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【173】「ブルックナー交響曲第7番第2楽章アダージョ」ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリンフィルの演奏について 2023.10.20

1 フルトヴェングラーとブルックナー

 フルトヴェングラーは生前、ブルックナーを高く評価し、ブルックナー協会の会長も務め、原典版の大事さを説き、自身の重要なレパートリーとして積極的に演奏し、まだ世界にその真価を知られていなかったブルックナーを世に出すのに大きな役割を果たしました。

 何よりもフルトヴェングラーが若干二十歳で指揮者デビューをしたときに、ブルックナーの第9番を演奏したという話からは、フルトヴェングラーのブルックナーに対する親和性の強さを感じることができます。

けれど、フルトヴェングラーのブルックナー演奏は今日ではあまり高く評価されない傾向にあるように思います。

 ブルックナーの音楽の演奏ほど易しいものは無いと思います。
 生成し発展する音楽の流れの中に身を置き、音楽が要請するままに演奏していけばそれでよいのです。何も考える必要などないのです。
 けれど、それが難しいようなのです。何か新機軸を打ち出そうとか、ここは盛り上げようとか、何かしら演出しようとしてしまうと、途端にブルックナーの音楽は消えてしまう

 ブルックナーの演奏には自己顕示欲を捨て去ることが要求されるのかと私は思うのですが、それが困難なようなのです。

 その結果、それができたのはヨッフムさんの日本での7番、晩年のヴァントさんやケンペさんなど、自らの死を目の前にして世俗の欲から離れてしまっているかのような境地における演奏であったり、ザンクトフロリアンでの感動の中で敬虔な演奏をした朝比奈さんの7番とかのような場合に限られてきたのではないかという気さえするのです。

3 レミ・バローさんの登場

 そうした中で現れたのがレミ・バローさんです。
 バローさんの演奏は自分を表に出すことなく、音楽の求めるものを正確に見抜き、ブルックナーの人間のものとも思えぬ大自然を悠然と流れる時間を音に換えてゆき、ものすごく簡単でありながらものすごく難しい清新な音楽を創り出しています。
 これはブルックナーの演奏史を書き換えるものであるのではないか、後世、ブルックナーの演奏はバローさん登場以前と以後に分かれるのではないかとさえ私は思っています。

 バローさんがあの大曲8番を、何の先入観ももたない平均年齢17歳の青少年オーケストラで演奏したのは奇をてらったのではなく、それが必要でそれがベストだったからなのではないでしょうか。

 8番のアダージョのリハーサルの動画をみてください。まだあどけない楽団員が、ブルックナーをそしてバローさんを心から信じ切った瞳て見つめ、呼吸をするように自然に驚くべき高みに到達して演奏していることが伝わってきます。

  話がどんどん脱線していますが、 バローさんが夏のザンクトフロリアンのブルックナー音楽祭で毎年1曲ずつ積み上げてきたブルックナーの演奏が、とうとう0-9番までの10曲全曲の演奏を完了し、それが11枚組CDとなってとんでもなく安い値段で販売されることになったようです。
 1曲ずつ高価で買い求めてきた私などからするとずるいなあと思ったりしてしまいますが、ブルックナーファンなら、この機会に是非とも入手して聴く価値があると思います。

レミ・バロー/ブルックナー: 交響曲全集(全10曲) (tower.jp)

4 本題に戻り、フルトヴェングラーのアダージョの演奏についてです

  本題に戻りますが、フルトヴェングラーの演奏が恣意的に見えながら、どのような場合でも常に真摯で已むに已まれぬものであり、聴く者の心をあっという間にわしづかみにし胸を熱くさせる稀有な指揮者であることは誰も否定することはできないでしょう。

 そうしたフルトヴェングラーの特性は、前述のように、ちょっとテンポが急ぎ過ぎる、テンポを動かし過ぎて落ち着かないなど、ブルックナーの場合にはマイナスに働いてしまう部分が無いとは言えないと私のようなフルトヴェングラーのファンであっても感じることがあります。

