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大丈夫




「大丈夫」という言葉について考えた。

大丈夫?と心配されたり、
大丈夫だから、大丈夫と返したり、
大丈夫じゃないのに、大丈夫と返したり、
どっちか分からないけど、大丈夫と返されたり、
大丈夫だと慰めたり、慰められたり、
ときには勇気づけられたり。
断るという意味だったり、
正しいという意味だったり。

いろんな「大丈夫」がある。


よく「大丈夫」と言いながら、苦しい顔で無理をする子に対して、

大丈夫じゃないのにさ、無理をしていると、結局どこかで大丈夫じゃなくなってるでしょ?そりゃ大人だから多少無理をしないといけない時もあるけど、大丈夫じゃないのに、無理をし過ぎちゃだめだよ

って説教した。ま、私も人のことをとやかく言えるような立場じゃないんだけどさ。

ついこの間も、

あなたには「大丈夫?」って訊いちゃいけない気がする

と言われ、どういうことだろうと少し首を傾げたら、

だって絶対「大丈夫」としか返さないでしょ、「大丈夫じゃない」なんて言わないじゃない

とその人は続けた。まあ確かにと納得してしまった。

確かに、人に説教をしておきながら、自分は大丈夫じゃなくても「大丈夫」としか返さないし、そもそも相談に乗ってもらうこともほとんどなく、できる限り誰にも頼らずに生きているスタイルをとっている。小さい頃からこれだから、今更何処かで変わるとも思えない。ただ、「大丈夫」を積み重ねていくと、いつかは必ず大丈夫じゃなくなることを痛いほどに理解しているので、他人にはあまりやって欲しくないなと思っている。

説得力0とはこのこと。


人、特に大人というのは、場合によっては、多少無理をする必要が出てくる場面がある。「大丈夫」がごく自然に堆積していく。堆積した「大丈夫」を各自の方法で消化しながら、何かで折り合いをつけながら、時には休みながら、また「大丈夫」をする。正直な話、大丈夫じゃない時は「大丈夫じゃないです」ときっぱり申し出るのが「正しい」行いだろう。でも生きていくには責任も義務もある、やらなければならないこと、乗り越えなければいけないことがある、妥協が必要になる場合がある。(「そんなことない」と思えるのであれば、それが一番いいんだろうけどさ)

大事なのは、「大丈夫」を言い過ぎないようにすることなのかもしれない。言霊ってあるけど、あながち不思議なほどのものでもない。言葉には時として確かな力がある。「大丈夫」という言葉は、一種の呪いのように、自分を縛り上げる効果がある。呪いは付加すればするほど効力が上がっていくので、「付加を減らす」ことに意識を向ければ、気持ちが少しは楽になるんじゃないかな。
なんて、簡単そうに言ってるけどね。


あと、慰める意味での、勇気づける意味での「大丈夫」。

これをできたら周りにしていきたいなと思う。今のところ「思うだけ」だけど。

風に口づけ
歩いていける
大丈夫

Aimer 「After Rain」


Aimerさんの「After Rain」が今朝ランダムでかかり、駅のホームで歩きながら「大丈夫」という言葉に、軽く背中を叩かれた気がした。

君はきっと「大丈夫」だって。

呪いのような「大丈夫」があるのなら、それを打ち消す祝福のような「大丈夫」があったっていい。そんな祝福を送りたい。そんな祝福を送れるような人になりたい。綺麗事だと思ってもらって大丈夫、実際綺麗事を言っている。

綺麗事でも、無責任でも、それでも。

今は大丈夫じゃなくても、いつかは大丈夫になるかもしれない。無責任だってわかってるよ。

だから今は「大丈夫」じゃなくても、大丈夫。



大丈夫に潰される夜が数え切れないほどいくつもあるのなら、大丈夫に救われる朝が一つくらい、君に訪れることを、祝福するよ。


2024.1.29   星期四   晴れ

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