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生島芳子さん - 骨髄脂肪の謎を追う人


骨髄脂肪を追ってエジンバラへ

私は医学部を卒業してからすぐに研究の道に入りました。現在研究しているのは、骨髄こつずい(骨の中心部)の脂肪細胞(下図参照)です。
再生不良性貧血さいせいふりょうせいひんけつという血液の病気になって造血機能ぞうけつきのうが障害されるとこの骨髄脂肪が骨髄の中を満たすようになる (脂肪随しぼうずい) ことが知られていますが、正常な骨髄の中にも骨髄脂肪細胞は存在していて、加齢や肥満、性別の違いなど様々な状況で増えたり減ったりします。

私は博士課程の学生の時に、造血幹細胞ぞうけつかんさいぼう (血液の細胞を作り出す元になる細胞) の研究室にいましたが、メインの研究対象であるはずの造血幹細胞の傍らにいる、この骨髄脂肪に魅入られてしまいました。

骨髄というと、骨に囲まれているのです。そんな狭いところに脂肪をため込む役割があるはずの脂肪細胞があるのっておかしいなと思いました。太った時にはどうなっちゃうの?なんのためにそこにあるの?感覚的に理解できないのに、そんな不思議な細胞にあまり誰も注目していないのです。骨髄の脂肪細胞をもっと知りたいと思いました。

博士課程ののち、脂肪組織も重要な守備範囲の一つである代謝学たいしゃがくを志し、国立国際医療研究センターの糖尿病学の研究室に入れていただきました。ここで主に取り組んだプロジェクトは骨髄脂肪とは少し離れたテーマですが、糖尿病の臨床・基礎研究・公衆衛生学のプロが集結するハイレベルな組織の中で代謝学の基礎を学び、代謝学の研究者として研鑽を積みました。

そんな折、現在の研究室の主宰者であるWilliam Cawthornウィリアム・カウソーン先生がラストオーサーとして発表した骨髄脂肪の性質についての論文を目にし、Cawthorn先生が5年ほど前からエジンバラ大学で研究グループを持たれていることを知りました。Cawthorn先生は骨髄脂肪の専門家で、彼が米国での留学中にファーストオーサーとして発表した、骨髄脂肪からの分泌に関する論文***は、私にとって特に印象深いものでした。

面識はありませんでしたが、思いきってリサーチ・グループに加わりたいとメールを出し、最初は武田科学振興財団、現在は日本学術振興会のフェローシップを得てエジンバラ大学での研究活動に取り組んでいます。

*** Cawthorn WP et al. 2014 Cell Metabolism

https://www.cell.com/cell-metabolism/pdf/S1550-4131(14)00268-X.pdf

時間はかかれど

基礎研究は、従事した期間が何年ということより、何をしたかが大事ですし、論文発表などを通じて成果を形にすることが大事です。そして、プロジェクトの方向性が定まるまでに年単位の時間がかかったり、ひょんな実験結果から方向性が変わったり、実験機械のトラブルやサンプルの不具合等で何ヶ月も予定が遅れたりと、想定外なことが沢山起こり、一つ一つのプロジェクトにはとても時間がかかります。だから、当たり前のようですが、自分がやりたいテーマで研究ができることはとても大事です。骨髄脂肪の専門家のグループで、これまでの研究経験を生かしながら骨髄脂肪の研究が展開できていて、とてもやりがいを感じています。

日本との研究室の違いで驚いたことの一つは、学生さんや研究者の主体性でした。「自分はこれをやっているのだ」というマインドセット、堂々とした態度が日本の感覚とはかなり違うのです。

また、日本にいる時はダイバーシティという言葉があまり直感的に理解できず、ピンと来ていませんでした。でも、こちらの研究室で国籍・年齢・家族・その他個別の事情や価値観を互いに尊重しあう仲間に囲まれるうちに、「多様性」ってこういうことなんだ、と腑に落ちた気持ちになりました。

私は大学院生の頃から「博士課程を修了したら留学」というよくある研究者の道を漠然とイメージしていましたが、実際には留学は果たされないまま結婚や出産といったイベントが続きました。

でも、長男が5歳になった時にひとり遊びができるようになった姿を見て、次男がもう少し大きくなれば自分もまた少し自由な選択ができるようになるかもしれないと思いました。そこから少しずつ準備をして、次男が4歳を過ぎた頃、エジンバラへの一歩を踏み出しました。自分は37歳になっていました。大学院生当初に持っていたイメージからすると少しゆっくりした歩みですが、家族は自分一人の時とはまた違う人生の豊かさをもたらしてくれたと思い、感謝しています。

似たような状況で自分のやりたいことを諦めかけている人がいるなら、思い切って踏み出してみてほしいと言いたいです。もちろん、想定外のことに右往左往することは多々ありますが、私は、もしうまくいかず半年で泣いて帰っていたとしても、トライして良かったと言えたと思います。

世界遺産の街の紹介

同じ英国でもロンドンとは違いエジンバラはよく知らない方も多いと思いますので、最後に少し街の紹介をいたします。

2020-2021年頃はコロナで渡航が制限されていた時期でしたから、渡英前のやりとりはオンラインだけで、エジンバラは、実際に来てみると想像していたよりもずっと小さな街で驚きました。UNESCO世界遺産で街並みが保護されているため、近代的な高い建物はほとんどなく、日頃エレベーターを使う機会もあまりありません。

ヨーロッパらしい、石造りの綺麗な街並みです。立体的な街なので、どこにいても個性的な屋根や尖塔が目に入り、細い素敵な道が沢山あって、街歩きに飽きることがありません。観光客が多い時にはバクパイプを吹く人が街角に立ち、その独特の音色が風に乗ってきます。

Princes Streetからの眺め。エディンバラは立体的な街です

街の中心部から歩いて行ける丘陵地・アーサーズシートに登るのもおすすめです。美しい街並みの向こうには海も見えて、空は広く、素晴らしい景色です。

アーサー王伝説の残る丘、頂上まで歩いて1時間もかかりません

住んでいると、スコットランドの歴史と文化をあちこちで感じます。中心地を少し外れたところにスタジアムがあるのですが、ラグビーやサッカーの試合の応援にいくらしいキルト(スカートのような民族衣装で正装)姿の男性や、結婚式でキルトをはいている新郎をしばしば目にします。

また「蛍の光」はもともとはスコットランド民謡が日本に持ち込まれ愛されている曲なのです。毎年2月の「バーンズ・ナイト」と呼ばれる記念日には、小学校ではその作詞をしたとも言われている国民的詩人・Robert Burns《ロバート・バーンズ》の詩を学び、伝統料理のハギスを食べます。ハギス、美味しいです。

ここに住んでいると自然をとても身近に感じます。春から夏にかけては、太陽の光を受ける緑が本当に綺麗です。道路が落ち葉だらけになる秋や、クリスマスイルミネーションで町中が輝く冬も、寒いけれど、素敵です。エジンバラの人はエジンバラの街が大好きなのだなとよく感じます。私もエジンバラの街も人もとても好きになりました。