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#48 子どもの成長に寄りそうフォトスタジオ…自らカメラを構えて。株式会社光映堂 関山亜紗子さん #BOSSTALK(廣岡俊光)

 2021年10月の放送開始以来、「北海道を愛し、北海道の活性化を目指すボス達と北海道の未来と経営を楽しく真剣に語り合う」をテーマにさまざまな経営者の皆さんに登場していただいている、UHB『BOSS TALK』。皆さんいつも応援ありがとうございます。

 約半年間の充電期間を経て、このたび2ndシーズンのスタートとなりました。

 2ndシーズン最初のゲストは、株式会社光映堂 代表取締役 関山亜紗子さんです。


<光映堂>1941年にカメラの販売店として創業。新品・中古カメラの販売や写真の現像を中心に、地域に根付いた街の写真店として84年間札幌市民に愛されてきました。現在はさっぽろ地下街ポールタウンに店舗を構える「カメラの光映堂地下街店」で写真のプリントを行うほか、2014年には写真スタジオ「StudioLumo」を設立し、マタニティーフォトや産まれたばかりの赤ちゃんを撮るニューボーンフォト、七五三撮影や成人撮影など人生の節目をいろどる大切な瞬間を写真に残しています。


■ 家業にパートで入社…借金1億円の衝撃

――― 業界に入ったきっかけを教えてください。
 祖父が作った会社で父が2代目なんですが、私が25歳の時に市役所店にパートとして入社したのが最初です。当時OLとして働いていたんですが、もう少し自由に時間が使えるほうがいいなと思っていた時に、父から「空きが出たから入らないか?」と言われて、時給のパートから入りました。

 はじめは店頭に立っていたんですが、会社が今どういう状況なのか見ていると、空気的に(経営が)危ないのではと感じました。経理に行きたいと話したところ「内部のことをわかるには簿記がないと」と言われたので、通信教育で簿記2級を取り、その後経理に行くことができました。その時に初めて社員になりました。

――― 会社の状況はどうだったんですか?
 びっくりしましたね、こんな感じだったんだ・・・って。お恥ずかしい話ですけど、借金1億円っていうのがパッと目に入って。最初「桁を間違えてるのかな?」と思ったけど、やっぱり1億円ありました。

 すぐに始めたこととして、売り上げを伸ばすこと。そして大幅な経費の削減。社員の皆さんに、給料を下げるけどこういう状況だから分かっていただきたいというのを個別に面談しました。私と父はそこから5年間ぐらい、給料は月5万円でした。ポーズじゃないですね、もうそうせざるを得なかったんです。

――― 家業とはいえ辞めてもよかったはず。それでも何とかしないとと動いた、その原動力は何でしたか?
 従業員もいましたし家族もいました。その当時で70年ぐらい続いていた会社をなんとか守っていかなきゃなっていう気持ちでした。

 全部改善しなきゃだめだったんですけど、最短ルートで行くために、一番経費がかかって、一番赤字を生んでいるところを探しました。「73年で歴史に幕」と新聞にも出たんですが、本店を閉店して売却しました。本当に悩んで考えたけど、ここを何とかしないと会社ごとなくなる、会社自体が残らないという気持ちが強かったので腹をくくりました。


■ 事業内容の大転換…そして自らカメラを構えた

 経理になって社員になって、まもなくして取締役になりました。「第二創業」といって、会社の事業内容を変えて代表を変えることを条件に国の補助金が出ているときだったので、これをもう逃したら大変だと色々企画書を書いて、社員にも会社を変えていくことを相談して分かってもらうという感じでしたね。

――― 事業の内容を大きく変えるとなると簡単にはいかなかったのでは?
 「カメラ屋からスタジオに変えたい」って言ったんですよね。「物販」から「サービス」に変える、と。

 うちみたいな小さい会社がカメラを売ってたり中古カメラを売ったりプリントするというのは限界がある。みんなを支えて生きるだけの売り上げが生まれないんだ、と。携帯電話にカメラが付いた時から「もうこの業種ではやっていけない」と思っていました。その時に色々変えれば良かったんですが、動くまで時間がかかってしまいました。

――― ご自身で撮影するのを始めたのもこのタイミング?
 自分が動いて何ができるかと考えたときに、中古のカメラも販売していたので、自分で写真を撮って自分で売り上げを作ろうと。最初は居酒屋の料理のメニューを撮ったのがきっかけでした。そのうちにイベント企画で出張撮影が増えてきて、経理をやっているよりも自分で売り上げを立てた方が確実にいいなと思ったので、経理兼撮影でやっていました。

