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【3】おかしな話-2:縄文時代に興味を持って三内丸山遺跡を見に行ったこと、東京でリアル縄文人と遭遇してしまった話 2022.5.1

 僕は、この頃、縄文時代というものにとても興味をひかれています。
 この所。従来の定説が大きく変わってきていて、邪馬台国より前の時代は、関東から東北、北海道に至る地域こそが日本の中心だったということが大量の遺跡や出土物から明らかになってきているのだそうです。
 その代表的なものとして有名なのが青森県の三内丸山遺跡で、ここは縄文前期から中期に相当する紀元前3900年〜2200年前までの1700年もの長期に渡って多数の人たちが定住生活を送った大規模集落跡であり、多くの住居や建物、倉庫、お墓、それを繋ぐ道路等があって膨大な量の土器や石器、木製品、漆器や編布、装身具などの遺物が出土し、豆や瓢箪などが栽培され、果実酒も作られ、新潟県糸魚川周辺の翡翠や、北海道十勝や長野県霧ケ峰などの全国各地の黒曜石が見つかるなど遠方との交易がおこなわれていた証拠も得られているなど、いわゆる原始的生活というイメージを一変させる豊かな縄文文化が花開いていたというのです。
 実は、昨年11月に津軽、青森を見に行ってしまったのです。三内丸山の37ヘクタールあるというその広大な跡地に立ち、復元された100人以上入れそうな大型の集会所?や巨大な櫓、出土した遺物の数々を見て、そのスケールに驚嘆し畏敬の念を覚えたのでした。

三内丸山遺跡-1
三内丸山遺跡-2

 ここに住んでいた縄文人がどんな人でどこから来たかについても、遺伝子解析などの新しい技術が進んだことで今現在も急激に新しい知識が得られ続けており、まだ誰もが納得する定説は固まっていないようですが、一昔前に思われていたより遥かに古い年代から日本に現生人類がやってきて定住していたことは確かになっているようです。

 前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題の「リアル縄文人に出会った話」です。
 先日、たまには温泉にでも行ってのんびりしようとネットで調べて、4月初めの日曜日に高井戸にある某スーパー銭湯に一人で行ってみたのです。
 ここは地下1600mから汲上げているという烏龍茶のような焦げ茶色をした塩っぱい天然泉も中々珍しくて良かったですし、ジェットバスなども多種あり、サウナに水風呂、炭酸ガス泉、それに土日は併設の25mプールも利用できるということで、口コミするなら4.5〜5点、行ってよかったとても満足度の高い温泉でした。
 で、僕はその時若干熱めの露天風呂から上がってベンチに座り風に吹かれて極楽気分で涼んでいたのです。天気も良く暖かくて眠気に誘われながらぼうっと向かいの壁を見るともなく見ているとそこに何やら低くて狭い入り口があり、一人、二人と腰をかがめて出入りしていることに気付きました。
「あれは何だろう?次はあそこに行ってみようかな・・。」などとぼんやり思っていた時、そこから出てきた一人のおっさんが妙に見覚えがある気がして視線が吸い寄せられたのです。
「あれ?なんだ、この感覚は?」 と見詰め直してエエっと思いました。
「この人、縄文人じゃないか!!?」
 年のころ50代後半から60代前半と思われるこのおじさんは、ネットで縄文人を調べると必ず出てくる遺伝子解析などによって推定したという冒頭に載せたおなじみの縄文人像(左側、右側は弥生人)に生き写しだったのです。そして少し色黒、毛深くて眉が濃く、髭むじゃらな角ばった顔、若干くせ毛の髪の毛、胴長短足の体形、そのすべてが遺伝子的に推定される縄文人の特徴にぴたりと当てはまり、それでも服を着て、髪を七三分けにでもしていればそんな風に感じることもなかったのでしょうが、裸で、ぼうぼうに伸ばした総髪を紐で括ってちょんまげ状にした髪型をしているとなるともう決定的に縄文人。これで麻布を織った貫頭衣でも着せて石斧でも持たせようものならそのまま博物館に直行させたい笑えるほどリアルな縄文人振りだったのです。
 これも縄文大好きな僕への神さまのお引き合わせかと、もうすっかり嬉しくなって、このおじさんを見て見ぬふりをしながらずっと観察しまくってしまったのですが、そう思ってみるともうそうとしか見えなくなり、歩いたり座ったりするのを見るにつけ「ああ縄文人はこんな風だったのか」と一人納得して盛り上がっていたのです。

 と、ここまでだと、僕が勝手にこのおじさんを縄文人だと思って喜んだというだけのバカバカしい話に過ぎないのですが、実は、この話には怖〜い続きがあったのです。
 ふと、このおじさんが出てきた向かいの扉の上に何やら文字が書かれていることに気付き、ちょっと距離がありかなり強度の乱視もあるのでぼやけてしまってはっきり見えなかったのですが、
「あれ?もしかして”縄文”と書かれている?」
「まさかそんなわけないよな、縄文おじさん、なんて変なこと思うからそんな風にみえてしまうんだ、気のせい気のせい。」
と思いながらも近くに寄って確認してみると、そこは穴蔵状のサウナだったのですが、入り口の上には、なんと「縄文釜の湯」と書かれていたのです。
 「縄文おじさんが縄文釜から出てきた!!」
びっくり仰天でした。
 「もしかしてあのおじさん、本物だったの?」
 けれどそういえば思い出してみると銭湯がローマとつながっていたテルマエ・ロマエとかいうお話がありましたっけ。だったらこの銭湯が縄文時代に繋がっていたって別にいいのかもしれませんね。
 それにしてもあのおじさん、今どこでどのように暮しているんだろう。
 もしかすると今も縄文釜から続々と縄文人が出てきて現代人に紛れ込んでいる? 気付いたのは僕だけ? こんな秘密を暴露したら縄文人に殺される?
 気になる。

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