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#52 デザインは言葉の壁を超える。ホームセンターからweb業界へ。/株式会社Gear8 水野晶仁さん #BOSSTALK(廣岡俊光)

 北海道の活性化を目指すボス達と北海道の未来と経営を楽しく真剣に語り合う「BOSS TALK」

今回は株式会社Gear8 代表取締役の水野晶仁さんです。

<株式会社Gear8>2009年に札幌で創業。企業のweb制作や、商品のロゴマークデザインをはじめ、インターネットを利用したマーケティング戦略の立案などを手掛けています。現在は、札幌、福岡のほか、バンコク、チェンマイ、台北に拠点を持ち、更に2023年にカンボジアに進出を予定するなど、様々なエリアの新しいアイデアを取り入れながら、クライアントのブランディングや自社メディアの開発に力を入れています。

小売業からwebデザイナーへと大きなキャリアチェンジを経験した水野さん。一見まったく異なる領域ですが、実は過去の経験がいま活きていると感じています。水野さん流のコミュニケーション術も教えてくれました!


■ 祖父との思い出が“はじめの仕事”を選んだ原点

―― どのようなデザインを担当していらっしゃるんですか?

 webサイトのデザインがメインです。「サツドラホールディングス」、パン屋さんの「どんぐり」などのwebサイトを手掛けています。

サツドラホールディングス 公式ホームページ
どんぐり 公式ホームページ

 また飲食店に限らず小売業・学校・病院など、webサイトデザインを中心にブランディングをしています。

―― デザインを扱う仕事は昔から志していらっしゃったんですか?

 昔はここまでクリアにこの仕事をするというのは全然決めていなくて。私の祖父が一人親方の大工だったんです。祖父の家に行くと小屋があって、そこが資材置き場で木がたくさん置いてあって・・・祖父が削った木くず、かんなくずでよく遊んでいた記憶があったんです。

 ものに触れるものを作るという感覚が割と幼いころからあったのかなと。当時はデザインを仕事にすることはまでは決めていなかったですね。

―― 学校を卒業して、webデザインの仕事に就くまでについて教えてください。

 大学卒業後、ホームセンターに就職しました。そこではパートの管理や売り場の整理などを3年間ぐらいやっていました。幼少期に祖父の仕事を間近で見てきた記憶から、なんとなく“木にまつわる仕事”がしたいなという思いがあったんです。

―― ホームセンターではその木にまつわる仕事はできたんですか?

 できなかったんですよ。(ホームセンターで)木を扱う仕事=バイヤーになるということなんですが、当時のホームセンターは中国などまで買い付けに行って、そこから大量に木材を輸入して皆さんに販売していました。

 そこで「木材のバイヤーになるには就職して20年ぐらいかかる」って言われたんです。めちゃくちゃ長い・・・。当時22、23歳。自分がなりたい職業に就くのに43、44歳まで待たなければならない。さすがに長いなと思って、そこから違う道を模索し始めました。

―― ホームセンターを退職した後は?

 ホームセンターを退職後にデザインの専門学校へ通って、基礎からデザインを学びました。そんなタイミングで「短期アルバイトデザイナー」の募集を発見したんです。短期で、アルバイトで、デザイナー(笑)。デザイナーという肩書きの職種に就きたかったので、すぐに応募して採用していただきました。

■ 小売業経験が活きた!? デザイナーの仕事で求められたコミュニケーション力

―― いよいよ憧れのデザイナー生活ですね?

 それが、デザインの仕事ができるのかと思いきや、まず任されたのは、印刷したポスターの余白をきれいに切り取る仕事。当時は”カットマン”と呼ばれていました。世の中の厳しさを感じましたね(笑)。

 そこからPCを使って仕事ができるようになるまで半年ぐらい。その後は写真のごみ取りやデザインのレイアウト修整など、2年半くらい下積みです。

 その後はフリーでやっていこうと思っていたんですが、立ち上げ段階のwebマーケティング会社から「入りませんか?」とお声がけをいただいたので、その会社に入りました。

―― そこから独立したのはいつですか?

 2008年1月1日に創業しました。はじめは仕事もお金もコネクションもなくて、そもそも営業した経験がなかったので「待っていれば仕事は来るかな」と。来るわけないですよね・・・。そこから知人に声掛けなどして小さな仕事からお願いして回りました。決して順風満帆ではなかったです。

創業当時のオフィス

―― 新卒から3年間の小売業経験が、デザイナーになって活きることはあったんですか?

 最初はデメリットだと思っていました。私は25、6歳で退職して大きくキャリアチェンジに挑戦しましたが、(他のデザイナーは)専門学校や美大を出て専門の勉強をして、優秀な師匠について、そこからデザイン事務所として独立するみたいな流れが王道としてありました。ホームセンターからデザイン業界に行く・・・圧倒的に時間をロスしている感覚が最初の頃はありました。

 ただ独立する少し前から、webディレクションに携わるようになって・・・お客さんのところに行って、要望や課題、次にやりたいことなどを確認しながらプロジェクトを進行管理していく。そこでお客さんと話をするときに、ホームセンター時代の社会人経験や、小売のノウハウが活きてきたんです。

 デザイナーの後半戦のところ、ディレクターになってから「あ、そうか。新卒で入ったあの3年間は無駄じゃなかったんだ」と感じました。

 (ホームセンター時代は)店頭に立って販売することも多かったです。いろんなお客様とのコミュニケーションの取り方を学んだ新卒の3年間というのは、いま専門領域としているBtoBの仕事の中でもかなり活きています。


■ 水野さん流『横関係のコミュニケーション術』

―― webディレクションは、よいデザインの提案はもちろん、クライアントの会社のことを知る必要がありますよね?。仕事のコツはありますか?

