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ぜんぶ手に入れるだけだ!

孤独は心地良い。誰1人として自分のことは知らない世界で生きるってなんて幸せなんでしょう。人(知り合いに)「なんか変わったな」と思われるのが嫌で、ちょっとの変化すら躊躇う。少しの変化を求めて微妙な色から微妙な色に髪の毛を染め直してみたり。髪を切るときは前髪以外を切ってみたり。誰も自分に興味がないのはわかってる。それでも怖い。高校時代、髪切ってから最初の登校の日は緊張した。誰にも気付かれませんように、と。結果としては勿論気付かれない。なんて平和、素敵なことでしょう。


人と接するのが苦手。だから孤独でいる。苦手でも人と話す事を頑張ろうとしている時もたまにある。最近気付いたけど、自分って自分が思ってる以上に人見知りだ。出会ってすぐ笑顔でフレンドリーに会話してたはずなのに、相手からすると心開いてくれるまで半年かかったと言われたり。
そもそも考えの奥底に「自分が質問することで、相手の作業・時間を奪ってしまう」ということがあり中々人に質問が出来ない。自分にその時間が使われるのは勿体無いと思ってる。まぁ質問できないから失敗してその後にめちゃくちゃ怒られるんですけどね。中学も高校も質問出来るようになるまで3年かかったし、だから1ヶ月も2ヶ月の人に質問なんて出来ない。人を信用出来る出来ないの話ではない。
そして人の名前・誕生日を全然覚えられない。これはかなり致命傷。親含め全く覚えられていない。誕生日で自信があるのは父親、幼馴染だけ。本当に1週間ぐらい前から「自分誕生日だからね!!!」とアピールして貰わないと当日声をかけることすら出来ない。人の名前は高校3年間同じクラスだった方の名前を覚えられなかった。大学のゼミでも大半を覚えられずに終わった。人に興味があるのかと聞かれたら無いに近い。ただ、自分でも長く何回も会っている相手の名前覚えられてないのはショックと思う。流石に。

今、誰も自分のことを知らない土地で1人暮らしをしている。もうすぐ終わっちゃうけど。誰も自分のこと知らないから何にも考えることなく自由に過ごしている。例えば前髪を10年ぶりの短さまで切ってみたり。髪の毛違う色にしてみたり。とにかく自分がしたいようになんでもかんでも生活スタイルを変えている。自分は人からの影響、憧れがモロに出てしまう。髪型とか、服装とかね。そういうのも何も考えず人目気にせず着るし楽しんでいる。なんて自由で楽なんだろうか。この生活がこのまま続けばいいのに、と思う。本当にこの生活では自分が人生でやらんやろな、ってことも沢山挑戦した。この生活終わったら何も出来なくなっちゃうんだろう…な。




孤独について、凄く印象に残ってることがある。
しずる村上純さんの著書「裸々」にでてくる過去のコントのセリフ「どうして孤独は集団で感じる孤独の方が寂しいの?」(ニュアンス)。孤独を好む自分も集団内の孤独は寂しいというか、悲しい。村上さんのTwitterでの金木犀についての何気ない発言もそう、どうしてか凄く印象に残ってしまう。村上さんの考えがすごく好きなんだな、もちろん裸々も好き。この生活が終わったら読み返そう。

2024年4月追記
誰にも会わなかった3ヶ月間で髪型髪色服装色々諸々全部変えた。久しぶりに会った同期からは
「あなただと認識できない」「見慣れない」など何回も言われた。それは似合ってないよ、という意味かも知れない。

そして「誰かわからない」と言われたことに本当に安堵した。1番言われたかったことだ。やっぱり誰にも気付かれず生きていきたい、本望かも。1人暮らしが向きすぎた。学生終えたら絶対に自分のことを誰1人知らない地域に引っ越す。そして若さを消費しつついきていきたい、絶対にそうしよう。

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