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市川誠一郎さん - テニスのプロの人


25歳からテニスのプロを目指す

子供の時から1番になることが好きでした。受験戦争に勝つことにのめり込んで育ち、勝負としての勉強をしているうちに開成中・高から東京大学へ。だけどそこで好きになったのは音楽です。講堂のパイプオルガンを何時間も弾いたり、渋谷のジャズ喫茶に入り浸ったり、ギターを片手に世界中の国の音楽探訪の旅に出たり。

大学卒業後も普通に就職する気はなくて、フリーターをしながら作曲家を目指しました。東京藝術大学で講師をされていた野口実先生に師事して、​​パリの音楽院から留学許可をもらうところまで行きました。でも土壇場になってそれをキャンセルして、テニスに転向。

25歳でした。僕には「自分が世界でどこまでいけるか試してみたい」という強い気持ちがあったのですが、音楽という正解のない世界で自分が1番になるイメージがもてなくて。はっきり白黒つくといえばスポーツでしょ。そしてチームワークは苦手だから個人競技ならテニス。未経験なのに頭で考えて「よし、世界最高のテニス選手になろう」と決めました。

でも実際に始めてみたら、考えてたより遥かに大変だった。

すぐ気がついたのは自分のセンスの悪さです。25歳からの挑戦で技術的ハンディがあるのは分かっていましたが、毎日死ぬ気で練習しても、ずっとテニスをしてきた小学生にかないません。

平日は朝から夜まで練習。土曜は午前中練習。土曜の午後と日曜はみっちり家庭教師と塾講師のバイト。お金は常にギリギリで、貯金が10万円を超えることがない生活でした。大学生の時にクレジットカード作っててよかったです。

そのうえ4、5年目に気がついたのは、テニスは単に最高のショットを打てばよいというものじゃないということでした。自分の思う最高の球を繰り出しても、それがどこに来るかわかっていたら相手に返されてしまう。対戦相手の性格もふまえて駆け引きしなければ試合に勝てないのです。

コーチに「おまえ、勝ちたいのか?」と詰められても答えられず「俺は資質がないのかもしれない」と思うようになりました。「俺が世界最強だ!」って叫ぶために始めたけど、とっくにそうではなくなっていて。

一流のテニス選手は、何がなんでも、どんな手を使っても勝ちに行くという、化け物のような負けず嫌いばかりです。他人に対して負けず嫌いでは全くないことに気付きました。僕にあるのは「ただ頑張る」という能力だけでした。それで技術や体力はどうにかできても気質ばかりは変えられません。いろいろな辛さを話せる人はいましたが、どうにもならないその悩みを相談できる人はいませんでした。心がいつも、いっつも、きつい時間が続きました。

それでもやめなかった理由のひとつは、アカデミーのアシスタントコーチの平下さんの存在です。僕が謝礼を払えないくらい貧乏な時にもずっと練習に付き合ってくれました。それから音楽の恩師の野口先生。結果として裏切る形になり、他の人は皆笑って本気にしなかったのに、僕の「テニスに人生を賭ける」という言葉を信じて背中を押してくれました。辛いことは最初からわかっていたけど、約束したから。いつもそう自分に言い聞かせていました。

こんなこと言うとアレだけど、僕は今でも、やめてしまった音楽の方がテニスより好きだったと思います。テニスに対してあるのはそんな深い愛とかではなく、純粋な挑戦です。ただどこまで行けるか。

自分のスタイルをみつけるまで

そんな暗闇に少し光が差したのが2014年です。東京オリンピックへ向けてアスリートを発掘するトライアウトで最終選考に残ったことをきっかけに、日刊スポーツが僕の珍しい経歴を記事にしてくれました。それでスポンサーがつきました。自分が勝ったら喜んでくれる人がいるのは、モチベーションになりました。

自分なりの精神的支柱に気がつき、新しい道筋が見えてきました。だんだん試合でも勝てるようになってきて、2016年に450万円の資金を募って、はじめての海外遠征でスペインのアカデミーに行きました。

テニスの本場は欧州だからいつか行きたい気持ちあったけど、それまでの僕には技術もお金もなかったのです。でも、日本を飛び出してみたら、そこで思った以上に自分に合った練習環境をみつけました。

初めて海外に拠点を移した時のアカデミーの仲間と(2016年、スペインにて)

