見出し画像

ルーク・ダガンさん - グローバルに解決策を求める人


日本が好きになったきっかけ

「これ、誰の?」ーそれが、僕が初めてナマで捉えた日本語でした。

メルボルンの高校生で、日本の姉妹校から短期留学に来ている生徒たちと一緒に動物園に行った時。たまたま、隣の子が落とした帽子を後ろの子が拾い、そう声をあげたのです。

聞いて理解した時「学校で習っている言葉が本当に使われている!」と驚きました。自分が抽象的に勉強してきた日本語が、一億二千万人が生活で使うリアルな言葉として感じられた瞬間でした。もっと真剣に勉強して日本に行ってみたいと思いました。

故郷のオーストラリアにとって、日本はたくさんの資源を買ってくれる貿易相手国です。80〜90年代は特に日本企業が綺麗なビーチを買い占めるなど、隣国として存在感がありました。中学1年生で選ぶ第二外国語の授業では、約半数の生徒が日本語を選んでいました(残り半数はほぼフランス語、あとは少数のインドネシア語選択者でした)。今は中国語選択が増えているかもしれませんが、親日家が多いのは相変わらずです。

15歳の時、短期の交換留学で北海道に行きました。涼しい気候も人の密度もメルボルンに近く、「日本ってオーストラリアに似ている」と大きな勘違いをしました。でもみんなすごく良くしてくれて、日本で暮らしたい気持ちが強くなりました。

実家は決して裕福ではありませんでしたが、本格的に日本へ行く方法を模索しているうちに、5年間の学費と生活費が補助される奨学金の存在を知りました。1970年代から続いている文科省のプログラムです。最初の1年間、日本語学校に通ってから大学受験でした。

もともと経済学に興味があったので「いよいよ日本の大学で経済学を学べる!」とやる気満々でしたが、いざ入学して、東京大学では専門課程は3年生からだということを知りました。最初の2年は一般教養課程で体育まで必修だなんて。ショックを受けて、一時は本気で帰国を考えました。

でもその時、修士課程2年目のオーストラリア人の先輩から「本郷(専門課程)に来たら素晴らしい先生がたくさんいる、今やめるのはもったいない」と引き止められ、神取道宏先生を紹介いただきました。そこで、通常は3年生から通うゼミに1年生の時から遊びに行くようになりました。イヤイヤだった教養の授業も、せっかくだからと量子力学や哲学などをとっていたら段々面白くなってきました。最初つまらなかったのは、自分の日本語力不足もあったと思います。日本語が深くわかるようになるにつれ、授業も面白くなっていきました。

本郷に進む頃には「優秀な先生がいっぱいいる東大に来られて良かった」と思うようになりました。林文夫先生に学びたいと思っていたら英語で行う講義の募集が出て、大喜びで申し込んだら他の応募者はゼロということもありました。「研究に専念したかったのに。日本語にしてやる!」と言う先生に、それでもやりますと食いついたら、渋々、博士課程の人たちを交えた少人数講義を開いてくれました。

伝説の宇沢弘文先生にも、一度お話を聞く機会を得ました。白髭で偉大な雰囲気に圧倒されましたが、後からすごい先生だったと知りました。金融工学の小林孝雄先生のゼミで、僕のプレゼンの最中に先生が「時間の無駄!」と怒って帰ってしまい、仲間の前で涙を流すような失敗もありましたが、たくさんの学びがあった学生時代でした。

東京からメルボルン、そしてロンドンへ

2000年に大学を卒業して、ゴールドマン・サックスの東京オフィスに就職しました。以降ずっと金融業界にいます。ドイチェ・バンクを経てガンダーラ・キャピタルに在籍していた29歳の時には、ライブドアの顧問も勤めました。ヘッジファンドでの、分析や予測の仕事は大好きでした。

「ライブドアを仕切る謎の外国人」としてAERAの記事にも(2006年)

2009年に独立して、ファミリーオフィスのインディゴ・キャピタル・マネジメントを立ち上げ、今に至ります。

家族の拠点は、2012年に東京から故郷のメルボルンに移しました。詰め込み教育を避けて、息子をのびのびと育てたいと思ったからです。オーストラリアには受験制度がほとんどないのです。しかしそれは、裏を返せば申込み先着順で入学が決まるということ。その締切が恐ろしく早いのです。長男は移住を決めた2歳の時点で6校のウェイティングリストに載せたのに、いよいよ進学という年になっても、どこにも入れそうにありませんでした。年と地域にもよりますが、その時は生後約6ヶ月までに申し込んでいないと人気の私立に入れない状態でした。

それでしばらくイライラしていましたが、「こんなことで白髪を増やすより、世界の拡げ方を子供に教えよう」と思いました。問題に直面したならグローバルに解決策を探しに行こうと、日本・スイス・イギリスなどの学校を10箇所くらい息子と一緒に見学に行きました。それで彼が気に入ったイギリスのパブリック・スクール(私立校)に合格したので、2020年にロンドンに家族のベースを移しました。

ロンドンに来たことで、仕事面でも変化がありました。

「ファミリーオフィス」は日本ではあまり知られていない業態ですが、長期的な観点で投資を行う仕事です。日々、経済分析やミクロの分析も行い、数年後の世界がどうなるかを想像しながら、数年に数回の投資の意思決定を行います。そして、その株式を何年にもわたって長期的に持ち続けます。

