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全てを「金になるかならないか」で判断することの恐ろしさ

出雲市の本屋「句読点」さんX(旧twitter)で次のように呟いていたのですが、本当にそう思います。

すなわち、

ということです。

全てを「金になるかならないか」で判断し「目先の金のこと」しか考えない政治は、「国がどんどん貧しくなる」方向へスライドしていくことは火を見るより明らかですよね。

しかし、これって政治に限定された問題ではなく、私たちの暮らしにもものすごく直結した話じゃないかなあと考えています。

ちょっと大げさに聞こえるかもというムキがあろうかということは否定しませんが、例えば私たちに最も身近な事柄である人間関係に当てはめて考えて見ればどうでしょうか。

つまり、自分自身に関わる人格をもった人間に対して

全てを「金になるかならないか」で判断し「目先の金のこと」しか考えない人には、最初はどんなにイケイケドンドンで進んでいくように見えようが、周りの人を不幸にするだけでなく、自分自身をも結局は不幸に導いてしまうのでなかろうかという危惧です。

結果として儲かればいいじゃんという話もありますが、そうした軽挙妄動は慎みたい、そんなふうに考えています。

あいつはあの程度の人間だ」と決めつけてしまうことから、多くのまちがいが生まれる。「あの程度の人間」の中にも、やはり強みや不可知のものがある。おそれる必要はないが、そうした現実から目をそらさぬ方がいい。

城山三郎『静かに 健やかに 遠くまで』新潮文庫、2004年、24頁。


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氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。