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まちづくり会社中条中学校社のあゆみ(後編その2)

中条中学校社の成果と課題は

さて、生徒たちの頑張りは、前回までで、完結した。
最終回である今回は取組全体を通じての成果と課題を振り返りたい。
文章中心になるがお付き合いいただけると幸いである。

課題について

現場にはやはり早期に出た方が良い


今回は生徒たちの頑張りに大いに救われた。結果的に現場を終盤に持ってきたおかげで、主体性が芽吹いた面はあるが、総合的に考えれば、やはり現場には早期に出した方が良かったと思う。

ただ、現場に出す際に、最初から一から十まで町のことをレクチャーするのではなく、まずは自分たちなりによく調べさせるというのは主体性を喚起させる上で有効な手法であることが分かった。


終盤にもっと時間が欲しい

今回、アウトプットの詰めを時間の関係から妥協した部分が正直あった。「中学生なりに頑張ったのだから・・・」のハードルはもっと高く設定しても良いと考えている。プロの「大人が見ても、「え!?これ中学生がやったの?」ぐらいを目指せると思う。そのためには終盤にもう2回くらい制作工程が欲しかった。

専門家によるメンタリングの回数を増やしたい

前述の終盤の詰めとも関わるのだが、専門家が張り付いて指導する回数をもう2回くらい増やしたい。
アウトプットの質を上げるという観点だけでなく、学び、キャリア形成、達成感といった観点からも、プロからOKをもらえるまで、マンツーマンでみっちり指導を受ける機会を是非とも設けたい。今回はフードコーディネート課が良いモデルになったかと思う。

当日も生徒たちにまかせたい


今回はやむを得なかったが、やはり当日は生徒たちに運営させたい。参加者の楽しそうな様子が生徒たちの達成感にとっては何よりだと思う。


成果について

やりたかったことは概ねできた

学校側のオーダー、自分で課した裏目標とも、やりたかったことは概ねできたと思っている。ただ、生徒達への教育効果がどうであったのかは、先生達と一緒に分析の時間を設けないと確たることは言えない。
とりあえず、、、依頼されたことは実現できた。


商店街のプレーヤーの変化

予想していなかった大きな成果があった。それは、本町通り商店街の人々がこの取組に乗じる動きをしてくれたことである。具体的には、

  • 料亭・割烹さんの生徒へのあたたかい指導

  • お店のSNSアカウントでの募集情報の拡散

  • まちあるき当日、店舗の中を案内してくれる

  • 商店街の若手の皆さんによるマルシェ開催

といった動きが見られたのだ。中学生達のプロジェクトが進むにつれ、ひとつ、またひとつと商店街の人達自身の動きが増えていった。


中学生がまちを動かした。

動きはすごく小さなものかもしれない。でも、「商店街活性化のために商店街に住んでいる人達自身が動いた。」
このことは、町の活性化にとって非常に重要なことなのだ。

その理由をこれから述べたい。

地域活性化とは、その地域に暮らしている人々が主語にならなければいけないというのが私の持論である。
胎内市に限った話ではなく、これを読んでいる皆さんのまちでも、「商店街の活性化策は?」ということがいろいろな場で議論されているかと思う。

しかし、商店街の人々自身が活性化したい!と思っていないのであれば、ただの余計なお世話じゃないか?

日本の田舎は当の昔に自動車社会化しており、商業施設は大きな道路に面している町に移っている。
もしかしたら

「商店街を名のるのをやめて、閑静な住宅街でいいや」

と思っている人が多数派かもしれない。
まちのステークホルダーの意向を聞くことなく、やれ活性化だと言って税金を投入したり、施策を打つことが私は怖ろしい。

住んでいる人たちの中に、ほんの数人でもいいから


「この商店街、できることなら残したいなぁ。」
「そのためだったら多少は汗をかいてもいいな。」

という人がいてこその活性化ではないのか。


「地域住民の主体性」の喚起、
これこそがまず取り組まなければならない地域活性化策なのだ。

今回、中条中学校の生徒たちが引き出したものがまさに「地域住民の主体性」だったのではないか。

この中条中学校社による取組は、中条中学校の総合学習の定番カリキュラムとして、来年度以降さらに磨きをかけ、継続していくことが検討されている。

何年か後に振り返ったときに、

「大人たちが本腰を上げて商店街の活性化に取り組んだのって、令和3年度の卒業生達の取組がきっかけだったよね」

ということになっているかもしれない。それほど大きな一歩であったと思っている。

実は、私は、今回のプロジェクトに、こうした効果があり得ると予想していた。しかし、狙いとして公言してこなかったし自分にもあえて課さなかった。単に自信が無かったのだ。