 「何を作りたいですか?」「どんな色が好きですか?」といった、実際に話をする企業の担当者の好き嫌いで判断しないでデザインを作ることでしょうか。

 大切なのは、その会社が『いまどこに向かおうとしているのか』。例えば、いま売れている商品はAだけど本当はBを売りたい。そして3年後にはBやCが主力になっている、そんなwebサイトの作り方をしなくてはいけない、というように、事業の領域を幅広く見ていかないといけない。どこを深堀りしていけばいいのかという部分のコミュニケーションの仕方は気を付けています。

―― 仕事を請け負うというよりは、中に入ってクライアントと一緒に作っていくみたいなイメージですね。

 受発注の関係だと「このデザインいかがですか?」「もうちょっとここを…」というように、お客さんと私たちの間でデザインが決まっていく。もちろんそういうサービスがあってもいいですが、これは結構好みに走っちゃいがちになります。

 「なぜやりたいのか?」「なぜこの商品を売りたいのか?」・・・売り方や拡げたいエリアに向かってどうやっていきましょうか、と(の関係)で相談しながら進めていくのが私たちのやり方になっています。

 コミュニケーションの取り方って、一方通行だとよくない。いろんな方の話を聞く必要がありますし、時には使ってくれているお客さんにアドバイスをいただくこともあります。そうすると、そのお客さんは私たちがお手伝いしている商品やサービスの『ファン』になりやすいんです。自分も参加している感じ。

 キーマンだけが話をするのは避けるようにして、周りの人たちをちょっとずつ巻き込んでいく。これが“ディレクションの妙”ですね。


■ デザインが、ことばの壁を超えていく。

―― 現在海外にも事業を展開していらっしゃいますよね。

 webマーケティング会社を退社した後、独立しようと思っていた時に「海外で新しい事業を展開しようと思っているので手伝わないか」というお話をいただきました。その時に、ドバイや上海でお仕事をさせていただいたことがきっかけで海外展開への心の準備ができました。

 普段日本語でやり取りしていると細かいニュアンスまで伝わりますが、海外だと言葉も文化も商習慣も違います。「こうだろうな」が通用しないことがあるし、トラブルもよく起こります。国内では楽なビジネス環境で仕事ができていたんだなということが改めて認識できました。

―― 今後考えていらっしゃる事業展開の方向性は?

 現在、企業のブランディングからwebサイト制作でのアウトプットまでを行っていますが、この仕組みを横展開してのエリア展開を考えています。2~3年後に10拠点ぐらいまで拡大することが直近の目標です。

 最終的には東アジアや東南アジアまで見据えて、それらの10拠点が入り乱れながら仕事をしていくことを目指しています。

―― 世界の視点が加わったデザインの可能性や、北海道から世界へ広がる将来のビジョンは?

 海外で勉強会に参加したときに、10年くらい海外でマーケティングを行っている人から聞いて参考にした話があるんです。「日本で会議をした時に“メンバーが全員日本人だったこと”に驚いた」と。日本だと当たり前なんですが。

 海外で長く仕事をしている人からすると、さまざまな国籍の人がいて、英語など共通言語でのコミュニケーションがギリギリ。あとは表情や身振り手振り、プレゼンの内容などを、総合的なコミュニケーションのスキルとして身に付けている。「日本人が作るものを日本だけで消費していることに閉そく感を感じた」とおっしゃっていました。

 様々な国のクリエイティビティや思考、文化の背景、歴史など、各エリアのデザイナーやクリエイターのアイデアが交わったときに面白いものが出来あがる。国境が交わるエリアには美味しい食べものが生まれる、という感覚に近いんじゃないかと思っています。

―― ことばが通じなくても、デザインがあればそれを超えていける、と。

 上海で仕事している時に、私は中国語を話せないし、相手も日本語を話せないので、画面越しでお仕事をするんですよ。相手が作ったデザインを画面に映し、それを私がちょっとずつ直していく。アイコンタクトや指差しだけでもクリアに伝わった。デザイン自体も言語のひとつだと実感しました。海外でもやっていけると確信したタイミングでしたね。


■ 挑戦を続ける姿勢『知らないは楽しい』

―― BOSSとして大切にしていることは何ですか?

 起業や海外展開のきっかけにもなりましたが、海外で難しいことに直面した経験がコンセプトになっています。難しいことにチャレンジする姿勢は大切にしていますし、働いている社員にも伝えています。

 いま『知らないは楽しい』というスローガンを掲げています。

 安定して正解を求める仕事の仕方がスタンダードになっていますが、私たちの会社は失敗してもOK。とにかく『知らないことを知る楽しみ』を知ってもらいたい。難易度の高いものをクリアしたときの喜びを皆さんに感じてもらいたいと思っています。


■ 編集後記

 実際に向き合って話をするなかで私が感じたのは、心地よく会話の流れに身を任せながら、その先の着地点まで見通すことができる感覚。まさに水野さんが大切にされている『言葉を超えたコミュニケーション力』で、これまでの困難も乗り越えてきたことを短い時間のなかで体感することができました。

 これから北海道発のデザインが、アジアに、そして世界に羽ばたき、新しい融合が起こることで、より磨かれたものになっていく。デザインによって商品やサービスが広がった先にいる私たちが、それを愛したり推したりする。そんな近い未来が見えたような気がしました。


<これまでの放送>

#51 【北一ミート株式会社】代表取締役 田村健一さん

#50 【株式会社komham】代表取締役 西山すのさん

#49 【株式会社 創伸建設】代表取締役 岡田 吉伸さん

#48 【株式会社 光映堂】 代表取締役 関山亜紗子さん


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