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佐崎孝教さん - 地方から世界に飛び出した人



EMEA Regional CEOの仕事とは

MUFG傘下の銀行や証券会社のEMEA(欧州、アフリカ、中東、ユーラシア各国を含む)における業務統括をしています。EMEA地域の従業員は約3,500人、そのうち約2,000人がロンドンにいます。日本からの駐在員は200人くらいで、現地採用の日本人が100人強。圧倒的多数が、イギリスやコモンウェルス*の国々や大陸ヨーロッパ他外国出身という、多様性に富んだ組織です。

*かつて植民地時代に英帝国領だったサウスアフリカやニュージーランドやインドなど50余の独立諸国が加盟する連合体

この仕事の好きなところは、組織の内外の色々な人に会えることですね。

傘下の各国カントリー・マネージャーとともに経営会議で様々な事柄を決めていくのですが、ビジネスの方向性だけでなく、人事イシュー、リスク管理・コンプライアンス運用、当局対応など考えなければならない内容は多岐に渡ります。

シンガポールに駐在して、APAC(日本以外のアジア)を担当していた時期もあります。比較すると組織の規模が大きいのは日本企業の進出が多いアジアなのですが、ヨーロッパは内部統制に係る業務が重いという特徴があります。金融市場の成熟度が高く、規制まわりが厳しいのです。

ダイバーシティ課題への取り組み

目下の組織課題の一つは、女性のマネジメントを作っていくことです。日本でも一生懸命に取り組んでいると思いますが、イギリスではより明確なターゲットが政府から出ていますから、ダイバーシティに関しては組織内にカルチャー・コミッティーを作り、目標をいかに達成していくかを常に考え取り組んでいます。

たとえば、FCA(Financial Conduct Authority、イギリスの金融監督機関)から示されている目標は「ボードメンバーの4割は女性にせよ、エスニシティについても少なくとも1人はマイノリティ人種にせよ」等といったものです。対象はこちらの上場金融企業なのでわたしたちが準拠する義務はないのですが、同じ土俵に乗るために自発的に対応しています。

また、HM Treasury(イギリスの財務省)も Women in Finance Charter(女性憲章)を掲げ、大手金融機関が指導的立場にある女性従業員の比率のターゲットを提出することを求めています。他社がどのような状況にあるかのピア分析も簡単にできます。こちらも自主的に提出しています。

自ら設定して公開している目標なので、それらは組織としてのコミットメントでもあり、従業員のエンゲージメントにもかかわる大切な取り組みです。私自身も何人かの女性社員に対して、キャリア・ステップを後押しするメンタリングを担当しています。

イギリスのダイバーシティについての危機感は相当に強いです。日本はまだまだこれからですが、スタートが遅いからステージが違うだけで、いずれ同じ方向に向かっていくでしょう。

チャリティー・ラン会場にて、性別も国籍も様々なメンバーと(2023年)

自分の専門性をみつけて磨くこと

自分の若い頃を振り返ってみると、20代、30代のうちに実務を通して専門性を身につけることができたのはとても良かったと思います。私が長く携わってきた領域は主に2つ、M&A(企業の合併・買収)と資本市場におけるDebt Financeデッド・ファイナンスです。

M&Aの仕事は本当に好きでした。お客さまに対するアドバイザリーの仕事や、債券の発行体に対してアンダー・ライティングをする下請け業務に携わった後、今度は Tier1 劣後債れつごさい**を発行する仕事を任される機会を得ました。

**金融機関が自己資本を増強する手段として発行する債券

フロントの業務を離れ、財務企画部門に移ったのは40代になってからでした。その直後にリーマン・ショックが起きてモルガン・スタンレーへの出資案件を担当しました。なにしろ金融危機の中なので大変でしたが、経営に近い仕事で、やりがいがありました。

同じ仕事に立場を変えて関わり専門性を深めることができたのは、たまたまその時期にそこにいたという「運」の要素もあります。が、自分にM&Aの経験があることを周囲が知っていたからこそスキルを活かす機会を与えられたものなので、当時の自分が必ずしもそのように思っていたわけではありませんが、やはり早い段階で「自分はこれ」と言えるものを見つけて経験を積むことは、後半戦になって仕事を広げていく足がかりになると思います。