「商店街の人たち、自分のまちのことどう思ってるんだろう。もしかしたら余計なお世話なのかな。」という迷いが大いにあったのだ。

しかし、中学生達の取組は私のそんな迷いを吹き飛ばしてくれた。「商店街にもまだまだアツい人はいる。」これが今の私の確信だ。

だから、本町通り商店街はこれからも残り続けると思っている。時代の変化とともに業態や商売を変えてきたしなやかな商人達が今なお住むまちなのだ。

というわけでとても長くなったが、これが今回のプロジェクトの最大の成果だと私は考えている。

「君たちがまちを動かした」

と生徒達への振り返りでアツ苦しく伝えようと思う。

アツい先生の存在

さて、僕がアツ苦しいのは相変わらずなのだが、今回の取組はアツい先生がいてこそだ。熱血教師っているんだな、と思った。

このプロジェクトが成功したって給料が跳ね上がる訳ではないことを同じ公務員の僕は知っている。

それでも「子ども達にとって有益だから」という思いで取り組んでいることは、半年伴走してみてよくわかった。生徒たちへの愛情を様々な場面で目の当たりにした。

ある日の打ち合わせ(テスト前日の夜)。
教室にはこんなメッセージが。


「地域づくりは人づくり」「究極の地域活性化策は教育だ」というのは真実で、こうしたアツい先生が報われる社会・地域を切望して止まない。

コーディネーターが地域を変える

最後にこの話をして、長くなったこの一連の記事を締めくくりたいと思う。

「コーディネーターが地域を変える」

とは僕の好きな言葉。

僕は行政職員とNPOという二つの立場を有しているが、そのどちらにおいても「良いコーディネーターでありたい」と思っている。

激動の時代において、行政だけで解決できる地域課題は限られている。地域の様々な人・資源を組み合わせ、課題にアプローチしていくには、コーディネーター的人材が必ず必要だ。
まちのレベルはそのまちのコーディネーターのレベルであるとすら思っている。

今回のプロジェクトに大きく活躍したコーディネーターがいる。僕ではない。

中条中学校に配属されている「地域連携コーディネーター」である。

そもそもこのプロジェクトに僕をアサインしたのもこのコーディネーターなのである。

料亭・割烹さんとの連絡調整、参加者の募集、先生のフォロー、商店街の若手の皆さんの巻き込み等々、果たしてくれた役割は計り知れない。

今回のプロジェクトはおどろくなかれ、予算0円。限られた資源の中でプロジェクトがゴールまでたどり着くにはこのコーディネーターさん達の存在抜きには語ることができない。

こうした方々の出会いを得られ、僕自身、まちづくりのコーディネーターとして、とても刺激になった。

今回、NPO法人ヨリシロは中条中学校のプロジェクトに伴走したのだが、完全無報酬だった。
正直、会社として、来年度以降も引き受けても良いものか悩んだ時期もあった。

しかし、商店街の方々、アツい先生、コーディネーターさんらと出会い、怒涛の終盤、毎日の様に終業後に学校へ通う日々のなかで、「あぁもうすぐ、このプロジェクトが終わっちゃうんだな」と寂しくなってしまった。
中学生と一緒に取り組んだこの半年間が終わった今は、こころにぽっかり穴が空いた感じがしている。

また来年も中条中学校社に取り組みたい。今はそんな心境である。
そして、中条中学校社だけではなく、商店街の活性化のために、私自身、ぜひ関わっていきたいと思ってしまった。既にあれこれと思案していることがあるが、それはまた別の機会に。

多分、私も中学生によってハートに火を付けられたうちの一人なのである。

本番終了後、みんなで。

中条中学校社の取組にご協力いただいた皆様にこの場をお借りして、心から感謝申し上げます。

NPO法人ヨリシロ 浮須崇徳

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