 けれど、だからと言ってフルトヴェングラーのブルックナーの全部を捨てて良いわけはありません

今回紹介するこの7番アダージョの演奏のフルトヴェングラーの世界のブルックナーの凄さは圧倒的で、これが正統的かどうかなどの議論など吹き飛ばしてしまっています。

 例えば、バーンスタインのブルックナー9番がマーラー的であると感じたとしても、その演奏の凄さは何と言ったって凄いのです。正統的とかの議論などなんの価値もないと私は思います。
(というか偏屈者の私は正統的な主流派というのがどうも信用できず好きになれないというのが本音なのかもしれませんが、)

 前置きが長くなりました、とにかく聴いてみてください

 このフルトヴェングラーの演奏の緊張感に溢れた冒頭の低音はどうでしょう! 
 巨大で不安に満ちたその音世界はきわめてワーグナー的で、まるで楽劇の幕開きであるかのように感じさせます。
 フルトヴェングラーはこのアダージョではほとんどテンポを動かすことはせず、悠然とした歩みで音楽を進めています。観客がいないことがプラスに働いていたのかもしれません。
  少し驚いたのは、このアダージョが、世界が生成し、発展し、巨大な山を築き、そしてはるかな世界へ消え去って終結するという、それだけで完成した1作品として成立していることでした。これは後世に残すべき名演だと思うのです。

 ところで、この動画は2022年にリマスタリングされたとコメントにありますが、音質が信じられないくらい良くなっていることに感銘を受けました。

 この演奏は、1942年4月1日に録音されており、第2楽章しかありません。
 それは、説明によると、ドイツテレフンケンがマイクの改善、録音技術の改善を行い、特にベルリンフィルのコントラバスの豊かさを再現できるようになったか、フルトヴェングラーに、その効果を検証してくれるよう頼み、フルトヴェングラーがその試みに同意してそのために選んだ曲がこのアダージョだったというのです。

 観客なしで多分最善の録音環境で収録されたであろうこの試験演奏は元から音質が良かったのでしょう。それを最新技術でリマスタリングしたというのですからよい音質になるべき条件はそろっていたのかもしれません。

(ちなみに下の演奏はやはりアダージョのみで、1942年4月7日演奏となっていいます。日付が少し違っているのですが何かの間違いで、同じ演奏なのではないかと思えるのですが、音は余り豊かでなく何か距離が遠くて、上の演奏を聞いた後ではもどかしく感じてしまいます。
 これはリマスタリング前のものなのでしょうか?詳しい方がいらっしゃいましたら教えてください。)

5 演奏の背景

 さてこれが演奏された1942年はドイツの劣勢が徐々に明らかになってきた時期にあたります。

 フルトヴェングラーは戦争の最後の最後まで亡命せずにドイツに留まって演奏を続けました。
 ナチスはドイツ音楽、ドイツ民族の優越の旗印としてフルトヴェングラーを重用しました。戦後フルトヴェングラーはナチスに協力したという罪に問われ演奏することを禁止されてしまいます。

 フルトヴェングラーは「ベートーベンの音楽の中にまで政治が入り込むことはできない・・」と語ったことがあるそうで、戦時中の彼の演奏が有得ないほどの緊張感をはらむ激しいものになっているのは、そうした入りこむものへの怒りと、政治の付け入る隙を与えない音楽を彼が希求し戦っていたからだからではないかと思えるのです。
 けれど、フルトヴェングラーの演奏会で最前列にナチスの幹部が並ぶのを防ぐことはできず、演奏後に壇上に上がってくる将校たちと記念写真を撮ることを拒否することはできず、そうした撮られた写真がナチスの宣伝のために世界中に流れるのを彼が止めることはできないのでした。
 
