群れることと仲間をつくること
群れることと仲間をつくることは全く違うことです。仲間は意見や個性が違っても相手を受け入れますが、群れているだけの者はちょっとしたことで喧嘩別れします。短期間の人間関係しか築けないのです。
(出典)小池一夫『人生の結論』朝日新書、2018年、49頁。
今日、4月17日は、『子連れ狼』などで知られる漫画作家・小池一夫さんのの命日(2019年)。
最近、いろいろな人と話をすることが多いのですが、「仲間」っていったい何だろうと思うことがしばしばあります。
仲間とは軍隊のように、個性も特性も一切払拭して右へ倣えと全体主義化するグループでもなく、かといって、利害関係だけに集約して誰かに群れるだけでもありません。
人間は決して一人で孤立して孤人(こじん)として生きることは不可能である以上、個人として他者と協同して生きていくほかできない「動物」です。
だとすれば、「仲間」という人間関係に限らず、群れるでも全体主義でもない協同関係をどのように構築していくべきなのかが課題になってきますが、小池さんの指摘、すなわち、
「仲間は意見や個性が違っても相手を受け入れます」
というところが他者関係における要点になってくるんじゃないのかなあと考えています。
じゃあ何でも意見や個性なのか、つまり「誰も意見も誰の個性も認めない」個性も受け入れるべきなのか、なんて脊髄反射される方もいらっしゃるかもしれませんが、
「誰の意見も誰も個性も認めない」あり方なんて、そもそも意見でも個性でもないですよね。人間を無効化してしまう暴力を柔軟に退けながら、新しい人間関係を創造していくことができれば、誰もが活躍できる社会になるんじゃね?
なんて最近、考えています。
氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。