なお、今はだいぶ事情が変わってきていて、勤務地も含め本人がどうしたいか(家族の事情で日本に残りたいとか、海外を希望しているか)をしっかり聞いたうえで人事が決められる時代になりましたが、かつては異動辞令といえば一方的な通達でした。しかし思い返すと、そこから得られたこともありました。若い頃に自分の頭で考えてやりたいと思うことは狭いので、与えられた仕事をやってみて気がつくこともあったと思うのです。例えば私は市場業務は最初は全く興味がありませんでしたが、たまたま任されてやってみたら面白くて専門性の一つになったものです。

やってみてやっぱり楽しくないこともありましたが、フロントでもバックオフィスでも、様々な仕事に関わるローテーションの機会があってその中で興味を持てる分野を探すチャンスがあるのは、日本の銀行の良いところかもしれません。

一方で、シニアマネジメントの立場になってはじめて「あれをやっていてよかった」と思ったこともあります。実は、新人の頃に支店に配属され、つまらないなあと思っていたオペレーションの基礎業務がそれです。

銀行は厳しいレギュレーションの監視下に置かれた規制業種です。様々なオペレーション・リスクがあるのですが、細かい業務を知っていると、一つ一つを見なくても現場で何が起きているかがわかるのです。今になって、若い時からかっこいい仕事だけをやっていたら働かなかったであろう勘に助けられることが、本当にたくさんあります。

現場も時代と共に変わります。今は特にDXの導入で、仕事の進め方は急激に変化しています。例えば、私がかつて携わっていた為替取引の現場も、昔はトレーダー間の口頭取引(ボイス・トレード)で人の声が飛び交っていたのですが、現在はEF(Electronic Trading Platforms、電子取引プラットフォーム)で自動化され、全くの別世界です。でも、業務の本質は変わりません。ロボティックスが進んで現場のOJTは変わっても、経営がオペレーションを知っていることの大切さは、多分変わらないんじゃないかと思います。

悩みまくっていた若い頃の自分へ

若い頃の私は、いつも自分の将来について悩んでいました。悩むことは悪いことではなかったのかもしれませんが、そんなに深く悩まなくてもよかったのにというくらい、いつも悩んでいました。

実家はお寺でした。姉が3人いる末っ子長男だったので、当然家を継ぐことを期待されていたのですが、それがいやで、広い世界をみてみたくて、家からは通えない中高一貫校の寮に飛び出しました。その寮は生徒の素行がむちゃくちゃワルくて、私の卒業後何年かしてから取り潰しになっちゃったんですけどね。割と早い段階から親元を離れて、自分で考えて生活していこうという独立心は強かったですね。

ただ、外交官になるぞと勇んで法学部に進んだものの、当時はバブル全勢期。金融の世界がなんとなくカッコよく思えて、官僚になることに対する興味が色褪せていきました。そもそも地方出身で親が企業勤務ではないので「大きい会社って何をやっているんだろう?」という感じで。世間知らずなままに、自分がどのように生きたいかがわからなくて苦悩していました。

最近の学生の皆さんは就職活動の際によく企業研究をされるので、笑われるかもしれませんが、某銀行に就職した先輩に「うちにくると住宅ローンを売らされるぞ、やめとけ!」と言われて、何かとんでもないものを売っているのかと思っちゃったり、ちょうど外資系の企業が出始めた頃だったので某社の名前がかっこいいなあと思っていたら「外資なんかいつでも行けるぞ」と囁かれて手を引っ込めたり。

たまたま最初に内定をもらった東京銀行が国際業務だけを手がける銀行だったので、ここなら海外で働くチャンスもあると思って就職を決めたのですが、今度は、同期には英語が上手な帰国子女がいっぱいいました。当時の私は受験勉強に毛が生えたくらいだったので、英語力に圧倒的なレベル差があって、また悩みました。社内選考に通るために必死で勉強してビジネス・スクールに留学して、ようやくちょっと使えるようになりました。

今のような仕事をするようになるとはイメージしていませんでしたが、米国、東南アジア、そして今欧州に駐在する機会を得て、ある意味「海外で仕事をしたい」という初心は叶えてきました。アメリカも東南アジアも経験してきましたが、ロンドンは、他の国に比べても、住むには抜群にいい街です。文化もあるし、自然も近いし、風情があります。ヨーロッパの国々にもアクセスしやすくて、とても楽しんでいます。

そんなわけで、今進路に悩んでいる方には、若い頃の自分にかけたい言葉を贈ります。

「あまり悩まないで、失敗してもいいから。良さそうだと思ったら、恐れずに踏み出して、とにかくチャレンジしてみて。」と。