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他山の石

 昨日、スーパーで買い物をしていた時のこと。
 レジに並んでいたのだが、ソーシャル・ディスタンスをとって、前の人と少し離れて立っていたら、間にどこかのばーちゃんが、臆面もなく割り込んできた。あ然としてる間に、そのばーちゃんがレジ打ちして貰っていた。

正に、こんな感じ。

 しかたなく、(敬老精神、敬老精神)と呪(まじな)いのように自分に言い聞かせた(この手合いの年寄りに"敬老"すべきか疑問だが)。
 そして、『論語』述而篇の中の、この一章を思いおこした。

天使と悪魔は、分かりやすく😅

 いま三人で道をあるいているとする。うち一人は自分であるが、他の二人の行動ないしは言語のなかから、自分の師とすべきものが、必ず発見されるであろう。二人の言語なり行動のなかから、よいものをえらんで、自分もそれに見習うし、また、彼らの行動のなかで、よくないと思うものが、自分にもあれば、人のふり見て、わが身を直せばいいからである。
(『論語 上』吉川幸次郎)

 昔は、「他山の石」といって、正に人のふり見て、わが身を直せ。とよく言われた。

 このことで、肝に銘じたことがある。
 一つは、いくらソーシャル・ディスタンスといえど、あまり間を開けすぎないこと。
 もう一つは、「なに、アイツ?!」と思われないような年寄りになろう!
 である。

 見出し画像は、「他山の石」…というより岩だな、こりゃ😁。

            🐻

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