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一旦本を閉じて、楽しくない話でも(サリンジャー『キャッチャーインザライ』)




最近サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の村上春樹訳を読んでいて、自分の書き物の口調も似た感じになっている。多分読み終わって、別の何かを読む時には元通りになっていると思う。

ホールデンくんの自叙を読んでいると、なんだ、私ってここにいるじゃない、という思いにさせてくれる。あの失くされたはずの。読むことのよって引き出されるのなら、失くしたとはいえないのかもしれない。私の中にあるホールデンが「いるんでしょっ」って引っ張り出される感じ。友人は「私の中のガキが物語の中で暴れてる」なんて言ってた。

それで、私が書いた、これに似た口調の時の文章って、ものすごく楽しくない話なんだよね。なんせ捻くれ野郎が拗らせを煮詰めたような話し方だ、楽しいことだって楽しいだけじゃいよねみたいなことを言い出すってもんだ。

ま、それでも、書いてみようじゃないか。とりあえずさ。



「好きなこと、ひとつだって思いつけないんじゃない」
「思いつけるよ。もちろん思いつけるさ」
「じゃああげてみてよ」
「僕はアリーが好きだ」と僕は言った。「それから今やっているようなことをやるのが好きだ。君と一緒に腰を下ろして、おしゃべりするんだ。いろんなことについて考えて、それでーー」
「アリーは死んでるんだよ。自分でもいつもそう言ってるじゃない!もし誰かが死んでしまって、天国にいるとしたら、それはもうじっさいにはーー」
「死んでるってことはわかってるよ!僕がそのことを知らないとでも思っているのか?それでもまだ僕はあいつのことが好きなんだ。それがいけないかい?誰かが死んじまったからって、それだけでそいつのことが好きであることをやめなくちゃいけないのかい?とくに、その死んじゃった誰かが、今生きているほかの連中より千倍くらいいいやつだったというような場合にはさ」
フィービーは何も言わなかった。言うべきことを思いつけなかったとき、彼女はまったく何も言わないんだ。
「とにかく、今こうしていることは好きだよ」と僕は言った。「つまりたった今のことだよ。君と一緒にいて、おしゃべりをして、ちょっとふざけてーー」
「そんなのぜんぜん意味ないことじゃない!」
「すごく意味あることだよ!意味なんてちゃんと大ありだよ!どうして意味がないなんて言えるんだ?どんなことにでもしっかり意味があるってことを、みんなぜんぜんよくわかってないんだ。僕はそういうことにクソうんざりしちまっているんだ」

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
J.D.サリンジャー
村上春樹(訳)  


ここまで読んでもうついに耐えきれなくて本を閉じた。電車の中で泣いちゃうなんて何がなんでも嫌だからね。ほんとうに。

それでも人生で一回だけ、手すりに捕まって、窓の外をぼんやり眺めて、イヤホンで音楽を聴いていたとき、涙がポロッと出たことがあったんだ。あの時のランダムでかかった曲がよくなかったんだねきっと。もうなんの曲か忘れてしまったけど。それで、頭では何かどうしようもないことでも考えてたんだよ、きっと。もう何を考えてたかなんて忘れてしまったけど。後者は流石に冗談。

あの時は出来るだけさりげなく、それでいて急いで手で水の跡を広げたりして、誰かに見られてないといいなと思ったんだけど、別に知らない人に見られたところで何も損することはないしとも思うんだ。


今はちょっとやるせなくて、でも文章の残留思念みたいなのが払拭できなくて、とりあえずイヤホンをつけた。そしたら唐突に「Merry Christmas Mr. Lawrence」が聴きたくなったんだ。

何かとことこん落ち込んでしまうと、決まって聴きたくなる曲って何曲かあるよね。時には、音が鳴り出した瞬間に涙が止まらなくなるんだけど、とりあえず今日はなんとか保ち堪えられそうだった。

聴きながら、今年のクリスマスは何が何でも絶対に「戦場のメリークリスマス」を見ようと思ったんだ。

そう、実はまだ見てなかったりする。そういうのって結構多いんだ。やらなくてはならないことをまずやるでしょ?そしたら、余った時間でやりたいことをしようとするんだけど、疲れてしまって、何もしたくなくなるんだ。でも何もしないのはつまらないから、したいことをする気力はないけど、特段したいわけでもないことをしてしまうんだ。

そういう惰性みたいなものがさ、骨の髄まで染み込んでるんだよね。もちろんそうじゃない人が人生において成功するとは思うんだけど。僕ときたら、もうとことん救いようのない怠惰の悪魔みたいなやつなんだ。


行こうかと席から立ち上がった時、数分ほど遅延している電車が、自分の降りる駅の手前でまた止まってしまった。アナウンスで何か言ってるんだけど、イヤホンの音を下げる気はなかった。僕としてはもう、どうせ遅れてるから、もうこれ以上どれだけ遅れても、もはやどうでもいいんだ。正直な話、別に強いて目的地に行きたいわけでもないから。というか特に行きたい場所なんてものもないけど。


それで、無駄話が長くなってしまったけど、この文章の何が僕に本を閉じさせたかというと、
何もかも気に食わないんでしょ、好きなこと何かひとつでもあるのって、「妹」フィービーに言われた「僕」ホールデンは、死んだ人を思い浮かんでしまったこと。そう、この世で好きなものと言われて、ぽっと出てきたのが死んでいった人だったんだよ、ホールデンの場合。それでもう、悲しくてしょうがなくなったんだ。

なんでもいいから、生きているうちにさ、好きなことをできるだけたくさん探し当てておく必要があるんだなって思ったよ。それが繋ぎ止めてくれるんじゃないかな、君のことを。(キャッチしてくれるんじゃないかな、君のことを。)

つまり、彼が好きなものってたくさんあるはずなんだけど、それらを蔽いつくすくらい、死んでしまった人への思いが強烈だってこと。それだけ優しくて、人間味に富んだ人で、愛情深いこと。死んでしまった人を想いつづけるのって、相当生力を奪われることなんだ。

人には2度死が訪れるって話、1度目は肉体的な死、2度目は人々に「忘れ去られた」死。だから生きている人間は、ちょくちょく死んでいった愛する人を思い出したりしてあげよう、覚えていてあげようねって。「ちょくちょく」でいいんだ、「あ、なんで忘れていたのかな」なんてその時に自分をちょっと責めるくらいでいいんだと思う。ずっとそれがついて回ると、尚且つそれが好きなものより一歩手前に出て来てしまうと、とてもじゃないけど生きていけないよ。

ホールデンは他にも、少し会話を交わした修道女、妹フィービーのことを思い出していたが、彼を彼たらしめるものがあまりにも偶発的で、不確かで、ちっぽけだということに、僕は耐えられなかったんだ。とにかくやるせなかった。

なおやるせないのが、死んでいった人が、生きている人よりいいやつだって彼が思っていること。もちろん、全員が全員そうじゃないことはわかっている。けど、一理あるんじゃないかな、って一瞬でも思ってしまった自分がいることに、僕はとことん悲しくなってしまうわけで、本を一旦閉じたんだ。


やっぱり全然楽しくないね、この話。

楽しくない話を楽しくできないと、僕としては面白くないから、あまり話したがらないのだけど、無理に楽しくしない方がマシなときってあるよね。そういうことにしておくよ。


2023.12.12   星期二   雨のち晴れのち曇り

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