。しかし好事魔多し、オフィス閉鎖の憂き目に遭い、GTOを離れた2人は、トットの実兄が始めたばかりのインディーレーベル、コンパクト・オーガニゼーションに身を寄せることとなる。こうしてマリ・ウィルソンは晴れてコンパクトの所属アーティストとなった。

 70年代末に吹き荒れたパンクムーヴメント後、ロンドンには数多のインディーレーベルが誕生した。オックスフォード通りにあったコンパクト・オーガニゼーションもその一つ。だがポストパンク勢がひしめく他レーベルと異なり、リリース作品はどれもポップなサウンドばかり。60年代のスパイミュージックに着想を得たヴァーナ・リント、本職は彫刻家というシンシア・スコット、フォンタナ・ミックス、シェイク/シェイクなど個性派ニュー・ウェーヴ・バンドを数多く擁した。50年代広告のようなスリーブデザイン、オシャレなタイポグラフィ、ポップなサウンドでファンを魅了し、16トラックのガレージスタジオでも、メジャーと比肩するゴージャスなサウンドが作れることを証明した。サイン入りのオートグラフを通信販売するなど、所属シンガーをハリウッド女優のように扱うスタイルもユニークだったが、そんなコンパクト・オーガニゼーションの看板的存在が、マリ・ウィルソンであった。

 マリ・ウィルソンは1957年、ロンドン北西部ニースデン地区に生まれた。3歳のころから歌や踊りを覚え、親戚や近所で評判を呼ぶ存在に。15歳で学校を卒業し渡米し、ベビーシッターをしながら、2年間をニューヨークで過ごす。そこで全盛期のフィラデルフィアソウルを体験し、タムラモータウンとフィリーソウルが彼女の血肉となった。好きな歌手はダイアナ・ロス、ペギー・リー、アルマ・コーガン。帰国後は海外貨物運送会社に務めながら、バックヴォーカル仕事のアルバイトを続けていた。そんな彼女が注目され始めるきっかけとなったのが、30cm近くある蜂の巣ヘアと50年代ファッションだった。10歳年上の姉ヘレンとはライバル的関係で、挑発的な発言でしばしば彼女を刺激する存在だったそうだが、姉に負けじとファッションが過激になった末に、あの個性的なビーハイヴファッションで歌うようになったという。

 82年に「Dance Card」でコンパクトから再デビューしたマリ・ウィルソンは、すぐにテレビ、コンサートに引っぱりだこに。「Just What I Always Wanted(マリのピンクのラヴソング)」が同年9月にリリースされるやいなや、全英チャート12位のヒットとなった。典型的な労働者階級出身者だったマリ・ウィルソンは、「ミス・ビーハイヴ」の称号を得て、80年代のワンナイトサクセスを体現するスターとなる。ときあたかもニューウェーヴ全盛期。米国のThe B-52'sのシンディ・ウィルソン、ケイト・ピアソンの蜂の巣ヘア(「B-52」はカツラの番号)や、映画『ピンク・フラミンゴ』の怪優ディヴァインのクィーアファッションのような、ニューヨークの先端クラヴシーンの動きとも共鳴し、モータウンサウンドのリヴァイヴァルは、全世界的な現象になった。

 日本でもデビューすぐにマリ・ウィルソンの存在はいち早く広まり、青山の輸入レコード店、パイド・パイパー・ハウスの常連客の間で評判に。鈴木慶一、岡田徹、白井良明らムーンライダーズの面々や、サンセッツの久保田真琴らがこぞって彼女にラヴコールを贈った。ピチカート・ファイヴの小西康陽も大ファンで、ファンクラブ組織「コンパクト・リスナーズ」の終身会員だったのは有名だ。

 各レコード会社によるレーベル争奪戦が繰り広げられたが、コンパクト・オーガニゼーションのレーベル契約は実現せず、日本では英国外の配給元だったロンドンレコードのカタログとして、マリ・ウィルソン『ショウ・ピープル』はポリドールから発売された。それが「Ecstacy」をシングル「Beware Boyfriend」に差し替え、曲順の並びを変えた同一ジャケットの『ショウ・ピープル』(ロンドンレコード編集盤)と、未収録曲を集めた日本企画のピクチャー・ラベル『マリ・ウィルソン』の2タイトル。ちなみに、ヴァーナ・リント『シヴァー』は同じくポリドールから、トット・テイラーの一連作品、ザ・サウンド・バリアー『ザ・サバービア・スイート』は、西武セゾン系列のWAVEレーベルからリリースされている。