 政治と音楽と、フルトヴェングラーがどうするべきだったのかは、各論があり正解など有得ないでしょう。

 しかし、今、戦時中の、苦悩の中で立ち続け、戦い続けた彼の演奏を聴くとき、粛然たる思いで襟を正さざるを得ぬものがあり、安易に演奏がどうとか言えるものではないことは心をいたすべきだと思うのです。

 戦後の演奏禁止は、フルトヴェングラーがナチスに逆らってまでもユダヤの音楽家たちを擁護し、亡命に力を貸していたことなどが、援けられた音楽家達からの声で明らかになり、フルトヴェングラーは許されてベルリンに戻り復帰コンサートを開くことになるのです。この復帰コンサートでの演奏はそうした時代、そうした歴史を負ってしまっているドキュメントであり、普通の演奏会とは全く異なる重みを持ったものになっています。

6 ヒトラーの死の時に流されたアダージョ

 ヒトラーの死についてウィキなどで見ると、
 
「ヒトラーはドイツの敗戦が決定的となった1945年4月30日に、結婚したばかりの妻エファ・ブラウンとともに自殺した。
 ヒトラーは青酸カリを飲むと同時にピストルで頭(こめかみ)を撃った。 そして、あらかじめ頼んでいたように部下たちが、ガソリンをかけて二人の遺体を燃やした。」

とあり、そして

翌5月1日、ラジオ局「ライヒスゼンダー・ハンブルク」は通常の放送を中断し、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」第四部「神々の黄昏」の演奏を流し、その合間にまもなく重大放送が発表されるとアナウンスした。 その後、ブルックナーの「第七交響曲」が流されたあと、アナウンサーが総統大本営発表としてヒトラーが総統官邸で戦死し、遺言で後継者にカール・デーニッツ海軍元帥を指名したことを発表した。」

と書かれています。
 
 この時流されたブルックナーの7番が、実はこの演奏の録音だったというのです。

 フルトヴェングラーは、大戦末期にナチスにたびたび逆らったことなどが問題視され、命を狙われる事態になります。彼を敬愛するナチス将校から、あなたはもうベルリンに戻らない方がいいと忠告されたフルトヴェングラーは1945年1月28日のウィーンでの演奏会のあと、ホテルから抜け出し身を隠したあと、エルネスト・アンセルメの招きによるスイスロマンド管弦楽団の客演のためのパスポートが有効となる2月1日にスイスへの亡命を決行するのです。

 その後、実際に2月12日、14日、23日にはスイスロマンドを指揮して演奏会を開いていたそうです。

 そのような訳で、ヒトラーの死のときにはすでにフルトヴェングラーはドイツを去って、スイスに居たということになります。

 フルトヴェングラーが異国の地に在ってヒトラーの死のニュースと流れてくる自身の演奏をどのような感慨を持って聞いたのか、想像もできません。

 最後までお読みいただき有難うございました。(というか読んだ人いるだろうか?)<了>

7 補足:バローさんのアダージョ

 バローさんの7番アダージョをユーチューブで見つけてしまったので、リンクを載せます。 

 比較して聴いてみたとき、この演奏がフルトヴェングラーの緊張感に溢れたアダージョと全く異なることに驚かれると思います。

 そしてバローさんの演奏がフルトヴェングラーのこの凄い演奏にも全く負けていないことにも気づくのではないでしょうか。

 前回の記事でも書いたのですが、バローさんは

「ブルックナーは音楽史上初めて時間と空間の概念を壊した作曲家だと思います。なぜなら、彼の音楽は時間的な長さをまったく感じさせないからです」

と語っています。

 どういうことなのか難しい言葉ですが、このアダージョを聴いているとそれが分かるような気がしてきます。

 私は、ブルックナーがザンクトフロリアンのオルガンを弾きながら作曲に耽っていた時、彼の頭の中に響いてのは、きっとこの音だったのではないかと思っています。

 バローさんのブルックナーはこれから世の中の評価はどんどん高まり、有名になっていくと思うのですが、そうなることが、少し寂しい、もう少し自分たちだけのものにしておきたいような気がしています。


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