1976年の本日、米ビルボード・チャートで坂本九「上を向いて歩こう」以来の1位を獲得した、冨田勲『展覧会の絵』

1976年8月16日は、冨田勲『展覧会の絵』が米ビルボードのクラシック・チャート1位に輝いた日。チャート2位に終わった前作『月の光』(74年)は日本人初のグラミー賞4部門にエントリーされる話題作になり、満を持して発売された冨田勲のシンセサイザー作品第2作である。日本人がビルボード1位になったのは坂本九「上を向いて歩こう」以来。ちなみに一連の冨田作品は自社スタジオで自主制作されたもので、日本のレコード会社に持ち込まれたものの理解を得られず、冨田が直接海外に売り込んで米RCAと契約。『ダフニスとクロエ』(79年)までの7作は洋楽扱いで日本に紹介されている。制作期間14カ月、完成からリリースまで1年を要した『月の光』の試行錯誤を踏まえ、7カ月で完成させた初の本格組曲で、『月の光』ヒットの報に励まされて創作意欲溢れる中での作業となった。

選ばれた『展覧会の絵』はロシアの作曲家、ムソルグスキーの代表作。おそらく発表時は多くのリスナーが先に、エマーソン・レイク&パーマー版を耳にしていただろう。異例のヒットとなった71年のライヴ・アルバムだが、こちらはメンバー自作曲を交えたダイジェスト版で、全編編曲の登場が待望されていた。中高生時代、ロックに理解ある若い音楽教師から聞かされた最初の洋楽が、EL&P、冨田勲いずれかの『展覧会の絵』だったという輩も多いはず。吹奏楽部のレパートリーとしても人気が高く、同作者による「禿山の一夜」も演劇用のウィンド・マシーンを使ったハイライト演奏で知られており、スペクタクルな曲調はいかにもシンセサイザー向きの題材だろう。ラヴェル編曲による管弦楽曲として有名だが、オリジナルはピアノ曲で、冨田にとっては『月の光』に続くピアノ作品。オルガン曲を精緻にシンセサイザー化した『スイッチト・オン・バッハ』の線画的描写に比べ、ピアノ曲が独自の色彩感で彩られていくのが冨田シンセサイザー編曲の醍醐味で、第5プロムナードの省略など構成はラヴェル編を範としているものの、堂々たる冨田編曲になっている。

実は冨田が『展覧会の絵』を手掛けたのは、虫プロの劇場アニメ『展覧会の絵』(66年)以来2度目。秋山和慶指揮、東京交響楽団の演奏で初上映されたが、ラヴェル編曲の著作権が高額なため作り直しを余儀なくされ、急遽冨田に依頼されて1週間でスコアを書き直し、DVDなどで観れる現在のヴァージョンに。ここでもエレキ・ギター、プリペアド・ピアノ、ミュート・トランペット、口笛などを使った、冨田流のオリジナルな編曲が試みられた。ちなみに初号上映版ではラストに指揮者の実写映像が挿入されており、世界初の立体音響映画だった『ファンタジア』の日本版を標榜していたことがわかる。『ファンタジア』で指揮を務めたストコフスキーの影響下で、50年代から立体音響に取り組んでいた冨田に、改訂版の編曲が依頼されたのも運命的。

「卵のからをつけたひなの踊り」が『ウエスト・サイド・ストーリー』をもじったチンピラのひよこに置き換えられるなど、虫プロ版はかなり風刺の効いたブラックな作品に仕上がっていたが、冨田シンセサイザー版もそれに負けじと、金持ちと貧乏人のユダヤ人2人をモデルにした「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」では、やり込まれる経営者と組合の闘士に立場を逆転させ、70年代のゲバゲバな社会風「俗」を匂わす風刺が笑える 「私の音楽の作り方はアニメ的」と冨田は公言しており、「卵のからをつけたひなの踊り」で聴ける、猫、親鳥、ひなの追っかけ合いなど、まるで音によるアニメーション。楽器音と効果音の混交は『トムとジェリー』で有名なスコット・ブラッドリーの音楽のよう。


初のビルボード1位になったのも、『月の光』より深化した描写力の賜物か。コントロール・インプットに直接鍵盤をつないでアナログ・シーケンサーをオシレーターに用い、つまみの位置で複雑な波形を作り出すというモーグ博士もビックリの使い方も。低域が弱いと言われるモーグ作品にあって、FM音源に迫る鋭いコントラバスの響きが特徴的。沈黙と器楽音との対比などもより抑制の効いたものになっており、静寂が奥行きを感じさせる構成は、しばしば「能の影響」と讃えられた虫プロのリミテッド・アニメーションを彷彿させる。また、ラヴェル版で有名な冒頭のトランペットはメロトロンの人声に置き換えられ、プロムナードの各曲が男女混声のアカペラで綴られている。楽器の使用を禁じたロシア正教の典礼音楽など、おそらく独自の音楽考証が盛り込まれており、フランス的洗練を特徴とするラヴェル編曲とのコントラストも見事。『展覧会の絵』はもともと、フランス、ローマ、ポーランドなどの国外の風物詩を描いたハルトマンの絵画展にインスピレーションを受けて書かれた組曲だが、冨田版はモチーフを拡張し、エスニックな京劇風や南国のスティール・パン風のアンサンブルまで登場する。イーヴンタイドのフェイズシフターを使った「こびと」のジェット効果などは、録音芸術の真骨頂。SF版『展覧会の絵』とも言うべき冨田のストーリーテラーぶりが発揮されており、聴き手を絵画から成層圏外へと誘う。


同時代にも大いに評価されたが、実は冨田作品のほとんどが、オリジナルは4チャンネルで制作されており、冨田曰くステレオ版はその疑似体験版。『ダフニスとクロエ』までの全作品が、ビクター方式のCD-4レコード盤でも発売されていたのだが、「音のサーカス」と言われた4チャンネルレコードはキワモノとして時代の遺物になった。それが今日、DVDなどの映画ソフト技術の恩恵でサラウンド体験などもごく身近な存在に。現在、冨田は過去作品の4.0chサラウンド化を自らが進めており、脳内にあったオリジナルの設計図に近い音場を体験できるようになった。本作をまだ未体験という方には、お手持ちのハイファイ装置で立体音響が楽しめる、日本コロムビアから出ているサラウンド改訂版を是非おすすめしたい。

(大人のMusic Calendarより転載)

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