 マリ・ウィルソンがロンドンっ子を熱狂させたのは、その独特のステージング。往年のモータウンのようなビッグバンドを率いたアクトは、パンクキッズでひしめくライヴハウスをアポロシアターに変えた。MCのハンク・B・ハイヴの呼び込みで専属バンド、ウィルセイションズの演奏がスタート。女性コーラス2人組のマリオネッツ、ハンクを含む男性コーラス隊マリーンズが加わって、最後に彼女がステージに登場という気の利いた演出で楽しませた。毛足の長いモールを付け、スパンコールとロングドレスで歌うパフォーマンスがファンを魅了。ちなみに彼女の専属作曲家兼バンド・マスター、テディ・ジョンズとはトット・テイラーの変名で、ウィルセイションズの正体は、スチュワート・カーティス(サックス)、ポール・バルティチュード(ドラムス)ら、レーベル所属のサ・サウンド・バリアーとほぼ同一メンバーである。

 ポールはアドヴァタイジング時代のトットの同僚で、ザ・ジェットセットのプロデューサーとしても有名。マンフレッド・マン『ソウル・オブ・マン』のようなジャズ・インスト・アルバムを発表していた彼らは、日本でも支持者が多いことで知られる。小西康陽は自己グループ、トーキョー・クーレスト・コンボを結成し、選曲家、DJの橋本徹が率いるサバービア・スイートのレーベル名は、彼らのアルバム名から拝借したもの。また、マリオネッツのコーラス嬢の片割れ、ジュールズ・フォーダムは、「ハッピー・エヴァー・アフター」のヒットでソロ歌手として成功する、後のジュリア・フォーダムである。

 ビーハイヴヘアというマリの奇抜なファッションに触発され、テディ・ジョンズ=トット・テイラーが創作したのがウィルセイションズ。一種のコスプレ・ショーをステージで演じた彼女は、「Just What I Always Wanted(マリのピンクのラヴソング)」の突然のチャートインで、時代の寵児として脚光を浴びた。

 大手ロンドンレコードから全世界配給されたデビューアルバム『ショウ・ピープル』は、コンパクトとの一種のジョイントベンチャー的作品で、ヒットメーカーだったトニー・マンスフィールドがプロデュース役を引き受けた。自己グループ、ニュー・ミュージックを率いて79年にデビュー。グループ解散後にプロデュースを手掛けた、キャプテン・センシブル「ハッピー・トーク」(82年)が全英1位のヒットに。ネイキッド・アイズ、ア〜ハなどを英米チャートに送り込み、80年代屈指のプロデューサーとして、当時はトレヴァー・ホーンと双璧をなす存在だった。

 一連のシングル曲のガレージサウンドと対称的に、最先鋭フェアライトCMIを駆使して、アレンジもゴージャスに。フィル・スペクターのウォールサウンドを再現した、サンプラーによる荒々しいドラムフィルは、“エレクトリックフィレス”とでも呼びたい迫力。マリ×トット×トニーが三位一体となって、『ショウ・ピープル』は極上のテクノモータウン作品に仕上がった。当時、日本でも「アレンジの教科書」と呼ばれ、おニャン子クラブを始めとしたエピゴーネン的作品が数多く生まれている。『ショウ・ピープル』発売後のシングル第1弾となった「Beware Boyfriend」も、引き続きトニー・マンスフィールドがプロデュース。風変わりなユーロビート曲「Let's Make This Lust」(84年)まで、トリオによる作業は続けられた。

 86年、トット・テイラーが来日してムーンライダーズの鈴木博文と対談した際、筆者はたまたま立ち会うことができたが、これはトットが妻と始めた新レーベル、ロンドン・ポピュラー・アーツのプロモーションのために行われたもの。そのトークショーで、80年代半ばにトットがコンパクトの運営から離れた旨が告げられた。マリ・ウィルソンのレーベル最後のシングルは、マイク・ニューウェル監督の映画『ダンス・ウィズ・ア・ストレンジャー』の主題歌「Would You Dance With A Stranger」(85年)。こちらはリチャード・ハーレイが作曲を務めている。

 ロンドン・ポピュラー・アーツと契約し、トットのソロアルバムの配給元となったWAVEは、その後、VA『A Young Person's Guide to Compact』(81年)や、マリ・ウィルソン、ヴァーナ・リントの編集盤など、コンパクト・オーガニゼーション作品の世界初CD化を実現。その後、トットはサウンドケークスなるレーベルを旗揚げし、日本のソニー・レコードと契約を結ぶ。96年にはザ・ミュージック・ラヴァー、サラ・デイヴィスなどのニューカマーの制作と並行して、ヴァーナ・リント『シヴァー』、『プレイ/レコード』、ザ・サウンド・バリアー『ザ・サバービア・スウィート』などのアルバムが初めてCD復刻された。