イギリスはヨーロッパ圏で唯一の英語国で、アメリカとも比較的時差を気にせずにやりとりができます。中東やアフリカへの玄関口でもあります。従来の投資先は日本やアジアの会社が中心でしたが、アメリカ・カナダ・ヨーロッパの会社の情報も入ってくるようになり、投資先が広がりました。

また、長期投資は、財務諸表を読み込むだけでなく、経営者と1:1で会ってしっかり話をきいて意思決定をします。世界各国の上場企業の経営者は、メルボルンには来ないけど、ロンドンには来てくれます。賢い人たちがどうやって世界を変えようとしているかを熱く語るのを聞くのはすごく楽しい。テックの会社もファイナンスの会社も集まるし、最先端の医療もあります。東西の要、貿易商人が集まって文化が生まれる情報の要所という意味で、ロンドンは現代のコンスタンティノープル(ローマ帝国時代の交易都市。現在のイスランブール)といっても過言ではないと思っています。

寒くて暗い冬にはイギリス人でさえ落ち込みがちなので、とにかく近隣のあたたかい国へ気分転換を求めて逃げ出したくなりますけどね。

趣味はコメディと予防医療

最近ハマっているのが、イギリスのコメディてす。日本のお笑いとは全く違いますが、皮肉が効いてて腹から笑えるので、特に冬に元気を出すのに、時々通っています。

1時間に3〜4組が登壇するライブハウスで、土曜の昼なら£1、金曜の夜でも£20程度の入場料で、お酒代は別という感じ。激戦区SOHOの人気のクラブでは、テレビに出るような人がサプライズで登場することもあります。

慣れないうちは後ろの方に座りましょう。前列だと高い確率で舞台に引っ張り上げられ、ネタに巻き込まれますから。ハマったきっかけは、実はロンドンのお笑い界で頑張っている日本人(Kotani Yurikoさん)に気づいて見に行ったことです。よければみなさんも、応援に行ってみてください。

なかなかSOHOまで足を運べないという人には、毎週金曜日にリリースされるBBC SoundsのPodcastもオススメです。直近一週間の時事を、政治家をおちょくりしながら紹介してくれるのが新聞よりも面白いです。

もうひとつの趣味は予防医療です。ここ10年くらいは毎年、100項目くらいの検査結果をエクセルにまとめています。元気な時から積極的に検査をして自分のベースラインを把握することで、小さな異変に早く気付き、対処可能なうちに治せる体制をつくることが大事だと思っています。イギリスでは特に、町医者に頼っていたら病気の早期発見はできません。

最近気に入っているのは、睡眠の質を上げるための指輪の形のトラッカー「オーラリング」。お酒を飲むと寝入ってからの心拍数が全く落ちないということや、8時間寝ていてもその内のREM睡眠の長さ次第でコンディションが違うことなどがわかって「今日は妻と話す時、気をつけよう」などと意識できるようになりました。

また、血糖値が気になる人には「CGM(Continuous Glucose Monitoring)」もおすすめです。小さな装置を1週間ほど身につけ、何を食べると血糖値がはねあがるかを把握します。その傾向は人により千差万別。僕は食べることが大好きなのですが、ある時子供がたのむマクドナルドのハッピーミールを興味本位で食べたら、血糖値が激しく跳ね上がりました。一方で、具沢山のハンバーガーは緩やかな上昇になるのです。糖質と同時に脂肪や食物繊維もとると良いというわけ。

オージーだから、ハンバーガーは大好き

同様に、白ご飯はダメだけど卵かけご飯は問題ないということも判明しました。理屈は知っていましたが、実際に自分の体の反応をデータでガッチリ見ると、ごはんの食べ方に気をつけるようになります。

健康オタクが昂じて、先端医療の研究やベンチャーにも投資をしています。投資先の一つの予防医療クリニックは、標語に「Be the CEO of your own health」と掲げています。それには心から共感します。長生きはしなくてもいいから健康寿命は大事だと思います。

同窓会に期待すること

この顔で日本で暮らしていると、なかなか受け入れてもらえないのが事実です。社会に出てからは、いい意味でも悪い意味でも特別扱いをされてきました。「どうして日本語できるの?」からになってしまうのです。

でも、4年間の大学生活ではいい友達がたくさんできました。濃い時間を共に過ごしたゼミ仲間たちなどは特に、僕を対等な人として見て普通に話してくれました。

卒業生のつながりにも、本当は、そういう雰囲気を期待してしまいます。メルボルンの赤門会は登録者も20−30人と小規模だったので、いろんな生き方をしている素晴らしい人たちと仲良くなり、励みにもなりました。英国赤門学友会でもそうなれたらいいのですが、知らない人が大勢いる集まりなので、パブ会でもまず「勘違いして入ってきたのかな?」という目で見られて少し緊張することもあります。もしかしたら、テーマを絞って小さな集まりができるといいのかな?金融業界の会とか、健康オタクの会とか…。

異国の地でリラックスして日本語で話しあえるのが同窓会の良さです。海外で働く日本人は英語も話せると思いますが、会話は母国語でないと、どうしても内容が固くなってしまうものです。パブ会で僕を見かけたら、英語にしなきゃって思わないで、どんどん日本語で話しかけてください。

卒業式に、安田講堂前で(2000年)


この記事が参加している募集

仕事について話そう