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宮川裕充さん - 日本の無形資産を増やしたい人


人の生活に関わる仕事に惹かれ国交省へ

熊本に生まれ、中高は鹿児島の寮で過ごした後、東大進学の際に九州を離れました。卒業後に国土交通省に入省したのは、扱うものが建物や乗り物、どちらも子供の頃から好きなもので、人の生活に深く関わるわかりやすさと深さに惹かれたからです。

まちのにぎわいや街路樹がいろじゅから聞こえる鳥のさえずりでそこに住む人の感じる豊かさが違ってくるなど、人間の幸せは実はちいさなところに宿ります。国交省というと有形固定資産ゆうけいこていしさんのイメージが強いですが、そういう無形資産的むけいこていしさんな分野でも活躍できるようになりたいと思い、都市計画や運輸関係の仕事にやりがいを感じていました。

視線は完全に日本国内を向いていて、自分が海外で生活をするようになるとは想像もしていませんでした。

意識が変わったのは、2010年初頭からの1年半、内閣官房ないかくかんぼうに出向した時でした。様々な国の課題に対して何をするべきかを考える民・官出身混成の組織でした。当時の私は一番したっぱでしたが、周囲は本当に素晴らしい方ばかりで、みな国を良くするために身を粉にして知恵を絞って仕事をしていました。毎日寝る間を惜しんで働き、爆発するような時間を共に過ごした先輩方は、今もそれぞれの専門領域で大きく活躍されています。

その当時、心から尊敬する人たちから口を揃えて「留学はしたほうがいい」と言われ、私はその気になったのです。

留学先にロンドンを選んだのは、ほかの同期が米国に目を向けているので差別化を図ろうと思った程度で、深い考えはありませんでした。役人を続けるつもりで、公共政策と経済学を専攻しました。この留学によって、想定以上に視野が広がる結果となりました。

家族と暮らすために英国へ

2014年に一旦帰任してからは、国際関係の仕事に関わりました。例えば、海外に日本の新幹線を売り込むプロジェクトでは、鉄道といえば重厚な鋼鉄のかたまりを前提に安全規格が定められている国においては、そのままでは軽量で効率のよい日本の新幹線を敷設できません。そもそもの設計思想の違いから理解してもらって新しい基準・規制を作ってもらうのは政府対政府の仕事です。また、インフラ関係は事業会社だけで進めるとリスクが大きすぎることも多いので、官民ファンドを作ってファイナンスの支援を行うこともありました。仕事は面白く、役人としてまだやりたいことはたくさんありました。

とある国際会議にて(2015年)

しかし、留学中に知り合った妻と議論の結果、一緒に暮らしていくために、視野が広がった気になっていた私が離職し、渡英することを決意しました。2018年のことです。

その先の仕事については何も考えていませんでした。辞めると腹をくくってしまえば、その先の道がどこにつながっているのか全く見えないことに、怖さを感じつつもワクワクしている自分がいました。

こうして来歴らいれきを振り返ると、自分は流されやすいなと思います。悪いものにだまされたことはありませんが、いつも出会った流れに乗って、大事な決断をしてきたようです。

事業を立ち上げた矢先のロックダウン

ロンドンに来て最初に考えたのは、自分が心から好きなことを仕事にすることでした。「国家」みたいなマクロ視点ではなく、ミクロな単位で。

私は建築やアートに興味があります。「Art Basel」や「Frieze」等のアートフェアには、毎年足を運んでいます。ヨーロッパでは、昔からの交通結節点こうつうけっせつてんにある都市で時計、車、旅行など様々なメッセ(博覧会)が開催されているので、そのようなフェアを巡って、世界中から集まるアート好きな人たちと話をするのも楽しいのです。

世界最大級の現代アートフェア Art Basel (2023年)

そこで、日本のセラミックアート作品を欧州のお客さんに紹介するビジネスを思いつきました。どの分野にチャンスがありそうかを調べ、日本にあるギャラリーに協力いただいて、個人が部屋に飾るような作品を紹介する事業を立ち上げました。若い世代のアーティストを自分で探し出すことも、ある程度のリスクを取りながらやっていました。

arti fiant(アーティフィアント)という会社です。(Instagram

そしてようやく自分が暮らしていける程度に売り上げが立つようになったところで、コロナ禍が起きてしまいました。

単価の高いアート作品は、実物を見て気に入ってもらわねば商談になりません。しかし、スーパーと公園以外は外出禁止のロックダウン中は、フェアなども全て中止になってしまいました。問い合わせをくださるお客さまには公園で待ち合わせて品物を見てもらうような工夫をしましたが、売り上げは急落。生活のために就職活動を始めました。

すぐに気がついたのは、ここロンドンで日本人が仕事を得ることの難しさでした。何十通応募してもなかなか採用に至りません。飛び出してきたときの「なんとかなるだろう」と言う考えは、根拠のないものだったことを思い知りました。

半年ほど就職活動を続けてようやく現職にご縁をいただきました。コンプライアンス・財務・人事の管理部門を担当し、かつての経験を生かし役に立てるようつとめるかたわら、自分のアートの事業との兼業を図っています。

日本の良さをアップデートする

「アートを買う」という行為について、日本とはその捉え方が違うと感じます。日本ではアート=美術館に飾るものというイメージがまだ一般的ですが、もっと自由で、よくわからない店で出会った「変なもの」でも自分が気に入ったならそれがアート。欧州には日本のアートが好きと言ってくれる人が多く、商談をしていると新しい人脈が広がる楽しさがあります。

どの国から来た人・どんな職業の人でも「日本」に対して良いイメージをもってくれていることが多いのには驚きます。初めて顔を合わせるお客様からも、日本人というだけで、約束を守る・最後まで仕事をするなどと信頼してもらえることが、よくありました。

この「良い日本人のイメージ」は、先人が築いてきたものです。でも、それにただ乗りして消費していると、いつか食い潰してしまうものだとも感じています。私はその無形資産を保つだけではなく、増やしていく気持ちでいきたいと考えています。

そのためには、わたしたち日本人の価値観も、みんなでアップデートしていく必要があるように思います。日本は内需が豊かで幸せな国だからこそ、人口増大局面では日本社会に最適化していればよかった。しかし、国内外の情勢・力関係が変化する中、外と積極的につながっていくことも大事です。

繋がることに価値を感じてもらうには、自分とは違う種類の見方に出会った時に「なぜだろう」と相手に興味をもち、うまく付き合う工夫を積み重ねるのが大事だと思います。自分と違う感性を切り捨てるのではなく、「それはそれでありだな」と一回受け止められるような懐の深さを持てると素敵だなと感じます。

色んな見方に流されてきた人間の戯言ですが。

個人的な夢は、自分のギャラリーを持つことです。アート・フェアにも、いつか出展者として参加して、世界と日本(特に地方)とを繋げる仕事を自分ごととしてできるようになれたら嬉しいです。