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青森:空想の子供、産まれなかった子供

2泊3日で、一人で青森に行ってきた。青森県立美術館で開催されていた展覧会「奈良美智:The Beggining Place ここから」を観るためだった。
展覧会は、作品の点数はあまり多くなかったが、奈良美智の初期の作品が充実していた。また、高校時代に足繁く通っていたログハウス風のロックカフェを再現したコーナーは、アーティストの原点に触れる上で貴重だった。

奈良の作品に出合ってから今日までの約四半世紀の間に、様々な場所で奈良の絵画や立体作品を鑑賞してきたが、なぜ奈良が幼少時代の原体験を掘り下げようとするのか、今になってようやく理解できた気がする。
幼少時代に味わった喜怒哀楽は人格形成に大きく影響を与えていて、大人になってからも様々な形で内面に影響を与え続けることを、ここ数年で強く実感した。
表面的な新奇さが与える興奮とは別次元の、もっと深いところまで迫ってくる作品のメッセージを、昔よりも感じ取れるようになったと思う。

美術館から青森駅に戻り、湾の近くのお洒落な土産物屋で母から頼まれたヒバのしゃもじを買って、曇天の下、風花の舞う中をホテルまで歩いた。
ホテルの隣には、小さな寺がある。せっかくなので、お参りしておみくじでも引こうかと、門をくぐった。

正面と右側に、お地蔵様が一体ずつあった。
唐風の屋根の下には、繊細な龍の彫刻が施されている。
賽銭箱は見当たらず、右のお地蔵様の脇にある扉に「こちらからお参り下さい」と貼り紙がしてある。扉のある建物は寺と繋がっていて、住職の家のようだ。
わざわざ寺の人を煩わせる気にもなれず、二体のお地蔵様に合掌だけして帰ることにした。

一通り拝み終わって寺に背を向けた瞬間、参道の左側に吊るされた絵馬が目に入った。
近寄って絵柄を確認すると、袈裟を着た和尚さんの体のあちこちに、蜜柑ぐらいの大きさの子供たちが8人ぐらいじゃれついている様子が描かれていた。
その脇には、字の側が表になっている絵馬も沢山下がっていた。
達筆な字もあまり綺麗でない字もあったが、どの絵馬にも、この言葉と人名が書かれていた。

「令和〇年〇月〇日 水子供養」

人名は、女性のものも、男性のものもあった。
楽しい観光をするつもりが、大変な場所に来てしまった。
それでも何故か絵馬から目を離すことができず、書かれた文字を上から読んでいった。

隣り合った2枚の絵馬に、同じ名前が書いてあることに気付いた。

「平成三十年 森本えつ子」
「令和五年 森本えつ子」

見えているのは2枚だけだったが、奥の方には他の年のものも掛かっていたかもしれない。

えつ子さんがどういう事情で子供を失ったのかは分からない。流産なのか、死産なのか、堕胎なのか。相手の男はどうしているのか。もしくは、えつ子さんは、近しい誰かのために、代理で来ているのか。
でも、とにかくえつ子さんは、5年経っても忘れられなかった。
多分、生まれなかった子供のために手を合わせれば、自分の中にある喪失感と何とか折り合いをつけられるのではないかと考えて、この場所に足を運んだ。
何も知らずに東京からふらっと来た私と、目的意識とわだかまりを抱えて訪れたえつ子さんの人生が、想像を超えた形で交差したことが、ただただ奇妙だった。

翌日も寒かったが、空は晴れていた。

奈良美智の空想から生まれ、沢山の人を惹きつけた絵の中の子供たち。
この世に産み落とされることなく人知れず死んでいった、誰かの記憶の中にだけ生き続ける子供たち。
青森で出会った不思議な子供たちのことを、帰りの新幹線の中で思い返していた。

えつ子さんは、今年もあの寺に行くだろうか。

※絵馬に書かれていた名前は、実際のものから変えています。

【おまけ】これを書いた後に思い出した歌


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