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小粋でいたい

 服装にこだわりがあるとか服が好きならともかくとして、別に特別の関心を払っていなくても評価の俎上に乗せられてしまう。かくもおしゃれというものは難しい。とりあえず清潔はマストとして。長年服装に気を使わないで生きてきた私も、ここ数年は「おしゃれ」とまでは言われないが「似合ってる」とか「素敵」とか言われるようになってきた。ズバリおしゃれがわかってきたのかもしれない。
 極意のようなものが言えるわけではないが、着てみたい服を着ているうちに、似合う服がわかるようになるものな気はする。着たくない服を着るより好きな服を着るほうが胸を張って歩けるし、それがトンチキな格好で後ろ指を指されたところで納得もいく。
 服にも文脈というか歴史のようなものはある。故にその文脈通りに着ているとフツーの着こなしになるのだと思う。そこから異なる文脈のアイテム同士を組み合わせる。このとき絶妙に文脈をずらすことが「おしゃれ」なのかなと。や、「シャレ」という言葉からの類推ですが。文脈が離れすぎると「ダジャレ」になるのかな。
 ダジャレのことをオヤジギャグと言うけれど、『妖怪ウォッチ』を例に挙げるまでもなく小学生もダジャレ好きだよね。日本語は母音の種類が少ないから必然的に同音異義語が多くなってシャレが作りやすいと聞いたことがある。ダジャレがオヤジギャグの象徴みたいになっているのは「いい歳して小学生レベル」ということなのか、それとも「思ったことを我慢できず漏らしてしまう」パッキンの弛さ故か。
 荒川強啓氏のダジャレのことをプチ鹿島氏が「ほぐし水」と名付けたのは絶妙だと思う。面白いかどうかとかダジャレを採用するかどうかはともかくとして、コミュニケーションを円滑にするほぐし水でありたいという気持ちはある。でもやっぱりできることなら小粋でいたい。

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