 しかし、マリ・ウィルソン『ショウ・ピープル』は『ジャスト・ホワット・アイ・オールウェイズ・ウォンテッド』と改題され、「Cry Me A River」は「Tu No Me Lores」というスペイン語ヴァージョンに。その10年後、2007年に英国のライノがリマスター編集盤『The Platinum Collection』をリリースするが、20曲入りのこのコンピレーション盤で、初めて『ショウ・ピープル』全曲が一枚にまとまめられた。今回の紙ジャケ復刻はこのときの最新リマスター音源を元に、曲順をコンパクトの英国盤の並びに戻して、オリジナルジャケットを紙ジャケで再現したものである。

 シングル音源をまとめた過去のコンピレーションも素晴らしかったが、一つのショウを再現するような『ショウ・ピープル』のアルバム構成はまた格別。アルバムは、シュープリームス「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」を思わせる、コンサートのオープニング曲「Wonderful To Be With」で幕を開ける。「ベイビー・ラヴ」を連想させる「Remember Me」、「The End Of The Affair」、「Ecstacy」など、典型的モータウン風ナンバーが本作のハイライトに。ダルシマーのイントロが印象的な「One Day Is A Lifetime」のアンニュイなメロディー、転調などバート・バカラック風のアプローチも。ディオンヌ・ワーウィックが歌ってヒットした本家デヴィッド/バカラック「Are You There (With another Girl)」のカヴァーも、しっとりとした特有の甘い声が聴き手を魅了する。今回、英語ヴァージョン初収録となった「Cry Me A River」は米国のブロンド歌手、ジュリー・ロンドンのカヴァー。55年にヒットしたジャズヴォーカルの定番で、これのみプロデュースをアラン・パーソンズ・プロジェクトやケイト・ブッシュの制作者として知られる、アンドリュー・パウエルが手掛けている。「This Time Tomorrow」は、トットのソロ『プレイタイム』にもセルフカヴァーが収録されている曲だが、マリのヴァージョンに軍配が上がるだろう。

 オリジナル盤は12曲目の「This Is It」がラスト曲だったが、今回はアンコール編としてボーナストラック4曲を追加収録。コンパクト時代の最終シングル「Would You Dance With A Stranger」でCDは幕を閉じる。トットによれば『ショウ・ピープル』のレコーディングは、多忙なウィルセイションズのギグの合間を裂いて、かなりスピーディに完成が進められたという。モータウンの歴史的名盤も、アルバム1枚を1日で録音する強行スケジュールで作られていた話は有名だが、英国インディーズらしいパンクスタイルが、モータウンの神話をなぞっているようでおかしい。

 最後に『ショウ・ピープル』発表後の彼女の足跡を辿っておこう。テレビ主題歌に起用された「Perhaps, Perhaps, Perhaps」がシングルヒット。BBCのテレビシリーズ、ミュージカル出演や、ブライアン・フェリーのツアーサポートなど、コンパクトから離れた後も輝かしいキャリアを築いた。その後、80年代半ばにジャズ歌手に転身。自身のトリオを率い、ジャズの殿堂ロニースコッツクラブなどに出演し、デビュー時の夢だったロイヤルフェスティヴァルホール公演も成功させている。アルバム制作のほうは、91年の『ザ・リズム・ロマンス』で再開。ボーイ・ジョージが曲提供したミュージカル『TABOO』の曲を収めた『Dolled Up』(05年)、ポップスシーンに帰還した最新作『Emotional Glamour』(08年)など、堅調にアルバムをリリースし、現役シンガーとしての健在ぶりを示している。

 トット・テイラーも95年に、久々のVA『バッハ・イノヴェイション』を発表。ミック・バス、ザ・サウンド・バリアー、ヴァーナ・リントらが名を連ねる実験的内容で、コンパクト・オーガニゼーション時代のスピリットを復活させた。トットのソロ『プレイタイム』、『ジ・インサイド・ストーリー』の日本での紙ジャケ化に続いて、こうしてトット・プレゼンツの形で『ショウ・ピープル』完全復刻を果たせたのも運命的。2007年の編集盤『The Platinum Collection』リリースの際に、往年のレパートリーを中心とした小規模ツアーを行っているマリ・ウィルソンだが、ぜひともテディ(トッド)とともに来日して、往年のウィルセイションズのステージを再現してほしいものである。

(了)

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