通常、プロのテニス選手は経済力とレベルに応じて、どこかしらのアカデミーに所属するか、あるいはプライベートコーチと1:1 〜 1:4くらいのシェアグループを作って試合をこなしていきます。でも僕はここ3年くらいは、特定のベースやコーチを持たずに欧州のいろんなコートを転々とするスタイルで実績を積んでいます。

テニスの世界では週単位で大会があり、毎週なんらかの国際ツアー大会がどこかで開催されていて、その期間中、選手は会場のコートを無料で練習に使えます。

その中には毎週同じ場所で大会が行われている場所があり、そこに行くと、2〜3ヶ月滞在して一気にランクをあげようとしているプロが結構いるのです。そこで出会う選手やコーチと毎日練習をします。日本では考えられないようなトップクラスの人に会うこともありますが、こちらが本気だとわかると気持ちよく相手をしてくれる、素晴らしい練習環境です。

日本のアカデミーでは定評のあるコーチのもとでみっちりと技術指導を受けました。あとは実践あるのみという今の僕にとって、いろんな国の選手と知り合えるこのスタイルは最高です。海外に出てから、かつての5倍くらいのスピードで上達する自分を実感するようになりました。今(2023年9月)はチュニジアにいますが、毎年7−8月はロンドンのコートで過ごします。イギリスは北国なので、夏が涼しくテニスには最高です。

悩みが強みに変わった時

2018年の夏、ドイツで良い出会いがありました。あるドイツ人のコーチと仲良くなり、それまで誰にも話したことのない自分の悩みをぽろっと話したのです。すると「負けず嫌いじゃないのはプラスに働くよ」と言われました。

負けず嫌いは試合前後のアップダウンが激しいと言うのです。プロは毎週試合に出るのでどんなに強くても優勝し続けることはできません。だから、自分のアップダウンに疲弊してやめていく選手がたくさんいる、と彼は言うのです。

そう言われたら、確かにその通り。ここにくるまで僕はどこでも一番下手だったのに、うまかった人たちがどんどんやめて僕が生き残っています。

テニスをみるとその人の性格がわかります。プレイスタイルにはその選手の精神的資質が露骨に出ます。だから僕は、負けて悔しいという気持ちがわからない自分がすごく不安でした。でもそれでいいと言ってもらえて、パッと空が晴れたような気がしました。

勝った負けたで泣かなくてもフラットにやるべきことをやり続けるのが得意なら、そのスタイルを極めていけばいいんだと思えました。特にこの1年くらいで、自分が負けず嫌いではないことを受け入れ、迷いがなくなりました。

「世界最高の選手になりたい」というのは、教科書的な正解、つまりグランドスラムで優勝する選手のことばかりでなく、不器用でも最高の球を打ち込む選手でもありではないかと。

今、僕は39歳です。テニス暦15年。昔は何年後にどうしたいという目標を立てていましたが、スポーツはビジネスと違っていつ伸びるかわからないもの。もしかしたら一生ブレイクしないかもしれないけど、来週ブレイクするかもしれません。今は、目の前の試合でベストのプレーをすることだけを考えています。上手くなるために思いっきりテニスができる日々が、すごくハッピーです。

初めてダブルス世界ランキングを獲得した時のペアOmni Kumarと(2023年、チュニジア)

やってみたら、見えることしかない

一般論として、日本社会は上下関係に厳しく、相手がどういう答えを求めているかを察して答える力が求められます。それが極まると「はい」と「すみません」しか言えなくなる。ひとつひとつ積み上げてきた、コツコツとした努力と継続が今の僕の土台の全てですが、思ったことをストレートに言えない環境、僕には向いていなかったと思います。

僕は海外に出て、それまで想像したこともないようないろんな人たちと出会いました。生まれ育った環境も違う、物の考え方の基準が違う。そもそも会話が成り立たない人もいる。でも、自分の考えを素直に口に出せるようになり「負けず嫌いでなくてもいい」と言われて、それまでのストレスから解放されました。

もし今、真っ暗闇の中にいるように感じている人がいるならば、そこは世界の片隅の片隅だよって伝えたいです。今見ている世界が全てではない。世界は広いと。そこから踏み出してみたらいい。やってみなければわからない、やってみたら、見えることしかない!

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