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往事渺茫になる前に。尾道健忘録

昨年の7月、尾道へ行ったとき、瀬戸内海の島に住む友人に「紙片」という本屋を教えてもらった。

「紙片」は尾道の本通り商店街にある。このあたりは元々町屋が多かったようで、うなぎのねどこならぬ「あなごのねどこ」という名のゲストハウスがあるのだが、その脇に通る小路に入り、薄暗い中を奥へ奥へと進む。これがまだかまだかと思うほど長い。

小路を抜けると、そこは奥庭になっていて、「本と音楽 紙片」と描かれた小さな手作りの看板を見つける。アートや演劇、音楽関係のフライヤーが貼られた壁に沿ってさらに奥へ進むと、右手に天蓋のように白い布がかかった、アーチ型の入り口があった。

一歩足を踏み入れる。小路に入った時点で異世界に入ってしまった感覚があったが、さらに別の異空間に飛ばされた錯覚に陥る。「この光景、いつか夢に見そう」と予感する。

空間は想像していたよりも明るかった。天井には半透明の屋根材が使われていて、自然光が柔らかく差し込んでいる。脇には大きく育ったグリーンが置かれ、奥のカウンターには店主らしき人がいた。周りを注意深く観察しながら歩みを進めると、じゃり、じゃり、と足元で音がする。砂利敷なのだ。ここはソトなのか、ナカなのか。足音がやけに近くに聴こえるのは、壁に貼られた布が程よく雑音を吸収しているからだろう。

「清められているのだろうか」と思う。単純に靴の裏についた汚れを落とすだけでなく、神社の玉砂利と同じように、音で穢れをも落とすという意味合いも込められている気がしてならない。実際に気持ちが落ち着き、思考が外界から切り離されてクリアになっていく。この奥はもっと神聖な場所なのだろうか。

カウンターまでたどり着く。左側に2つめの入り口があった。「あちらが主要のスペースなのか」と自然と理解する。2つの空間が連なっていて、そのまま最奥の壁まで見える。手前にも奥にも、天蓋のような白い布。やけに天井が高い。地面はモルタル。元々は倉だったのだろうか?

手前の空間の左側には壁一面に大きな本棚、右側にはグレーの壁に埋め込まれた小さな本棚があり、詩集などの小さな本が並べられていた。

そして奥の部屋へ。空間の中央に二枚の板が天井の梁から針金のようなもので吊るされ、その上に本が並べられている。本が宙を浮いている光景が不思議で、少し離れたところからまじまじと眺める。板の中央がたわんでいるのが気になり、「重さを間違えたらとんでもないことになりそうだ」と変に心配してしまう。なぜならその板の下にもたくさんの本が平積みされているからだ。

壁のほとんどがグレーに塗られているのだが、奥の壁の一部だけ木の板で塞がれている。それも地面よりも少し上、扉よりも幅が広く、高さが低い形。なので扉なのか飾りなのかよくわからない。その隣の壁にはスマートフォンくらい小さな窓がちょこちょことあり、そこから外の緑がチラチラと見える。

ひととおり空間を把握したところで、本に集中することにした。アートブック、写真、詩集、エッセイ、古本コーナーもあり、きちんと整理分類されて並んでいるのが心地いい。

気になる本を手にとっては、パラパラとめくり、3つに分けられた空間を行ったりきたり。いつの間にか没入している。ずっとここに居てもいいと思えた。

元々の記憶力が低いせいか、歳を重ねれば重ねるほど思い出が往事渺茫になる。ディテールが失われて、印象だけが残る。境界線が溶けあって曖昧で、なんとなく感覚だけ思い出す。

「紙片」で手に入れたいくつかの本の中に、ペーター・ツムトアの『建築を考える』(みすず書房)があった。彼の建築体験の記述を読むと、まるで同じ空間を体験したことがあるかのごとく想起できる。繰り返して読みたい本になった。

この本と出会わせてくれた「紙片」の記憶は曖昧にしたくない。だからツムトアに倣って、尾道の旅の記憶をここに記録しておく。


「往事渺茫」(おうじびょうぼう)
過ぎ去った昔のことがぼんやりかすんで明らかでないさま。(三省堂 『新明解四字熟語辞典より』)

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