――― お子さんを撮るようになったきっかけは?
 そもそもは大人向けの写真館を作りたかったんです。変身写真館。実際に台湾に見に行って、こんなのが北海道にあったら面白いなあと。最初は花魁変身写真。着物屋さんをまず借りてイベントで月何回かやるっていう形。

 募集したところ1日6組ぐらい来てくださって、これなら借りるんじゃなくてスタジオとしてやれたらどうだろうと思いました。大人向けの写真館でプロフィールを撮ったり、変身写真を撮ったり。大人が楽しめるスタジオを作りたいなと。

 そこから大人を撮影するにつれて、撮った方のお子さんを撮りに来てくださる方もいて、やっぱり子どもの写真の方が需要があるんだなと思ったのが方向転換のきっかけでした。子どもの成長とともに、生まれた100日、1歳、七五三と、イベントごとに写真を撮りますよね。


■ マタニティーフォト…生まれる前から家族に寄りそう

 需要があるのは「マタニティーフォト」です。札幌で女性カメラマンでスタジオを持っていてマタニティーフォトを撮っているところはそんなにたくさんはなくて。マタニティーフォト自体はあったんですけど、男性カメラマンが撮っていたり。女性スタッフだけでやっているので安心ですよと、来やすい環境で始めました。

 子供を撮るのは大変です。100日も大変だし、動くようになった1歳や2歳も大変。コツが必要だし、まず子どもに好かれるカメラマンじゃなきゃいけない。本当に勉強させてもらいました。

 一番勉強しないと撮れないのは「ニューボーンフォト」。新生児が生まれて2週間以内だけ撮れる写真です。


 40歳の時に私も我が子を産んだんですが、自分で「よし撮ろう!」と思ったら、泣くし暴れるし撮れない。これは素人が撮れるものじゃない。本当にプロでやっている人たちに習いに行かないと絶対に撮れないなと思って。

 それで京都の外国人のフォトグラファーの方が入門のレッスンをやっていると聞いて習ってきました。撮影のコツや流れなどすごく勉強になりましたね。

――― ご自身で出産されて写真に反映されたことは?
赤ちゃんが自分にいなかったら怖くて触れない。自分が経験しているから親の気持ちもわかるし、ママだから安心だと思っていただける部分はあると思います。

 自分の子どもの写真は撮りますけど、ついiPhoneになっちゃう(笑)。1歳までは「自分の一眼レフで撮らなきゃダメだ!」とがんばっていましたが、動くようになってからは、節目はカメラマン仲間に撮ってもらいます。

 喜んでもらえるのがダイレクトにこっちにも伝わるので撮っていて楽しい。本当にいい仕事だなぁと思ってやっています。マタニティーで撮った方が赤ちゃんと一緒に来店されると、あのお腹に赤ちゃんがこんな風な大きさでこういう風に生まれてきたのか、と思ったり。

 1年1年ですごく成長していて、こんなこともできるようになってるとか。勝手に親戚の子みたいな感覚で子供の成長を見ていけるというのはすごく嬉しいです。

――― 長く続いてきた会社のこれからをどのように考えていますか?
 漠然と会社を何とかしようと思った時から『100年』を目指したいと思っていたし、周りにも言ってきました。北海道で100年の会社っていっぱいあるわけではないので、なんとか100年北海道でやりましたっていう会社にしたいです。だから目標は『創業100年』

 今が84年目なのであと16年…私が61歳、還暦ちょっと過ぎたあたりでやっと100 年になるんです。そうすると我が子も20歳。自分の子の成人式も撮りたいし、それこそマタニティーから撮った赤ちゃんの成人式を撮れたらいいですね。


■ 編集後記

 長い歴史を積み重ねてきた家業を引き継ぎ、大きく転換させるタイミングにかじ取りを担った、その決断力と責任感。当時のことを語る関山さんのことばからは、その瞬間苦しくても長く会社と従業員を守るために、厳しい現実としっかりと向き合った経営者としての姿が浮かび上がります。

 そして経営者でありながら、いまもカメラを手にお客さん達と向き合います。「あさこさんに撮ってもらいたい!」というお客さんが途絶えないのも納得のポジティブな空気。目標である100年に向けて、ますます加速していくのが見えるような対談になりました。